神経症に感謝!素敵な仲間に出会えて

(視線恐怖、強迫観念、他)
山崎 りこ(仮名)35歳・OL

私は大阪市で生まれました。家族は両親、姉、兄、双子の姉と私の6人家族です。私は小さい時から、とても恥ずかしがりやで、近所の人に抱っこされても石のように固まってうんともすんとも言わないような子供でしたが、その反面、4人兄妹の末っ子としてとてもかわいがられてましたので、わがまま放題で、地球は私中心に回っているくらいの感覚でいました。そんなぬくぬくとした環境から小学生になって、教室に入るのが恐くて泣いたことを今でもおぼえています。幼稚園とは違ってクラス数も多く、私が双子だということが広まると、他のクラスの子達が見に来るようになり、休み時間がとても嫌でした。

私が神経症を発症したのは21才の時でした。ある日、職場で前の席の人と雑談をしていた時、その後ろの席の人の視線がふと気になって、最初は、こっちをずっと見てるな〜、ぐらいの気持ちだったのですが、だんだん見張られているような感覚になり、私が他の人と話していても、その人が視界に入ると意識がその人にひっぱられて、とてもとまどいました。そのうち、今度はその人を見てはいけないと、自分の目のやり場、視線に意識がいくようになり、見てはいけないと思えば思うほど意識がその人へひっぱられ、自分で自分をコントロールできなくなりました。また徐々に気になる人も増えていき、誰に対しても症状を感じるようになりました。前から歩いてくる人、電車の向かいの席の人、お店の店員、飲食店等での隣の席の見ず知らずの人、隣で歩く友達に対してもとらわれるようになりました。自分でも、どうしてこうなってしまったのかわからず、ただただ、とまどい、こんな私は私じゃないとその当時住んでいたマンションのベランダで夜空を見上げてよく泣いていました。結局その職場は8ヶ月程で辞めてしまいました。

それから知り合いの写真の現像を扱うお店を手伝ったり、また正社員で経理の仕事をしたりしました。その間25才まで、自分の症状に対してどうしたら良いかもわからず、悶々と悩みながら生活していました。その後、なんとか一刻も早く以前の自分に戻りたいという思いから、性格を改善する通信教育を受けたり、ヨガや気功を習ったり、心理療法指導室に高いお金をかけて通ったりしました。心理療法指導室に行って、自分が初めて「視線恐怖症」という神経症であるということが分かり、また自分一人だけの悩みじゃないことも分かり少しホッとしました。そこでは主にカウンセリングと自律訓練法を使って症状を改善していくというやり方でしたが、結局根本的な解決には至りませんでした。

30才で結婚し派遣社員として働いていましたが、あるテレホンオペレーターの仕事の際、女性ばかりの職場で、気の強いハッキリものを言う人が多かったせいか、そこでまた症状を強く感じるようになりました。その業務はパソコンで受信し、応対しながら画面に入力してと一日中パソコンの画面を見る仕事でしたが、パソコンの画面に集中したくても、視界に入る人の方にばかり意識がいってしまいます。また昼休みに何人かで食事をする時、向かいの人の手の動きにとらわれたり、自分が発言したくても発言することによって、皆に注目されるのが恐くて、段々と自分の意見を言わなくなりました。そして、人に話しかけられたとき、私も話そうとすると鼓動は早くなり、嫌な汗が出、頭は真っ白になり、自分でも、何を話してるのかわからなくなりました。

そんな状況があまりにもつらく、なんとかしたい一心でインターネットで自分の症状を検索し、生活の発見会(神経症の自助グループ)の存在を知りました。

2003年1月に初心者懇談会に参加し、会の説明のビデオを見せてもらい、ここならなんとかなるかもと、暗闇に光が射したような希望が湧いてきました。私と同じ症状で悩む人がいて、今まで誰に話しても 理解してもらえないと思っていた症状を話しても分ってもらえ、とても嬉しかったです。その年の3月に初めて集談会(生活の発見会の会合)に参加して温かく和やかな雰囲気にとても癒され、また先輩方の生き生きとした表情に勇気付けられました。症状に関しては、つらくても必要な事には手を出していくということを教えていただきました。

2003年8月、正式に生活の発見会に入会し、学習会では、神経症の成り立ちや、性格特徴、行動の重要性を教えていただきました。そこでいかに自分は今まで間違った認識をしていたかに気づかされました。またその頃、同じ学習会や集談会で一緒に勉強している仲間が短期間で良くなる様子を目の当たりにし、やればできるんだと勇気付けられたと共に、自分が何もしていなかったことに気づき恥ずかしくなりました。今までは集談会に参加しても、行けば誰かが治してくれると他力本願的な考えで、自分で進んで何かをするということはなく、いつも受身の状態だったからです。学習会受講以降、世話役を積極的にこなし、行動を素早くする事で、それまで症状にばかり目が向いていた自分が外に対してもきちんと反応できるようなっていきました。落ち込んでも立ち直りが早くなり、感情が流れていくことを実感しました。

またこれまで半年程、薬を飲んでいましたが、学習会受講中に思い切って止めました。止めてすぐは症状を強く感じる気がし不安になりましたが、Mさん(当財団職員)の励ましのおかげで無事乗り越えることができました。またその頃、Mさんや発見会の仲間が自転車(ロードレーサー)に乗っていて、その影響で私もロードを始めるようになりました。ロードとの出会いは更に私を外の世界へと連れ出してくれました。初めてロードに乗って眺めた夕日の美しさが今でも胸に焼き付いています。ミーハークラブの皆さんと一緒に出かけて自然を満喫してきました。自転車に乗り、本当に基礎体力の重要性を改めて感じました。

2005年10月には合宿に参加し、神経症を敵視しないで、大切な神経質の原石を磨きあげることの大切さを教えてもらいました。ありのまま、あるがままの自分で良いんだ、症状ひっくるめて自分なんだということに気づきました。そこでは素直な自分を体いっぱい表現出来ました。この合宿は、勉強の教材も、毎日の食事作りもすべて手作りでおこなわれました。特に二十代の若い方が、涙を流しながら、本気になって体当たりで先輩にぶつかっていく様子に、私もそして多くの人が涙を流しました。勉強が終わると、真っ暗な空には、満天の星空が浮かび上がってきます。星空を眺めながら、毎夜、遅くまで笑いと話し声が続きました。また、集談会で非公開でおこなわれている、それこそ信頼関係のおける仲間内でのインターネットの掲示板で日記を書くことにより、素直に自分の気持ちを表現できるようになりました。同時に多くの人も日記を書き始め、生活の工夫が沢山発見できました。もう、病的に人の思惑を気にしなくなりましたし、多くの仲間の頑張る様子を拝見させていただくことで、自分も頑張ろう、負けていられないと良い意味での相乗効果が生まれました。

神経症になった当時は、「どうして自分が」または「自分だけが」と、神経症になった自分を呪いましたが、今は神経症になったおかげで森田療法に出会い、こんなにも素敵な仲間に出会え、のほほんと過ごしていたかも知れない人生を、もっと真剣に、味わい深い人生が送れるような気がしています。私は33才の時に森田療法に出会ったのですが、本音を言えば、20代で出会いたかったなぁと思います。20代のほとんどを、症状を敵視して、症状のことばかり考えて生きてきました。

森田に出会って、症状よりも、もっと大切なことがある事に気付かされ、ハッとしました。今、悩みの最中にある方々に、その事に早く気付いてほしいと思います。せっかく神経質で生まれたのですから、その特性を活かして、人よりも感じやすいセンサーで、周りへの気配りができるようになれば、とても素晴らしいことだと思います。私もまだまだですが、今という二度と戻らない時間を大切に、精一杯生きていきたいと思います。