2026年3月

3月1日

自分の頭の重さを意識せず、あれやこれやの取越苦労もなく、ただ仕事、あるいは遊びそのものになりきっているとき、それが本来の自分であって、このとき生の力は最大限発揮されるのである。森田正馬

3月2日

本人が頭痛、耳鳴、胃の不快感、便秘、心悸亢進などを気にし、それを病気だと思って心配し、強迫観念にとらわれて取越苦労するとき、それらの症状はますます悪くなり、しまいには仕事も手につかなくなる。ところが、これらの症状がありながらも、とにかく仕事に手を出し、いやいやながらもやっているうちに、いつの間にか仕事そのものになりきり、煩悶(もだえ苦しむこと)や取越苦労を超越したときに、これらの症状はまったく消え失せるのである。森田正馬

3月3日

自分は死ぬことがおそろしいという感情的な立場から世の中を見るときには、その感情に支配されるために、諸行無常、是生滅法(ぜしょうめっぽう)という人生の事実について考えることさえ恐ろしくてできない。そこで、何とか安心できるように事実を曲げて自分の都合のよいように判断しようとし、その結果いろいろの縁起や御幣(ごへい)かつぎがおこるのである。森田正馬

3月4日

憂鬱な悲観的な気分に苦しんでいる人があるとすると、その人はその苦痛からのがれようとして無理に楽天主義な人生観を工夫し、世の中の事実をゆがめてまでも安心を得ようと努力する。そこにいろいろの迷信妄想が生ずるのである。森田正馬

3月5日

しずかに自分を観察して、自分が死の恐怖、あるいは憂鬱な気分にとらわれていることをつきとめ、気分は気分、仕事は仕事と、はっきり区別して考えるとき、そこにはじめて正しい人生観が生れ、自分をも外界をも事実に即して正しく判断することができるようになる。森田正馬

3月6日

対人恐怖で、もし恥ずかしいという心がなくなったら、それは図々しいすれっからしになる。可憐とか可愛らしいとかいうのは、恥ずかしがりが、第一の条件である。森田正馬

3月7日

赤面恐怖でも、治らぬ昔は、ただ一途に、恥ずかしがってはならぬと考えていたのに、治ってみると、昔と違って、恥ずかしがりのかけひきが微細になっている事に、自ら気がつく。森田正馬

3月8日

恐るべきを恐れてはならないというのを「思想の矛盾」といい、悪知といい、それは決して人間の心情の事実ではないのである。森田正馬

3月9日

苦しいのが雑念で、面白いのが空想である。砂糖は甘い、塩は辛いと同じく、いずれも我々の心の事実である。森田正馬

3月10日

すべての事を理屈で考えるから、物を直観し、感じから出発して判断する事のいかに明瞭・正確であり、その力強いものであるかという事を、会得する時節が到来しないのである。森田正馬

3月11日

対人恐怖は、いたずらに恥ずかしがらないように、大胆になるようにと、主義が強く、強情でいけない。森田正馬

3月12日

怖くないように思おうとするから、いたずらに虚勢を張ってかたくなになり、強いて近づこうとするから、相手の迷惑などにも、少しも気がつかず、図々しくなって、しまうのである。森田正馬

3月13日

我々の精神活動にも、表裏両面の二通りの見方がある。すなわち欲望と恐怖・成功と苦痛との両面である。森田正馬

3月14日

神経質の苦しみを体験するという事は、非常に必要な事で、これによってはじめて、悟りに達する事ができる。森田正馬

3月15日

純なる心から出発する時に、そこに本当の人間味が現われてくる。宗教とか道徳とかいう理屈は、少しもいらない。森田正馬

3月16日

不可能と可能との区別を研究せずに、こうありたいと、できないとの二つの間の循環理論になるから、繋驢桔(けろけつ:理屈や形にこだわって自由を失う状況)のように、いつまでも果てしなく行きづまる事ができないのである。森田正馬

3月17日

義務とかなんとか、無理通しの努力がある時には、あたかも強迫観念のように、いつまでも、その苦しい思いがさらないのである。森田正馬

3月18日

神経質の患者が、気分はいかに苦しく、安心は得られなくとも、日常生活が、ますます能率があがり、現実の心身の活動が盛んになれば、それでよい。そこに神経質が全治するのである。森田正馬

3月19日

われわれの最も根本的な恐怖は死の恐怖であって、それは表から見れば、生きたいという欲望であります。森田正馬

3月20日

心配事を安心したり、忙しいのを落ち着いたりしようとするのは、それは「難き(かたき=難しいこと)に求む」以上のことで、まったく不可能の努力であるのである。森田正馬

3月21日

「あるがまま」になろうとするのは、実はこれによって、自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって、苦痛は当然苦痛であるということの「あるがまま」とは、まったく反対であるからである。森田正馬

3月22日

人生は、苦は苦であり楽は楽である。「柳は緑、花は紅」である。その「あるがまま」にあり、「自然に服従し、境遇に従順である」のが真の道である。毎日の心持を引き立たせる最も安楽な道である。森田正馬

3月23日

私は少年時代から四十歳頃までは、死を恐れないように思う工夫をずいぶんやってきたけれども、「死は恐れざるを得ず」ということを明らかに知って後は、そのようなむだ骨折りをやめてしまったのであります。森田正馬

3月24日

夏は暑い。いやなことは気になる。不安は苦しい。(略)それが事実であるから、どうとも別に考え方を工夫する余地はない。(略)ただ、「なるほど」と感心さえすれば、それが事実となって、簡単に治るようになる。森田正馬

3月25日

旅行したいけれども、心悸亢進が恐ろしい。このような場合にも、いたずらに欲望と恐怖との二途に迷うことをやめて、恐怖は恐怖そのままに、欲望に向かって突進するときに、はじめて生滅(生まれる事と死ぬ事=恐怖と欲望)が尽きて、安楽の境地が得られるのである。森田正馬

3月26日

強迫観念の定義は、自分の欲望、目的に対して当然に起こる取越苦労を、取越苦労しないように、思わないようにとかいうふうに、自分の心を抑えつけようとするために、当然心に起こる葛藤の苦悩に対して名づけたものであります。森田正馬

3月27日

(対人恐怖の人に)「弱くなりきる」ということは、人前でどんな態度をとればよいかという工夫の尽き果てたときであって、そこにはじめて、突破・窮達ということがあるのである。森田正馬

3月28日

「生の欲望と死の恐怖」ということは、必ず相対的な言葉であって、同一の事柄の表裏両面観であります。生きたくないものは、死も恐ろしくはない。常に必ずこの関係を忘れてはなりません。森田正馬

3月29日

恐怖そのものに即していえば、恐怖するまいと努力するのでなく、恐怖感情はただそのままに持ちこたえていさえすればよい。森田正馬

3月30日

強迫観念を治すには、恐怖はそのまま忍受して、心配は当然心配するとともに、一方には積極的に欲望に対して、人生を切り開いていく努力をすれば、従来の苦悩も、うなされていた夢の醒めるように治るものであります。森田正馬

3月31日

臆病はそのまま思いきりもっぱら臆病し、心配はそのまま心配すれば、臆病し心配しないようにという煩悶がなくなり、一方には自ら欲望に対する成就の工夫が活動するようになり、苦痛の自覚がなくなるのである。森田正馬