2026年5月
5月1日
一方には思おうとする心と、他方には思うまいとする心との葛藤が起こる。これが煩悶(はんもん:もだえ苦しむこと)である。強迫観念の原理も全くこれと同様である。森田正馬
5月2日
強迫観念の療法は、その精神の葛藤・煩悶を否定したり・回避したりするのではない。そのまま苦痛煩悶を忍受(にんじゅ)しなければならぬ。森田正馬
5月3日
平常心という文字から察すれば、それは自然の心という意味ではなかろうか。死は恐ろしい。電車の中で、今にも死にはしないかと思う時は、当然不安である。そのあるがままの心が、すなわち平常心ではあるまいか。森田正馬
5月4日
神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事も出来ぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。森田正馬
5月5日
兵法でも・強迫観念の治療法でも、「背水の陣」という事が必要になってくる。後に水があって、逃げる事ができないと決まると、勇気は百倍して、死地に入って、初めて生をうるようになる。強迫観念も、逃げる事ができぬ・治す事ができぬと決まれば、そこで初めて全快するのである。森田正馬
5月6日
昼間一日働いて、夜疲れて、眠くなり、彫刻をしても、身が入らない。それはその時と場合における心の状況であって、腹のへらない時に、食が進まないと同様である。なんともしかたがない。森田正馬
5月7日
(食欲のないときに)食が進まなくてはならないとかいって、我と我心に反抗して、自分の心をやりくりしようとするのを「心が内向く」といい、「自然に服従しない」というのであって、この反抗心が心の葛藤となって、強迫観念の元となるのである。森田正馬
5月8日
およそ強迫観念の心理は、我心の自然発動に対して、これに反抗しようとする精神葛藤である。森田正馬
5月9日
人前で恥ずかしがってはいけない、物を汚いと思ってはならぬ、死を恐れてはならぬ、腹立ち・盗心・悪心などを起こしてはならぬとかいって、強いてその心に反抗しようとする時に、おのおのそれに対する対人恐怖・不道徳恐怖とかいう強迫観念を起こすようになる。森田正馬
5月10日
我々の日常は、一挙手一投足にも、常にどうすればよいか・という迷いと、心の葛藤とは、寸時も離れる事はできないし、またこれが多いほど、その人の生命が充実している、という事を忘れてはならないのである。森田正馬
5月11日
拮抗作用というのは、つまり「したい」と「できない」との間の迷いであって、この迷いの複雑で大きいほど、精神の発達した修養の積んだ人である。森田正馬
5月12日
我々はあまりに主義を立て過ぎて、それにとらわれると、かえってその通りにならないで、逆に目的と反対になる事が多い。私はそれを「思想の矛盾」と名付け、禅で「悪知」というのも、たぶんこの事かと思っている。森田正馬
5月13日
我々の日常生活は、実際において、まず第一に、時と場合における「感じ」から心が発動し、種々の欲望が起こる時に、それに対して、理知により、理想に従いて、自分の行動を調節して行くのであって、すなわち第一が「感じ」で、次に理想が働くのである。森田正馬
5月14日
例えば時間がたてば腹がへり、ご馳走を見れば食べたくなる。これが「感じ」である。その時に、今日は下痢しているからとか、人前で行儀悪くすると、笑われるとか考えるのが理知である。この「感じ」と理知との調節によって、人はその行いが、正されて、初めて理想にもかなうようになる。森田正馬
5月15日
努力主義を立てて、勉強しなければならぬ、読書に集中しなければならぬという風に、理想を押し立てると、読書しても、雑念がそれからそれと起こり、興味を失い・理解ができず、ついには読書の事を思い出すも恐ろしいという、読書恐怖の強迫観念にかかる。森田正馬
5月16日
いやな事を、いやでなくしておいて、それから手を出そうとするのが、神経質の通弊(一般的に共通して見られる弊害や欠点)でありずるいところである。森田正馬
5月17日
試験勉強は、当然苦しい。それで勉(つと)め強いるという。もしそれが面白かった時には、試験道楽というべきである。その苦しいのを面白くありたいと思う時に、読書恐怖になるのである。森田正馬
5月18日
苦しいながら、我慢して勉強するのを、柔順という。その柔順は、初めは、ほんのふりをするだけでも、ともかくも、実行しさえすれば、心のうちの感じは、どうでもよい。これを気分本位を捨てて事実本位になるというのである。森田正馬
5月19日
神経質は、どちらか決めないと、気持ちが悪い。机の上の本も、キチンと直すか・直さないか。(略)。いずれかに決めないと、気がすまぬ。中途半端な事ができないのですね。森田正馬
5月20日
神経質は、時間割をこしらえ、仕事の見積もりを立てて、納得できるまでは、手を出さない。このように、するとしないとの境が、はっきり別れる。森田正馬
5月21日
我々の日常生活はすべて仮定である。仮定という事は、同時に諸行無常という事です。どっちか一方に、必ず決めようとしても、世の中のことは、決して思う通りにできるものではない。森田正馬
5月22日
ここの療法(森田療法)は、(略)、吃音を治そうとするのではない。自由に吃(ども)った方がよい。吃る方が、かえって愛嬌があってよいという。森田正馬
5月23日
「こんな事をして治るというのは不思議な事だ。合点が行かぬ」と思いながらも、黙々として、その通りに実行するのを素直とか柔順とかいうのである。森田正馬
5月24日
自分の考え方で、事実の真相を曲げようとする。これが悪知です。「逃れられぬから、すなわち恐ろしい」という事実を恐ろしくないように考えようとするのが、悪知である。森田正馬
5月25日
恐れをなくしようとすればするほど、かえってますます、アベコベに恐ろしくなる。森田正馬
5月26日
早く眠ろうと眠ろうとすれば、かえってますます眠られなくなる。森田正馬
5月27日
当然あるべき事実を、そうでないようにと、無理に人為的に、作為しようとするのが、僕(森田正馬)のいわゆる「思想の矛盾」である。森田正馬
5月28日
神経質は惰性が強くて、仕事の転換なども、なかなか難しい。それは価値批判にとらわれて、心の葛藤が強いからである。森田正馬
5月29日
読書も仕事も、知りたいため・興味のため・あるいは必要のため・捨てておけないためにするのであって、修養のためにするのではない。森田正馬
5月30日
この「素直」の教えは、最も大切な事で、修養に関する僕(森田正馬先生)の話のいたるところにでてくる事である。孔子の教えは、「仁」という事に帰着するとの事ですが、僕の教えは、この素直という事が、最も大切であります。森田正馬
5月31日
強迫観念や神経質の苦悩は、いたずらに人生観や、生死の問題に関する実際を離れた想像や理屈であって、あたかも夢にうなされるようなものである。一度この理屈や想像を断ち切って、事実そのままになった時には、心は自然に釣り合いがとれ、順調に流れるようになって、神経質の症状が全治するようになる。森田正馬

