2026年6月

6月1日

我々も、昔は人生観を工夫し、生死の問題にも、随分悩んだが、今は全くそんな無用な詮議立てはいらない。実際の生死の事実は、決して想像したり、工夫したりして、解決さるべきものではない。森田正馬

6月2日

人があまり自分の理屈や主張にとらわれると、その矛盾に気がつかずに、自分の実際の事と思い込むようになる事が多い。これが常人の思い違いの最もありふれの事で、これに対する自覚ができれば、その人は強迫観念も治るのである。森田正馬

6月3日

ここ(森田療法)の修養で、最も大切な事は、世の中の事実を如実に・ありのままに認めるという事である。わかりきったようで、存外難しい。理屈にあてはめようとすると、矛盾に陥りやすい。森田正馬

6月4日

問題の中心は、「我々は自分の心を、有効な事ばかりに使い、少しもむだに使わないようにすれば、都合がよい」という事です。この考え方が、皆さんの(強迫性障害や不安障害など)すべてが悩む症状のもとです。森田正馬

6月5日

読書恐怖は、勉強する時は、必ずむだな雑念を起こさず、精神が読書ばかりに集中するようにと努力する事から起こり、不眠症は、寝る時は、最も安易に有効に、熟睡するようにと願う事から起こるのである。森田正馬

6月6日

少しもむだな事は考えないようにするという事は、それはただその事のできる人のみができる事で、普通の人が、その通りになろうとすれば、この考えが起こったその時から、初めてその人は、種々の強迫観念になるのである。森田正馬

6月7日

我々の精神は、感じと観念と活動とは、影が物体に伴うように、決して別々に存在することはできない。同時に起こる現象である。森田正馬

6月8日

神経質の人は、苦しい事は自分ばかりであって、好きな事は人もすべて、自分と同様でなくてはならぬという風に、自分の得手勝手に考える癖があるのである。森田正馬

6月9日

不眠には、客観的に・実際に不眠の事と、眠りは生理的であって、ただ主観的に、不眠を恐れ悩むものと、二種ある事を知らなければならぬ。森田正馬

6月10日

身体の疼痛や、そのほかの苦痛、あるいは精神的煩悶(はんもん:もだえ苦しむこと)などのある時には、当然安眠はできない。森田正馬

6月11日

老子が「大道は無名である。しかし既に無名というも、それは一つの名目であるから、もはや無名ではない」とかいう事をいってある。悟りは事実であって、理論ではない。森田正馬

6月12日

「不潔なものが気になる」とか、「人前で気が小さくて、オドオドする」とかいうような感じや考え方を、そうあってはならぬと、反抗する心の葛藤が強迫観念である。森田正馬

6月13日

不潔とか恥ずかしいとかいう事は、常人の感じであって、ただこれを神経質の人が、自分勝手に思い違えて、これを特殊の病的心理となし、これを否定しようとして、ますます心の葛藤を募らせて行くものが強迫観念である。森田正馬

6月14日

汚い事をする事の嫌いなのも我であり、清潔にしておきたいと思うのも、両面ともに我である。すなわち我を捨てるのではなくて、自我を発揮すると解釈するのである。森田正馬

6月15日

周囲がやかましくて、勉強ができぬといって、山の中などへ転地する事がある。それでも山には、風邪や水の音がある。全く音をなくしようとすれば、ついには耳の中から、耳鳴として聞こえてくるようになる。これが我々の心理的事実であり、決して逃げ抜ける事のできないものである。森田正馬

6月16日

例えば、便所の掃除などは誰も嫌いです。普通の人は、これを「いやという心を捨てて精進努力して、掃除せよ」という風に解釈します。しかしこれはワサビの嫌いな人に、それを好きと思えということと同様に、実は不可能であるから、世人(世の中の人々)は、修養とか捨身とかいう事に、非常の苦難をするのであります。森田正馬

6月17日

吃音恐怖は、自分の談話をうまく上手にしたいという欲望から、起こるがためであろうと思います。森田正馬

6月18日

赤面恐怖は、自分は小胆なもの、書痙は、自分は手の震えるものと決める事で治る。決して虚偽のからいばりをしないという事が最も大切です。森田正馬

6月19日

不眠なり、強迫観念なりが、事実においてなくならなければならない。理屈ではない。できるかできないかが目標である。森田正馬

6月20日

強迫観念の患者は、まず第一に、自分は何を求め、何を目的とするかという事を、つきとめなければならない。それを順々に追求して行くと、しだいに高い目的のある事がわかるようになる。その時に初めて、深い自覚に達するのである。この行き着こうとする目的を忘れて、迷い子になっている有様が、すなわち強迫観念である。森田正馬

6月21日

赤面恐怖の例でみれば、「人前で恥ずかしい」という事と、「大胆になりたい」という事とが循環する。これは「苦しい」と「楽になりたい」と、あるいは「冬は寒い」と「冬を寒いと思わないように」と循環すると同様である。それはある事実と、これを否定したいという事との間に、循環する不可能の努力である。森田正馬

6月22日

不眠を恐れるのは、実は翌日の仕事の能率があがらない事を恐れ、あるいは通俗医書でおどかされるように、病的になり、身体がしだいに衰弱して、取り返しのつかなくなるのを取越苦労するからである。森田正馬

6月23日

ある患者は、「五昼夜間、不眠が続けば死ねる」という事を雑誌で読んで、非常な恐怖に襲われた事がある。不眠そのものが苦しいのではなく、ただその結果が恐ろしいのである。森田正馬

6月24日

赤面恐怖・吃音恐怖が、恥ずかしいことその事が苦しいのではない。実は人前で自分が、立派でありたいのが、その目的である。森田正馬

6月25日

丸木橋を渡る時に、目的は、その目的地に達したいのであって、足元を気にしないように、大胆になりたいとかいう事は、問題にならない、どうでもよいのである。森田正馬

6月26日

我々は、人生の丸木橋を渡るのに、足元を恐れないような無鉄砲の人間になるのが目的でなく、彼岸に至りさえすればよい。坐禅や腹式呼吸で、心の動かない、すましこんだ人間になるのが目的ではなく、臨機応変、事に当たって、適応して行く人間になる事が大切である。森田正馬

6月27日

赤面恐怖は、人前で恥ずかしくなく、図々しい鉄面皮(恥を恥と思わないこと。厚かましいこと。また,そのさま。そのような人をもいう。)になるのが目的ではない。恥を知る人間になって、人から重く扱われたいのが、本望であるのである。森田正馬

6月28日

君は人から、「お変わりありませんか」といわれて、「有難う、お陰様で丈夫です」とかいう事はありませんか。神様を拝むのも、そのくらいの程度がよい。心からお陰様と思わなければ、虚偽であるとかいう風に考えれば、世の中の事は、何事も融通が利かなくなる。森田正馬

6月29日

我々は自分の持前であり、楽にできる事は、それは当然の事であるから、とやかく思想するにおよばない。我々は常に、自分で容易にできないという事に対するあこがれのために、思想し・努力し・煩悶する。それが不可能の努力であった時に、強迫観念になるのである。森田正馬

6月30日

心の内には「自分は病身である。劣等で意志薄弱である」とか、どの様に思っていてもよい。心の内には、苦しみながら・ビクビクしながら・いやいやながら・どうかこうか・人並みの仕事をやっていさえすればよい。森田正馬