2026年9月

9月1日

神経質はそのまま神経質であって、これをいたずらに否定するような事をしさえしなければ、そこにはただ希望に充ちた努力ということが現われるだけである。森田正馬

9月2日

いたずらに劣等感にとらわれる人は、人の会釈笑いを見れば、人はみな朗らかだが自分はとてもだめだとか、人の飯炊きを見れば、人はみな器用でなんでもよくできるが自分は不器用でだめだとか、実に上手に手際よく他人と差別を立てて、自分をへこます事がうまいのである。森田正馬

9月3日

いろいろの事を気にする。それを直ちに強迫観念とはいわない。こんなむだな事を気にしてはならないと、反抗する心が強迫観念であった、この反抗する心が強いほど、ますます気になる事が激しくなるのである。森田正馬

9月4日

神経質は自己中心的であるから、神経質宣伝の必要は知っても、自分の名義を犠牲にしてまでもしようとは思わない。ついでがあり、損にならなければしよう、くらいの程度である。森田正馬

9月5日

弱さに徹するとは、(略)、虎穴に入るにも、大胆に平気になるのではない。ビクビクしながら行く事である。森田正馬

9月6日

理屈でわかるよりも体験ができさえすれば治り、治りさえすれば、理論は容易にわかるようになるから、体験を先にするほうが得策である。森田正馬

9月7日

神経質はいつも劣等感を起こすのが自分の持前であるから、そのまま劣等感になりきっていさえすればよい。森田正馬

9月8日

およそ何事にも偉くなる人はみな劣等感をもち、へりくだった心から、自分の行いを慎み励んでいるものである。高ぶった心の人は、決して優れた者になる事はできない。森田正馬

9月9日

一番いけない事は、「早く泳ぎを覚えたい」とかいう風に、日常生活の境遇に対して、素直に服従するという事をしないで、いたずらに強迫観念を逃れたいとか・早く苦痛を脱したいとか・悟りたいといって空想している事である。森田正馬

9月10日

いおうか・いうまいかと迷う事についても、種々の度合がある。(略)。神経質はいいたくてたまらないで、しかも大事をとるから、心の葛藤が非常に強い。これが一歩間違えば、いおうか・いうまいかの・ただ二道の・堂々めぐりの迷いになるが、これが一転して、よく場合を考え、適切な文句を工夫するという風になれば、上等になる。森田正馬

9月11日

我々は、自分の感情を否定し・抑圧する事は不可能であるが、感情の自然にしたがいて、理知をもってこれを調節する工夫をすれば、楽に心の調和が保たれるようになる。森田正馬

9月12日

能率の事で一番大切な事は、「忙しいほど仕事がよくできる」という事です。和歌・俳句のようなものでさえも、「暇になったら上等のものを沢山作ってやろう」と考えるのは、大きな思い違いです。実際にそうなってみれば、気が抜けて、ちっともできない。森田正馬

9月13日

無精者で、なんでも仕事をおっくうに考え、仕事の見積もりばかりしているような人は、一つ一つの仕事に、ゆっくり取りかかろうとするから、手紙などもかえって書き損じが多くなるのである。森田正馬

9月14日

気が重くて何事にもおっくうな神経質の人が、修養により捨身の態度ができて、気軽に手を出すという事ができるようになれば、それは一つの悟りのような状態であって、ただの軽率とは全く違う。森田正馬

9月15日

(私=森田正馬博士は)まとまった時間を費やして、手抜かりのないように準備を整えようとする。そしてかえって忘れがちになることが多い。森田正馬

9月16日

「辛抱する事がない」という事を精密に言い表わせば、人は「辛抱しなくてはならない」という思想の矛盾がない時には、人間の自然の適応性として、人は自ら日々辛抱しているのである。森田正馬

9月17日

私(森田正馬博士)の「精神拮抗作用」というのも(フロイトの)「抑圧」と似たところがあるけれども、これより広い意味で、宇宙の減少には引力と斥力(せきりょく=反発力)・動と反動とが、常に相対抗し・調節が保たれているように、精神現象も、常にある意向が起これば、必ずこれに対抗する反対観念が起こって、我々の意志・行動が調節されている。森田正馬

9月18日

森田の療法は、かならずしもその病原の観念を強いて追及する必要はない。ただ「拮抗作用」を調節しさえすればよい。この事を私(森田正馬博士)は、「生の欲望と死の恐怖」の調節という事で説明してある。森田正馬

9月19日

強いて恐怖を抑圧しようとか・打ち勝つとか・気を紛らすとかいう考えを一切やめさせて、ただ日常生活の欲望に向かって、心を開放して行くように指導しさえすればよいのである。森田正馬

9月20日

強迫観念も、この理を知って、無理にただ一つの事を解決しようと、もがかずに、素直に境遇に柔順でありさえすれば、苦しい不安でも、水の上のアワのように、水の流れの早いほど早く消えて、跡をとどめぬようになるものである。森田正馬

9月21日

「自分の頭に向くか・向かないか」とか考えるのが、そもそもの考え違いであって、それは例えば、自分には暑さ寒さが向かないとか・苦労する事が不適任である・とかいうようなものである。森田正馬

9月22日

人に会った時、少々気分は悪くとも、独りムッツリしているわけにも行かないから、いやいやながらも笑顔をつくって話しているうちに、いつとはなしに、前の不快な気分も解けて来る事は、誰しも経験のある事でしょう。自分が不愉快だから笑わないというのは、人情に欠けているし、徹底した利己主義です。森田正馬

9月23日

私(森田正馬博士)が神経質者といっている人の中には、よく自分が精神病になるのではないか、煩悶(はんもん)の果てに精神が錯乱し、自殺など衝動的な行為をするのではないかと心配し恐怖する者がある。このような人は、けっしてほんとうの精神異常になったり、自殺や暴行をすることはない。森田正馬

9月24日

精神が発達するにつれて、われわれの心の働きは複雑になり、自分を反省して、変態心理ではないか、人から排斥されはしないか、やがて自分にも死の順番がやってくるのではないか、などと心配するようになる。この自己内省があってこそ、われわれは自分の行動や生活を適切に調節することができるのである。森田正馬

9月25日

神経質症状や強迫観念にかかっている人は、自分の症状や苦痛にばかり執着し、メランコリー(抑鬱症)になっている人は悲観的な気分に支配されてすべてを絶望的に考えるなど現実から遊離し、自分を失ってしまうのである。森田正馬

9月26日

人にはいろんな気質、すなわち心の傾向があって、石橋をたたいて渡る人もいれば、丸木橋を平気で渡る人もある。人が生きていくには、つねに自己内省することが必要であるが、その自己内省にも人の気質によっていろいろな傾向や相違がある。その自己内省が適度であって過不足のないのが正常な人である。森田正馬

9月27日

ある人は、「愛児と散歩してガケのふちなどを歩くとき、愛児をつき落して、もがくありさまをながめてやろうという心がおこる…」と言っている。もちろん、そんな心がおこるだけで、実行にうつすようなことはない。こんな考えをおこしてはたいへんだと恐怖し、なくそうとすれば強迫観念にもなるけれども、そのままに見過ごせば常態である。森田正馬

9月28日

腹立ち、不平、疑惑などは、われわれの心に折にふれて当然おこる感情であるから、その感情のままにあるのを「自然に服従する」といい、親のいましめにいやいやながらも従い、職業上やらねばならぬことをいやいやながらも実行するのを「境遇に柔順である」というのである。森田正馬

9月29日

たとえば先生(森田正馬博士)の言葉が無理のように思われても、ひょっとしたら先生の言うことが正しいかもしれないと考えるのを科学的には「仮説」といい、先生の言うとおりに実行するのは「実験」に相当し、その後年月を経て先生の言われたのは正しかったとわかるのが「証明」である。

9月30日

学生が試験準備に数学の勉強などをやるときなど、やさしい問題はわかっているからと思ってそれを練習せず、むずかしい問題は手をつけるのをおっくうに思って先にのばす、というようなことがよくあるが、それはあまりに価値批判にとらわれすぎたためである。森田正馬