普通神経症の部屋

ゼロさんは胃腸症状や動悸など様々な身体症状に悩んでらっしゃるのですね。
症状がありながらも仕事や運動を続けていくというのは森田療法の中でも大切な所です。まずは症状のカラクリをお伝えしましょう。

  • ★Q:質問
  • 雑音恐怖症の克服についてアドバイスをお願いいたします。
    数年ほど前からあることをきっかけに、自宅マンションの近隣住民の立てる音に対し、異常に反応し、怒りの感情が抑えられなくなってしまいました。
    同居している家族は全く気にならないレベルの音らしいのですが、自分にとっては耐え難い音です。
    きっかけとなった「あること」とは、早く寝る必要があった時に、上階の住民が激しく音を立てたために 、寝付けなかったことがきっかけです。
    それ以降、近隣から微かに聞こえる音や声が非常に気になるようになりました。近隣住民の生活音を監視 しているかのような感覚です。
    その他の音(外からの車の音や、家族が立てる生活音など)は全く気になりません。この状態を何とか克服したいと考えています。
    何か自宅でも実践できるような解決策がございましたらアドバイスをお願いいたします。
  • ★A:回答
  • 数年前から自宅マンションの近隣住民の立てる音に対して、異常に反応し、怒りの感情が抑えられない、同居している家族は全く気にならないが、自分にとっては耐え難い、とのことですね。雑音というのは、日常生活につきものですが、時として非常に気になり、不快なこともありますね。大変お疲れ様です。そのお気持ちはよく理解できます。
    また、きっかけは、早く寝る必要があった時に、上階の住民が激しく音を立てたために寝付けなかったこととのことですが、怒りの感情が起こって当たり前ですね。その感情も自然なものです。それでいいのです。その感情の中でどのように考え、行動するかが重要です。さらに、近隣から微かに聞こえる音や声が非常に気になり、近隣住民の生活音を監視しているかのような感覚がある、とのこと、自分の状態にもよく気がついておられますね。
  • それは、森田療法でいうと、とらわれによる悪循環で説明できると思います。音が気になるあまり、音の感覚に注意を向けてしまうことで、その感覚がさらに敏感になり、一層音が気になる、という悪循環です。森田療法ではこの悪循環を取り上げますが、これ自体も具合が悪い時には無理のないもので、このような態度が悪い、と決めつけてしまえば、かえってそれにとらわれてしまうことにもなりかねません。そのような自分に気がついておられることはとても大切なことですし、そのような状態を認めた上でどのように行動するかを考えるべきでしょう。さて、このご質問の解決策を考えてみます。
  • 当たり前のことですが、住民の生活音を監視することは生活の目的ではありません。本来の生活の目的とは社会で避けられない雑音のなかでも、ご自分なりに生活していくことだと思います。雑音があれば、怒りの感情や雑音に対する敏感さがあって当然です。雑音と、それに対する自分の心の自然な動きのなかで、目的を果たそうとする勇気が重要です。怒りやとらわれに気づいた時は、治療のチャンスだと思ってください。勇気を発揮する機会だと考えてください。自分の心の動きについて考え込んだりするのではなく、その時に必要なこと、やるべき事にひるまないで注意を向け続けるのです。何かに対して強いとらわれができると、そこから抜け出すには時間がかかることも多いものです。しかし、必ず抜け出せます。行動の積み重ねによってこそ神経症や神経質性格の克服ができるのです。この状態を何とか克服したいとのこと、その意欲が重要です。その意欲を忘れず、焦らず、自分を責めず、一歩一歩とりくんでみてください。
    (鹿島 直之)

Kさんは、お父様を癌で亡くされてから死の恐怖にさいなまれ、ちょっとしたことでも重い病気ではないかと心配し、一つの病院では安心できずに病院巡りをしてしまっている・・・と書かれています。

確かに、身近な人を病気で亡くされると、「自分の身にも起こるのではないか」と心配になってしまうものですね。私達はいつか必ず死ぬとわかっていても、その事実や恐怖心をどこかで見ないようにしているものです。それゆえ、『死』が身近に感じられた時に、その恐怖心にさいなまれてしまうのはとても自然な心情でしょう。 とはいえ、Kさんのように病院を点々としてしまうほど悩んでしまうのは、まさに「とらわれ」の状態ですね。森田先生は、赤面恐怖の患者さんが、「赤くなっているのではないか」と常に自分の状態にとらわれ、悩んでいることに対し、「君は、赤面測量器か?」と言いました。つまり赤面を常にチェックしている姿勢を、「赤面測量器」と例えたわけです。
この患者さんが赤面を気に病むのは、それだけ人前できちんとした自分でいたいと考えたためです。しかし、それがいつの間にか、赤面をしている自分ではいけないと考え、それのみに注意が集中し、一喜一憂する状態になってしまったのです。Kさんの場合も、これと同様のことが言えるのではないでしょうか。
体調を常にチェックし、それに一喜一憂する・・・まさに「身体測量器」ですね。さらに、病院に行っても、その結果を信じられずに病院巡りをするということは、初めからその結果を疑っているということになり、ゴールのない営みになってしまいます。

死の恐怖にさいなまれるのは、それだけ「生きたい」という欲求が強いためです。同じ人生であれば、充実した毎日を送りたい、そして何よりも健康に長く生きたいと思うのは自然な欲求です。しかし、そのために不安を排除しようとあれこれ心配し、折角の時間を病院巡りや体調を懸念することばかりに費やしてしまうのは勿体ないことです。たった一度きりの人生です。健康に毎日を送りたい、そして何よりも充実した生活を送りたいという本来の欲求を生かすために、いかに『今』を大切に生きるか?同じように悩むのであれば、日々の生活をいかに充実させるかに悩み、試行錯誤をしてみたらどうでしょう。きっと病院巡りとは違う、手ごたえを実感できると思います。
(久保田 幹子)

Sさんは、どうしても仕事で行き詰ると休んでしまい。家で寝込んでしまいます。
と書いています。そしてその行き詰まりとして

  • 周りの人とうまくいかない、気軽に話せる人がいない
  • 仕事の量が減ってきて暇になってきている
  • 困っても相談できる人がいない

・・・という三つを挙げています。
「出勤できない」、このような悩みは病院や健康管理室を訪れる人の中でもとても増えているのを感じます。

まず項目ごとに見ると、一番目と三番目は「対人関係の問題」としてまとめられますね。たしかに、対人関係は仕事の潤滑油、と言われるくらい、仕事の重要な一部。けれども「気軽に」「うまく」と考えてしまうと、逆にとらわれてしまうものかもしれません。「気軽に」の部分はちょっと括弧に入れて、まず仕事で必要なことからコミュニケーションをとってみては?即、打ち解けて相談、というわけにはいかなくてもまず「困っている」ことを周りに伝えてみましょう。

二番目の「仕事の量が減ってきて・・」これは、どういう状況でしょうね。最近では部署の再編など、さまざまな状況が考えられます。「今日、自分が行かなくっても・・」という思いに駆られてしまうような、「張り合いのなさ」を感じてしまっているのかもしれませんね。これはMさんのアドバイスにあった森田先生の仕事に関する話にも通じることですが、仕事はもちろん、それ以外のことでも「感じ」から出発してみるという森田の知恵があります(もちろん気分がのらないから仕事を休む、という意味ではありません)。職場であれば例えばデスク周りの「これをこちらに置いたほうが使いやすい」といった小さなことでも、とにかく目に付いたことに手をつけてみるというやり方です。仕事以外でも、自分はどういうことをしているときに楽しいと感じるのか、通勤の途中で目につくものを書き留めておくのもよいでしょう。

ひとつ気になったのは、Sさんの書き込みが少し抽象的で、具体的にどんなことに困っておられるのかがわかりにくいことです。大きく「行き詰まり」と捉えてしまうと、自分では対処できない問題のように思えて、圧倒されてしまいます。 そこでお勧めしたいのは「会社勤めは合わない」と大きく結論する前に、具体的な状況を書き出したり、誰かにお話されることです。ご自身の日記に書き記してみるのもよいと思いますし、治療を受けられていたり自助グループに参加されているようでしたらそうした場で話されるのもよいでしょう。

まず職場にどんな人達がいて、誰にどのようなことを言われたとき「うまくいかないと」感じるのか、あるいは仕事でどのようなことが起こったときに合わないと感じるのか、具体的にしておかれるとよいでしょう。そのときのご自分の感情も、悔しかったのか、悲しかったのか、腹が立ったのか、落胆したのか、恥かしいと感じたのか・・など、具体的にしておくとよいと思います。そうすることでもしかしたら「休みたい」と感じてしまう以前の「無理をしてしまうやり方」がみえてくるかもしれません。問題を具体的にして、小さく区切って、手の付けられるものにしていくのも森田の知恵のひとつです。

Sさんは、心の奥底に完全欲があるからこそ「会社勤めは合わないのではないか」と感じ、「生活」という現実から離れるわけにはいかないと感じているからこそ悩んでいるのではないでしょうか。
(塩路 理恵子)

こんにちは、Fさん。現在Fさんは、強い吐き気と胸部圧迫感、そしてめまいなどといった自律神経症状に悩まされているようですね。さらに文面から察するに、このような自律神経症状を引き起こす背景には、Fさんの心理的要因が色濃く影を落しているように思いました。その原因が、小学校時代のいじめ体験によるとすれば、さぞかし辛かったことと思います。恐らく、この体験は、Fさんの心の傷になっているのではないでしょうか。しかし、一方でFさんは、この状況を克服し回復したいという思いを強く持っています。この思いは、Fさんが回復する上で大きな原動力となるはずです。
この思いを生かすためにも、どう回復を図るかが大切になります。現在、Fさんの様々な自律神経症状の程度は如何でしょうか? 日常生活をあまりにも脅かすようであれば、その症状を緩和する手立てがまず必要となるでしょう。その際、抗不安薬などの向精神薬が、ある程度症状緩和に役立つはずです。しかし、服薬だけが、Fさんを回復に導くわけではありません。

つまり、Fさんの自律神経症状を助長したであろう心理的側面に触れる必要があると思います。その際、Fさんは心のどこかで「過去の辛い体験さえなければ、自分はもっと充実した人生を送れるのに」といった考えにとらわれ、自分の人生を否定し続けていたのではないでしょうか?辛い過去であれば、取り除きたいと思う気持ちは何ら責められるべきことではなく、むしろ当然だと思います。
しかし、取り除けない過去を取り除こうとするあまり、過去へのとらわれを生んでいたとすれば、無理を可能にしようとして心が常に綱引きをしているようなものです。当然、心は絶えず緊迫し、自律神経症状が出現したとしても何ら不思議ではありません。つまり、Fさんは、過去を取り除くことに全エネルギーを使っていたのだと思います。そうだとすると、過去を取り除く戦いから一旦手を緩め、過去を否定せずに認めていくことが大切になるでしょう。さらに、このことを踏まえ、今を少しでも良くしようと目前の生活に打ち込む姿勢が、Fさんの過去へのとらわれを回復する上で重要なのだと思います。過去を受け入れ、今に打ち込むことは、そう容易いことではありません。
しかし、このような姿勢を続けることことは、Fさんに新たな発見と自信を与えてくれるはずです。症状回復の上でも大きな助けになると思います。大変ですが是非頑張って欲しいと思います。
(樋之口潤一郎)

Wさんは、二つの点についてフォーラムでのアドバイスを求めてこられました。

  1. 独学で森田療法を習得するのは限界があるのか?
  2. 症状を人のせいにしてしまう考えを、どうすれば改められるか?
  1. Wさんは、熱心に森田療法の勉強を続けてこられたようです。ついつい自分の行動に見返りを求め、「これをすれば症状はましになるんだ」と思いながら行動しているとありますが、そのことに気づき、どうすればそこから脱皮できるかと真剣に悩んでいるからこそ書き込みをされたのでしょう。森田療法を知らない神経症の人が、たいてい症状本位のあり方を問題にしていないのとは対照的に、Wさんがそのようなあり方が症状へのとらわれに結びついたものだということを自覚されたのは、独学の成果だといえます。しかもこのフォーラムを利用して、他の人の助言を求めるという姿勢自体が、独学に起こりがちな一人相撲から脱するための大切な第1歩だといえるでしょう。フォーラムでいろいろな人の意見を大いに参考にし、またMさんが言うように、よくなった人達と関わりを持ってみましょう。それでもなお上記のジレンマからなかなか抜け出せないようなら、そのときは入院森田療法の体験が転機になりうることを付記しておきます。
  2. 苦しい症状が続いている最中には、症状の原因を自分以外の他人や環境のせいにしたくなることも自然な心情です。それだけ自分の問題として捉えることには困難が伴い、また時には他人のせいと考えることで一時的に苦痛が緩和され、持ちこたえることができる場合だってあるでしょう。それだけに、「他人のせいと感じることは誤りだから、そう感じないようにしよう」と思っても、感情の問題は思うようにはコントロールできないのです。そう、我々は自分の感情を自在に操ることはできませんよね。ですから、人のせいだと感じてしまう気持ちは、無理に改めなくてもいいのです。しかしそう感じたとき、どのような態度を取り、どのように振舞うかはまた別の問題です。気分に流されて相手に愚痴を言ったり責め立てたりすれば、いっそうそのような腹立ちの感情が増幅してしまうものです。そのような振る舞いには及ばず、気分は気分と心得てやせ我慢しながら、建設的な行動を続けていくことを森田療法では教えています。気づいたときには、相手に対する恨みの気持ちがおのずから変化しているかもしれませんよ。
    (中村 敬)

Sさんへ
引越という新たな局面になると大変だというお気持ちになりますよね。引越の際にすることはたくさんありますからね。今まで置いてあった家具の移動や不必要なものの処分、、、。考えただけで誰しも嫌になりますよね。

以前このアドヴァイスで書いたと思いますが、Sさんの「うつ状態」がどのような状態かによってアドヴァイスの方向性が変わってきます。憂うつな気分や色々なことへの興味がなくなっているようなことが毎日のように二週間以上続いているようなら、引越のような新しい局面に直面することは避けた方が良いです。引越を契機にうつ病になる「引越うつ病」といった言葉があるくらいですから。引越のこと以外のことが普通にできていて、引越のことから気がめいってしまうが、気分転換すると気分が流れていくのであれば、いわゆる「うつ状態」とも言えないでしょう。うつ状態でなければ、面倒な気持ちを持ちながらでも引越に必要なことを少しずつ進めていかれてはいかがでしょうか?
この「少しずつ」が大事で、一度に色々片付けようとすると大変ですからね。また引越自体は大変と思っても、引越した後きれいな場所に住むと思うと嫌な片付けもできるかもしれませんね。
(舘野 歩)

yさん、こんにちは。化学系の大学に所属され、「手が震える」ことに悩みながらも、「手が震えながらも」実験に勤しんでいるようですね。この調子です。yさんの「手が震える」症状の背景には、おそらく「失敗しないように実験をしたい」「実験を成功させたい」という気持ちが人一倍強く存在するのでしょう。こうした「より良く生きたい」という気持ちが強ければ強いほど、「失敗したらどうしよう」という不安も強くなるものです。では、どうしたら良いのでしょうか。

森田療法では、こうした起こるべくして起きている「不安」をコントロールしようとするのではなく、不安は不安として抱えながら、目前のなすべきことに1つ1つ取り組んでいくこと(目的本位)を目指します。
yさんは見事に実践されていますね。何よりもyさんが明るく、生き生きと過ごされている様子はすばらしいと思います。「失敗することも、成功することもある」それが我々人間の等身大の姿です。であるからこそ、「失敗を恐れるのでもなく、いつも完璧を目指すのでもなく、今できることをコツコツと取り組んでいくこと」それが我々人間に出来る最善の道となりましょう。
(川上正憲)

Sさんは「仕事でたまる疲労に対して、疲労感はどうすれば取れるのでしょう?」と悩まれています。
疲労であれば体内の乳酸を調べたりするとわかるかもしれませんが、疲労感という感覚は、個々人において違うものですね。ご存知のように気にすればするほど強まるものです。森田先生は、体を使って疲れたら手先を使うようにするなど、休息も休むことに重点を置くのではなく、仕事の転換に眼を向けていました。Sさんは奥様の勧めで草取りをされ、やっているうちに、いろいろな雑草があることやうまいとり方がわかってきて、草をとるだけではない楽しみや達成感を感じられたようです。

他にも、集談会に自分は気が進まないものの、とりあえず参加してみる姿勢はすばらしく、自身の気分や観念に縛られるばかりではなく行動しようとする意欲も感じます。この蓄積が自信にもつながりますし、更なる行動への後押しになっていくと思います。

また、先日お父様が亡くなり一人で暮らされているお母様を気遣っておられるのですね。Sさんのショックも大きいと思いますが、お母様も大切な人を失い大変寂しいときだと思います。これまで介護などの疲れもあるでしょう。不安があり会いに行けないとのことですが、Kさんが書かれている案など出来る範囲でやってみられるのもよいと思いますし、お母様の心情を察して心配している気持ちを伝えるだけでも違うと思います。

これまでも転職を考えたり、体調が悪く仕事を休んだりもされていますが 、その度にこの掲示板で自分自身の気持ちを整理されているように感じます。症状があるかないかにとらわれるのではなく、行動を広げSさんらしい生活が出来るようになることを心から祈っております。頑張ってください。
(矢野勝治)

「恥 プライドとあるがままについて」

復職して、半年! 当初あった強い疲労感も改善し、日記を 読み返してみると 今の自分は 順調に社会復帰しているのが わかります。この調子で、自分の体調最優先でやっていきたいと思うのですが、会社に行き懸命に働く正社員の人々と接しているとその考えが揺らいでしまい、つい無理をしてしまいます。
僕の病気の事をなんとなくわかっている周囲からは何も言われていないのですが、周りによく見られたい、恥とかプライドがついつい勝ってしまいます。栄辱よりも自分自身の方が大事だと最近読んだ老子の言葉に納得してすごく救われたのですが、あるがままの自分を受け入れるのはなかなか難しいですね!

回答 「栄辱より自分自身が大事」

sさん、こんにちは。復職されて半年になるのですね。当初の強い疲労感も回復し、順調に社会復帰しておられるとのこと、何よりです。
誰でも疲れがちな復職の当初を乗り越えられ、頭が下がる思いです。自分の体調最優先でやっていきたいが、懸命に働く正社員の人々と接すると、考えが揺らいでつい無理をしてしまう、とのこと、よくわかります。周りによくみられたい、恥とかプライドがついつい勝ってしまう、これも自然なことです。

一般に、うつ病になりやすい人々は責任感が強く、完全主義になりがちで、周囲と自分と比べて完全にしようと努力するものです。しかし、その責任感がときには状態を悪化させることも少なくありません。おそらくsさんも、責任感に富むかたなのでしょう。持ち前の責任感もあって、ここまで順調に社会復帰できているとも思われます。

ただ、今後の勤務を考えたとき、周囲のペースに巻き込まれず、自分のペースを保つ、ということも重要です。sさんが感じておられるとおりです。また、うつ病の方が周囲から何も言われなくても、恥やプライドを気にして自分を追い込むこともよくあることで、注意する必要があります。

うつ病は会社での対人関係のストレスが背景にある場合が多く、かつ、会社内で個人の業績を重視する傾向がある最近では、そのストレスは強くなっているようです。そのため、いかに周囲のまなざしの中で、自分のペースを保ち、あるがままの自分を受け入れていくかが、とくに最近では重要なことなのです。
自分を受け入れ、追い込まないことが、結局周囲のためにもなるのです。おそらくsさんのように素直で、責任感があり、粘り強いかたなら将来的にご自分の満足がいくまで仕事が出来るようになるでしょう。しかし、そこまでの過程では、焦りは禁物であり、仕事の負担はゆっくりと慎重に増やしていくべきです。順調にやってこられた半年間を振り返ってみてください、そのペースでいいのです。ここまで良くなったのだから、さらに良くなります。しかし会社のためにも、自分のペースを守ってください。それは難しいことですが、責任感を本当に生かすことでもあります。なお、「栄辱よりも自分自身の方が大事」との老子の言葉に納得したとのことですね。老子のいうとおりです。責任感に富むひとこそ、仕事が全てであるかのような、一面的な価値観に時折とらわれてしまいがちなものです。ときには老子をひもとき、肩の力を抜いてください。ご自身の人生を大切にすることが、真に仕事を全うする道なのです。
(鹿島 直之)

こんにちは。SAさんは「自分の記憶が無いときにレイプされたのではないか」といった強迫観念、さらに身の安全を確かめずにはいられない確認行為に悩んでおられるようですね。

強迫症状は不合理であると分かっていても意に反して襲ってくる不安・恐怖ですからさぞかし辛いと思います。こんなとき出来ればすぐにでも不安を取り払いたいと願うのが人情でしょう。だから、SAさんは、「大丈夫である」といった言葉を求めて確認の旅に出たのだと思います。しかし、この旅は、果たしてSAさんに本当の安心感を与えてくれたでしょうか?

おそらく答えはNoでしょう。確認の旅は、安心感を与えないばかりか、余計にSAさんの心を不安と恐怖の渦に突き落としてしまったのだと思います。つまり、SAさんは、この確認の旅を諦める必要があるのです。
けれども、その一方でSAさんは、より充実した人生が送れるようになりたいという思いから、このフォーラムに参加されました。
「レイプされた被害者として生きたくない」といった思いも、SAさんの「より良く生きたい」といった心の裏返しなのだと思います。そうだとすると、SAさんは、確認の旅を諦める代わりに、新しい旅に出る必要があります。

それは、「より良く生きたい」といった思いを日常の生活に生かすことです。つまり目前の生活を丁寧に送る現実の旅に出ることが大切なのです。この旅を通じて、確認の旅では決して得られなかった生活の手応えをSAさんは、初めて得ることができるのだと思います。これこそがSAさんの本当に求めていたものではないでしょうか?しかし、この手応えは、最初から得られるものではありません。「大丈夫であろうか?」といった不安や恐怖の中から少しずつ生活に着手する粘り強い姿勢が必要になってくるのです。始めは、上手くいけないことも多いでしょう。けれども、この姿勢を崩さないで頑張って欲しいと思います。
SAさんにとって豊かな現実の旅であることを祈っています。
(樋之口潤一郎)

SAさんは、以前も疾病恐怖で悩み、森田療法でそのとらわれは改善したとのこと、「それなのに、酔って記憶を断片的に無くしたときに自分は強姦されたのではないか?という不安にとりつかれてしまった。」「ぶり返しました・・」と書いています。具体的な状況がわからないので、一概にいうことはできないと思うのですが、以下のことはそうした事態が起こった可能性がほとんどないとき、という前提で書きます。

酔って記憶が断片的にないとき、「とんでもないことをしたのでは」という不安に駆られることは、日常でもままあること。ましてや女性がそのようなことがあったのでは、と考えたなら不安でたまらなくなるでしょう。
酔ったときの記憶というのは完全に「こうだ」といえないだけに、あやふやで不安になってしまいますよね。
「考えれば考えるほど記憶があやふやでグルグルに入ってしまいます」とご自身でも書かれています。不安を消そうとして、100%の答えを出そうとしても、「考えないように」としても、不安はますます強くなってきます。

森田先生も「一波をもって一波を消さんと欲す、千波万漂こもごも起こる」というたとえをあげています。すなわち、水面の波を消そうとして石を投げ込むとますます波が広がる、鎮めるためにはそのまま待つのが一番というわけです。
「100%の答え」が出ない不安は抱えつつ、この悩み以外の日常生活もぜひ大切にしてください。不安を無理に消そうとせず待つことができると、時間も味方してくれますよ。
きっと疾病恐怖を乗り越えた経験は今回も役に立つことでしょう。
そしてその不安をお酒の飲み方、とか酔ったときにお友達に味方になってもらって自分を守れる状況を作っておく・・などの現実的な対策に生かしていくとよいのでは? 不安が自分を大切にすることに生きるといいですね。
(塩路 理恵子)

お二方とも睡眠のことでお悩みですね。
まず朝早く目が覚めること(早朝覚醒)についてです。早朝覚醒があるときには「うつ病」から出現している場合があります。早朝覚醒だけでなく、日中に憂うつな気分、興味の喪失や食欲低下といった症状が毎日のように少なくとも二週間以上続いたりした場合には、治療薬として睡眠剤だけでなく抗うつ薬も必要になってきます。st様、うつの症状はありませんか?もしうつの症状があれば精神科か心療内科の先生に相談してみましょう。

以上のような早朝覚醒でなく、実際には睡眠時間が取れているのに眠れないことへとらわれている場合、神経質性不眠と診断します。この場合は睡眠を万全に整えたいという欲求が強すぎ、睡眠をきちんととらなければならぬと思えば思うほどますます睡眠へ注意が向き眠つけなくなってしまうわけです。Ht様の場合ですと、子育てをきちんとしたい、あるいは引っ越した後もうまく生活していきたいと思う気持ちが強いがために睡眠を充分取らなければとの意識が大きくなり、睡眠への「とらわれ」が強くなったのではないでしょうか?このような時は睡眠を充分取る取らないということでなく、日中起きている間の生活へ目を向けましょう。具体的には子育ての仕方であったり引越し後の生活ということになってきますよね。Ht様は今悩みながら子育てをしたり、引越し後の生活に徐々に慣れていくことが重要でしょう。両方とも日々大変でしょうけどなんとか粘っていきましょう。応援しております。
(舘野 歩)