普通神経症の部屋
「とらわれ」は過大な「生の欲望」から生まれる '10.12
お仕事へいかれても頭部の違和感が気になり大変そうですね。また人前だと自分の動きで人に気を使わせている感じがしてさぞかしお辛いかと存じます。
そんな中、図書室に来て管理人さんのことが頭に浮かび安心する場があって良かったですね。緊張もされるようですが、「いつものこと」とおっしゃっており、少しずつ緊張感を抱えつつ「図書室にいたい」気持ちを優先できているのがわかります。まず等身大の自分でいいと感じることができる場を大事にしていきましょう。 森田先生は、当然あってよい感覚を排除しようとすればますますそのことへ注意が向き「とらわれ」てしまうと述べています。頭部の違和感を異常なことと思い排除しようとしすぎてはいませんか?これは森田先生の言う「思想の矛盾」に相当します。あって良い感覚を排除しようとする背後に「頭の中を万全な体制にしなければならない」といった意識が強いことはありませんか?この構えの中に強い何らかの「生の欲望」があります。例えば、仕事を完璧に行いたいために頭の中を完全な状態にしたい、といったようなことになります。「人前だと自分の動きで人に気を使わせていないか気になる」という言葉の背後に「過大に周りを配慮している」気持ちが見え隠れします。それはすなわち「周りからよく思われたい気持ちが強い」からではないでしょうか?
Mさんは症状へ「とらわれ」悲観的になっていますが、実は「生の欲望」が過大だからこそ、頭部の症状や周りを配慮することへ「とらわれ」ているのではないでしょうか?森田先生は「神経質は上等だ」と述べられています。頭の違和感を抱えつつ、そして周りへ適切な配慮をしつつ、お仕事へ行かれていらっしゃる中で、もっとご自身を発揮されていうことを祈っています。
(舘野歩)
「縁起恐怖について」 '10.11
Mさんは、靴などを新しいものに変えると、悪い事が起きるのではないか、仕事で失敗するのではないか、と考えて、古くなっても替える事が出来なくて困っていらっしゃいます。一般的に色々な場面で縁起が悪い事を気にするものを縁起恐怖といいます。しかし、縁起を担ぐ事が全て症状とは言えません。日本人は比較的、縁起を担ぐ方が多く、プロスポーツ選手などでも「試合の日は○○を食べる」や「グラウンドに入る時は右足から」などと決めている人は多いようです。問題はその事で日常の生活に不自由をきたしているかどうかです。例えば、数に関する事では4や9は縁起が悪い、7は良い数字などと決め、何をするのも4を避けたり、それを打ち消すために7を思い出したり、7回やり直したりするようなものが代表的です。
平たく説明すれば、強迫症状というのは「分かっちゃいるけどやめられない」というものですから、Mさんは縁起恐怖を主とする強迫症状で困っているといえるでしょう。また、もしかしたら靴や服などは古くなっても履いたり着たりできるうちは、なんとなくもったいなくて捨てられないという気持ちもあるのかもしれません。しかし、穴があいていたり、実際落ちない汚れが目立っていたりしていたとすれば、人前で使うのは少々恥ずかしいかもしれません。ある意味、どんな事でも何かを終わりにするというのは、覚悟がいるものです。しかし、卒業があるから入学や入社があるように、何かを終わりにしないと、新しいものは始まらないものです。
Mさんはおそらく「今日一日何事もなく無事に過ごしたい」あるいは「ちゃんと仕事を成功させたい」という気持ちが強いがために「何か悪い事が起きるのでは?」「仕事で失敗するのではないか?」と不安になるのでしょう。しかし、「今日、絶対に悪い事が起きない」「仕事で絶対に失敗しない」と保障する事はどんな人にも出来ないものです。それゆえにこれらの不安をゼロにするのは不可能だと思います。ですから、いつもの靴であろうが新しい靴であろうが、不安はそのままに、仕事を着実にこなしていくというのが現実に即した行動だと思います。他にもこのホームページ上にも沢山のアドバイスが載っています。参考にされてみてください。そして、森田療法の考え方がある程度頭で理解できたら、行動に踏み切ってみましょう。頭と体、両方使って森田療法を実践する事が大切です。是非とも頑張ってください。
(谷井一夫)
「森田療法における"不安"の理解」 '10.10
Kさん、Tさん、Sさん、こんにちは。皆さんのコメントを読んでいますと中身はそれぞれ異なりますが、広く取ると「不安」について種々、悩まれているように思われます。おさらいになりますが、ここで森田療法における「不安」の理解をしましょう。
人間には誰しも”より良く生きたい(「自分は〜したい」という希望など)”という欲望(生の欲望)があります。こうした生の欲望があれば当然、”上手くいかなかったらどうしよう”という不安(死の恐怖)が生じます。ですから、欲望(生の欲望)があるところには当然、不安(死の恐怖)は生じると言えます。言わば欲望と不安は表裏一体の関係にあると言えます。ですから不安は起こるべくして起きているものであって、自己自身にとっての異物ではないのです。ですから、こうして起こるべくして起きている不安に対する自己の態度の転換を図っていくことが森田療法の治療の要諦になります。これまでの「不安を排除する姿勢」から「不安を受け入れながら生活していく姿勢」へと転換を図ると言えましょう。こうして「不安を受けとめながら、自己の目的に沿った行動をしていくこと」を目的本位と言います。
また、「不安をなくそう、なくそうとすればするほど不安が益々強くなってしまう」という悪循環についても知っておくと役に立ちます(精神交互作用)。ですから、もう不安はやりくりせずに、そのままにしていく姿勢が求められます。こうした「不安」は時間の経過とともに必ず消失します(感情の法則)。そして不安を受けとめながら、目の前の必要な取り組みに一生懸命取り組んでいくことが大事です。こうした不安を受けとめ、目の前の必要なことに取り組んでいるうちに不安はどこかに雲散霧消していることでしょう。さらにここで大事なのは、自己の不安に対するとらわれを改める一方で、必要な取り組みには注意深く、丁寧に取り組んでいくことです。往々にして、不安にとらわれている人ほど、肝心なところへの注意が疎かになっていることが多いものです。どこに力点をおくかが大事になってきますね。何事も調和が大事になってきます。こうした取り組みは、一瞬にして出来上がるものではありません。一日一日、一喜一憂せずにコツコツとあせらずじっくりと取り組んでいくことがとても大事です。
(川上正憲)
「お互いが助け合うこと」 '10.09
Pさん、こんにちは。今までPさんは、対人場面での唾液にとらわれ、そのことで強く悩まれていたようですね。けれども、森田療法とめぐり合い、症状完治に至ったのですから、Pさんが、苦しい状況の中でも本来の生活を実直に発展させていった賜物であると考えます。ところで最近、今度はPさんの旦那様が唾液のことで悩まれているようです。
このことに対し、Pさんは、「旦那様に自分の症状を移してしまったのではないか」という自責の思いに駆られていることが文面から読み取れます。それだけに、旦那様に対して、さぞかし心配を募らせているのではないでしょうか? けれども、Pさんも旦那様も、そのことに触れることを恐れています。話し合うことで、お互いが症状へのとらわれを助長してしまうのではないかと感じているようです。確かにお互いが話し合い、症状のことをオープンにすれば、当然症状のとらわれが一時的に高まる可能性はあるでしょう。けれども、オープンにしなければ、夫婦がお互いの苦痛を知り、知恵を出し合って助け合うというチャンスも決して生まれてくることはありません。Pさんの「旦那様に森田療法を是非教え、生かして欲しい」という思いを生かせずに終わってしまうのです。
だとしたら、お互いが痛いところに触れず何となく安全に生活しているより、一時的に心が揺れてもお互いが発展できる可能性にかけてみては如何でしょう。というのも、Pさんには、不安の中でご自身の生活に心血を注ぎ、症状を克服した事実があるからです。今度は、この作業をご夫婦で是非行っていただければと思います。最初はお互い戸惑いの連続かもしれません。しかし、戸惑いながら旦那様の声に耳を傾け、Pさんの一番伝えたい内容を言葉にしていって欲しいと思います。このことは、何も経験しないで過ぎ去ることを思えば、お互いを豊かにする機会に繋がると思います。大変な中ですが、是非頑張ってくださいね。
(樋之口潤一郎)
「不安が不安を呼ぶ状態」 '10.08
Mさんが不安、不眠、いろいろな体の症状で困っています。2年前から不眠で薬は飲まれているようですが、逃げ出せない状況では症状が強まるようで、時に症状に圧倒されそうになるようです。経過からパニック障害と思われます。 薬を飲んでみるのも一案かと思います。SSRIなどの抗うつ薬にはパニック障害に治療適応を持つ薬剤もありますし、症状の軽減を目標に抗不安薬を内服するのもよいかもしれません。しかし、常に不安を抱え生活しているMさんの状態は(また不安発作が生じるのではないか)と思っている予期不安の状態と言えます。予期不安は気にすれば気にするほど強まるもので、病気を長引かせる因子の一つと言われ、薬だけではなかなか改善しないものです。そこで、症状をなくすのではなく症状との付き合い方を身につける森田療法が有効になってきます。
森田療法では、症状は気にすればするほど強まることから、逃げるのではなくパニック発作や恐怖を観察・理解し、症状を棚上げし不安を持ちこたえながら、恐怖におびえながらも目の前のことに手を出していきます。それによりこれまでとは違った視点、不安があるかないかで考えるのではなく、不安はあるものの行動するという行動を中心とした視点に変わっていき、不安との付き合い方がわかるとともに、不安を抱える心が作られていくのです。
(矢野勝治)
「子育て中の対人緊張」 '10.07
Kさんは、「昔から大人しい性格で、人前で発言するのが苦手でしたが、結婚して子供ができてから、ひどくなりました」と書き込まれています。Sさんも同じような症状をお持ちとのことです。 もともと神経質な傾向のある人が、それまでは多くはないけれど気心の知れた人たちとの関係の中で暮らしていたものが、お子さんが生まれ、保育園や幼稚園、学校に入り・・という中で対人緊張を強く感じるようになることがたびたびあるようです。
これまでと異なっていろいろな人と関わらなければならなくなるのと同時に、お子さんのために、と思うとより「よい関係でなければ」「相手に悪く思われてはいけない」と思うようです。つまり、お子さんを大切に思い、守ってあげなければと思えばこそ緊張も強くなるのです。 子育てそのものが、初めてのことが多く、緊張を強めているお母さんもたくさんおられます。
Sさんは、人と会うこと、人ごみが駄目なので、ベビーカーですぐに帰れる距離を散歩などできることだけやっている、とのこと。きっとお子さんにとっては、外の空気を吸うことのできる大切な機会になっていることでしょうね。お日さまの下でのお子さんの笑顔はひときわ輝いて見えるのではないでしょうか。 森田の知恵を生かして、「できること」と「できないこと」を分けて、できることをできるだけ、やっていきましょう。この場合、「周りのお母さんたちの思っていることをすべてわかること」はできないこと、「子供のために、必要な人との関わりにできるだけ出て行くこと」ができること、ですね。 無理に人前で「練習のために」発言をしたり、社交的に振舞おうとする必要はありません。
必要な時に外に出る、挨拶だけはする、必要なことを伝えるようにする、など。 フォーラムでのやり取りのように、相談できる場を持つ、孤立しないようにすることも大切です。
お子さんというこの上ない味方とともに、できることをできるだけ、日々を積み重ねていきましょう。
(塩路理恵子)
「健康な生活とは」 '10.06
Sさんは、半年ほど疾病恐怖に悩まされているとのことでした。それは、病気が不安で検査を受け、異常なしとの結果が出ても、その結果を疑って一日中そのことで頭が一杯になる、またそのストレスで体調も崩しかけ、安心が欲しくてまた検査に行くかどうか悩んでいるというものです。ご自身も「悪循環」と書かれていますが、まさに終わりなき闘いですね。
病気が怖いというのは、死を恐れる気持ちであり、それは人間誰もが抱く自然な感情です。しかしそれは、健康でありたい、長生きをしたいという欲求があるからこそ生じる気持ちでもあるのです。つまり、Sさんが病気を恐れるのはそれだけ健康な生活を切望しているから・・ということですね。しかし、そんなSさんの現在の生活はどうでしょうか。100%安心したいと考えるために、折角受けた検査結果も信じられず、疑心暗鬼のストレスからかえって体調を壊している。つまり病を恐れて、逆に不健康な生活に陥っていると言えます。森田先生は次のようなことを述べています。「心悸亢進でも、梅毒恐怖でも、当然恐るべきを恐れ、注意し用心すべきをするのが、『事実唯真』である。恐るべきを恐れてはならないというのを『思想の矛盾』といい、悪智といい、それは決して人間の心情の事実ではないのである」と。つまり、病を恐れる気持ちは当然であり、自然な感情であるから、病に注意し、用心した生活を送ることこそが事実に即した臨機応変な姿勢である、恐れる気持ちそのものを消そうとするのは人間の自然な姿ではないと述べているのです。Sさんの場合も、健康でありたいから病気を恐れていたものが、いつのまにか病気になる不安そのものを消そうとしていたのではないでしょうか?そして、消せない不安と闘い、「異常なし」という検査結果の事実も認めることが出来ないといった堂々巡りに陥ったのでしょう。
ではどうしたらいいのでしょう?その答えは、先の森田先生の言葉の中にもありますね。事実を事実として受けとめながら、その中で出来ることに力を注ぐのです。つまり不安そのものを消そうとするのではなく(検査を繰り返すetc)、不安だからこそ、少しでも健康な生活が送れるよう、今出来ることから行動に移してみましょう。規則正しい生活、適度な運動、バランスの良い食事、趣味を見つける・・・などなど、折角の神経質を生かす術は沢山あるはずです。
こうした姿勢は、歯の噛み合わせに悩んでいらっしゃるNさんにも役立つと思います。実際噛み合わせがおかしいのだから別の悩みと思うかもしれません。しかし、健康で快適な生活を送りたいがゆえに身体の違和感が気になるという点で共通と言えます。つまり、完全に納得したいからこそ、違和感がどうにも気になってしまうわけです。Mさんも指摘しているように人間の身体はロボットではありません。ブリッジのような異物が装着されれば、身体がそれを受け入れるまでに時間もかかるでしょう。ただNさんもおっしゃっているように、セメントの量などによっては仮付けと感覚が異なることも当然考えられます。医者がどう思うかを慮るよりも、まずはその事実のまま伝えてみましょう。そして、特に問題がないということであれば、またその事実のままに時間をおいてみたらどうでしょうか。ちょっと自分の身体を信じて、異物とバランスを取ってくれるのを待つのです。折角なら、その間に少しでも食べたいものを食べ、やりたいことをやれればなお有意義ではないでしょうか。
(久保田幹子)
「不眠恐怖から脱するには」 '10.05
Tさんは不眠についての深刻な悩みを報告されました。「寝れないことに対する不安から寝ること、横になることが怖くなってしまいました。横になり目をつぶるだけで頭がくらくらし強い恐怖が襲ってきます」。Tさんに対してはMさん、Jさんが適切な助言を送られていますが、不眠恐怖についてはしばらく医師のコメントがなかったようですので、改めてここで取り上げておくことにします。
Mさんも引用されたように、森田先生は「神経質の不眠は不眠恐怖から起こる精神の葛藤から生じるものである」「不眠恐怖患者はまず不眠を恐れ心配する。ますます眠れない。次には心配するから眠れないのだと自覚して今度は無理に心配すまいと努める、つまり心配を心配するのである。・・・いよいよ不眠の恐怖にとらわれ心の不安を増すばかりである」と述べ、こうした悪循環を断つため「すべき心配恐怖はうんとするがよい」と助言したのでした。
さらに森田の高弟であった高良武久先生は、神経質の不眠(不眠恐怖)に対する森田療法的な助言を簡潔に次のようにまとめました。
1)真の不眠ではなく不眠恐怖が本態であることを理解してもらう(睡眠状態を客観的に測定すると、たいていは本人が思っている以上に眠っているものです)
2)眠る眠らないにかかわらず、1日の就床時間を7〜8時間に制限する
3)寝つきが悪くとも、朝は一定の時間に起床する
4)日中は活動的な生活を送り、眠れなくても十分やれることを体得する
5)眠る前にある程度興味のある本を読むなど、不眠へのとらわれから離れるような工夫をする
6)就寝前の行動習慣(パターン)を確立する
(寝る前に軽くストレッチをするなど,自分にあった習慣を身につけてみましょう)
以上に記した森田先生、高良先生の指導に付け加えることはほとんどありません。今日の診療でも、森田療法に携わる医師はほぼこれと同様の助言をしています。以前よりは睡眠薬を処方することも多くなっていますが,薬を処方する場合も不眠のコントロールだけを目的にするのではなく、日中の生活をいかに充実させるかを重視し、そこに焦点を当てた助言をしていきます。もちろん充実した生活を送れるかどうかは,薬の力にではなく、その人自身の努力と工夫にかかっているのです。Tさんも辛い中、大学に行き、頭は重くても最後まで授業を聞くことができたということですね。ぜひこの姿勢で行動を続けていただきたいと思います。
(中村敬)
「頼ることが必要な時には頼りましょう」 '10.04
Rさん、昇進後仕事中に気分が沈むことが多くお辛そうですね。そんな中「できれば薬に頼りたくない方法」ということでこのホームページへたどり着いたのですね。
薬についてどんなイメージをお持ちでしょうか?何か重大な副作用があったりするのではないか?と思ったりされているのでしょうか?抗うつ薬の副作用としては口の渇きや便秘、場合によっては吐き気などを伴うことがありますが、副作用が万が一出た場合でも他の薬剤へ切り替える方法もあります。直接お会いしていないので断定はできませんが、特にRさんの「自分自身、エネルギーが切れてきたような感覚もあります」という文章が専門家として少し心配です。
最近軽症うつには無投薬でという報道もされていますが、薬物療法を必要か否かはやはり精神科医の判断が大事だと考えます。一度精神科医を受診してみてはいかがでしょうか?一般的にうつ病の急性期には休息と抗うつ薬の服薬が大事です。うつ病の症状は御調べになるとお分かりになると思いますが、以下要点を述べます。
抑うつ気分や興味の喪失のような症状がほとんど毎日少なくとも二週間経過している場合にうつ病を疑います。その際には薬に頼るのも一手ではないかと思います。うつ病に対して森田療法を実施するのは急性期ではなく、比較的軽症でおおよそ年単位経過している慢性期です。Rさんはもしうつ病の急性期であればまず休息と薬物療法が大事です。もし慢性期であれば、ご自身の行動パターンを振り返ってみましょう。もし周りに気を使い過ぎて色々な仕事をおひとりで引き受け過ぎ頑張りすぎる行動パターンがあるのであれば、周りに気を配りつつ少し頼ってみてはいかがでしょうか?
(舘野歩)
「注意と感覚の悪循環を断ち切るために」 '10.03
Tさんはおなかの張りや痛みといったお腹の不調で悩んでいらっしゃいます。今まで色々な検査を受けても異常を認めなかったということですから、お腹の不調は神経症的なものかもしれません。神経症的なものであるとすれば、以下のようなメカニズムが存在しています。
お腹の不調があると、これを「無くさなくては」と考えて、「お腹が張っているか・お腹が痛くないか」という事ばかりに気を取られているのではないでしょうか。そうなってくると、余計に注意がお腹にひきつけられていきます。注意がお腹に引き付けられれば引きつけられる程、余計にお腹の自律神経が乱れ、症状が強くなっていきます。症状が強くなれば更に注意がお腹に行くようになってしまいます。結果としてお腹の不調の事しか考えられない状態に陥ります。このような状態を「注意と感覚の悪循環」といいます。また、そのような状態になってしまうと、「きっと今日もお腹が張る・痛いに違いない」と考えて、不安感や緊張感が強くなってしまったり、やる気を失ったりしてしまうものです。その不安・緊張感からより症状が強くなってしまうのです。こういった悪循環がTさんの中にもあるのではないでしょうか。
Tさんは色々な検査をされて、今までに異常を指摘された事がないのですよね。そうなのであれば、自分で自分の症状を強めないことが大切です。自分の症状を取り除こうとする努力が不幸にも、逆効果になってしまっているのです。ですから、「お腹の調子を整えてから」ではなく、お腹の調子にかかわらず、現実的に「今」必要なことに目を向けていきましょう。Tさんにとって「今」必要な事はなんでしょうか。仕事、学校、家事…色々あると思います。その現実的な行動に移った時、悪循環から抜け出せるヒントがあるはずです。
(谷井一夫)
「のびのびと取り組んでいきましょう!」 '10.02
MAさん、こんにちは。お子さんの授業参観、懇談会に「不安があっても逃げない。自分を成長させるチャンス」だと言い聞かせ参加されたとのこと。まさに恐怖突入ですね。不安を抱えながら「授業参観に参加する」という目的に向かって行動されました。とてもすばらしいことです。人間は誰しも一度失敗した経験があると、「また次も失敗してしまうのではないか」と不安感を抱くようになり、行動が回避的(及び腰)になってしまうものです。
しかし、皮肉なことに、こうした回避的(及び腰)な行動をすればするほど、ますます苦手意識が強くなり結果的に恐怖心が根付いてしまうものです。人間がそれなりに「大丈夫だ」という感覚、認識が芽生えるようになるには、それ相応の経験が必要になってくるものです。どんどん、多くの経験を積んでいってもらいたいものです。これまでの「不安にとらわれた回避的な生活」から、こうした「不安を抱えながら、新たな世界に踏み込んでいく生活」へと転換することで、大きく世界が展開し、これまでよりも何十倍も豊かな生活になること間違いありません。のびのびと取り組んでいきましょう!
Kさん、こんにちは。対人緊張に悩まれているようですね。「人に好かれたい、嫌われたくない」という気持ちは異常ではありません。人間、誰しもそのように考えているものと思います。ただ、対人恐怖の方は、Kさんが書かれているように「人に好かれたい、嫌われたくない」と強く認識するあまりに、当然、生じる得る不安感、緊張感にとらわれ、その違和感を除去することに終始してしまっているのです。こうした「不安感、緊張感へのとらわれ」は本来、集中すべきその場での会話や行動をおろそかにしてしまい、「今、現在がすっぽりと抜け落ちた状態」になっていると言えましょう。大変、勿体ないことですし、相手にこれほど失礼なことはないと思います。大事なことは、不安感、緊張感をなくすことや、人にどう思われているかを考えることではなく、その場での会話になりきることです。ただただ、目の前の出来事に夢中になれば良いのです。「現在になりきる」とも言えましょう。さあ、不安は不安と感じ、緊張は緊張と感じ、すべてをあるがままに受け入れ、目の前に広がる世界に踏み込んでいきましょう!!
(川上正憲)
「様々な感情は湧いてくるものです」 '10.01
MIさんが強迫観念に困っています。(○○になってしまうのではないか)という考えが生じて辛い思いをされているようです。
人は様々な考えを持つものです。その中にはとんでもない内容も含まれており、その考えに驚かされることがあります。それは無邪気な子どもの発言内容にびっくりさせられることに似ているかもしれません。神経質な人は(きちんとしたい)という思いが強いわけですから、自分が抱く様々な考えに人一倍驚かされ、時に嫌悪感を抱くかもしれません。そして不快な考えを排除しようとすると悪循環に陥ってしまいます。MUさんもその状態のようです。
森田療法に(生の欲望)と(死の恐怖)は表裏一体であるという考えがあります。次の日の活動のためにしっかり寝ようと思うために、寝られなかったらどうしようとの思いが生じます。また、友人と仲良くやっていきたい思いがあるから、(同性を好きになってしまうのでは)という思いがあってはいけないと考えも生じてくるものです。そのような時には(本来はどうしたいのか)という思いに目を向けましょう。(前の夜に眠れなかった翌日は駄目だ)という考えに縛られて眠れないとしても、(次の日ちゃんと動きたい)という思いに目を向け(眠れなかったら眠れないなりに活動しよう)と思うことが出来れば、布団のなかで力まずに意外と眠れたりするものです。是非やってみてください。
(矢野勝治)