普通神経症の部屋

Hさん、こんにちは。「抗鬱薬を飲んで、森田療法の治療は可能でしょうか?」というご質問ですね。説明していきましょう。現在、私ども(慈恵医大第三病院・森田療法センター)のもとで入院森田療法、外来森田療法を行っている方のなかで、抗鬱薬を飲んでいらっしゃる方は数多くいらっしゃいます。

まず、大事なのは、診断です。「診断」つまりは「診たて」によって治療は決定されます。森田療法が適応となるのは、大別して、神経症(パニック障害、強迫性障害、社交不安障害など)、うつ病(回復期およびうつ病が遷延している方)になります。先生から、診断はどのようにお伝えいただいているでしょうか? 
治療をしていく上では、自分の状態がどういう状態であるのかを、しっかりと自分自身が知っていくことは極めて重要です。敵(病気)を攻略(治療)するには、敵(病気)の正体を知る必要があります。何事も、やみくもにすれば良いものではありません。現代社会は、膨大な情報が氾濫し、容易に入手できる環境にあります。この多くの情報のなかで、自分に必要なものを見極めていく賢明さが我々には求められていると言えましょう。

森田正馬先生も、この「診たて」を大変重視され、森田療法の適応である、森田神経質であるかどうかを厳しいまなざしで診察されていたと聞きます。そして、森田療法の適応である、森田神経質の患者さんに出会うと、すごく嬉しそうにしていたと伝えられています。それは、医師としての責任を痛感するからこその、厳しい眼差しと同時に、自らが創始した森田療法でしっかりと治せると確信を持つことが出来る喜びであったのでしょう。医師としての真摯な態度、そして大きな優しさを感じる森田正馬先生のエピソードですね。「森田療法は、自分に思い当たるところが多々あります」と書かれていますね。それは、おそらく、森田療法が包含している神経質性格の人々への適切なアドバイスに触れてのことではないかと思います。

森田正馬先生が創始された森田療法は、その当時の日本の人々の多くが懊悩していた神経質性格を陶冶する含蓄のあるアドバイスに溢れているのです。森田療法の最終的な到達点である「あるがままの境地」は、ある種の悟りの深い境地と言って良いのかもしれません。自己自身に生じる様々な感情(喜びも悲しみも、全ての感情を含む)、そして、現実に生じる様々な困難の事実、それをも、その事実のままに、そのまま生きていく境地と言えます。この深い、深い心の境地に森田正馬先生は達していらっしゃったのです。どこまでも、どこまでも、自己自身を深く、深く見つめ、事実そのままに、生きていく姿勢を最後まで堅持されていたのが森田正馬先生のお姿であったように思います。いかがでしょうか。森田療法にご興味を少しでも持っていただければ幸いです。貴方も、深い、深い、真実の森田療法の世界へ!

Rさん、こんにちは。「自分がどうありたいか、何を軸にして人生を送っていくかということを働きながら模索してきて、おぼろげながら固まりつつあります」と書かれていますね。真剣に、真剣に自己自身に向き合い、自己に問うてきたプロセスを感じます。そのプロセスは、決して平坦ではなく、困難を伴ったものであったのではないかと御推察します。Rさんが問うてきたのは、自己(貴方)自身の「生の欲望」であると思います。人間存在に内在している人間本来の欲望です。人間に欲望がある限り、そこには苦悩が伴う。苦悩と欲望が等根源的(中村 敬先生)であるという森田療法の見地がここにあるのです。この苦悩をなくしたいという、これまた人間の素直な感情ではありますが、その苦悩を排除しようとするあまりに、さらに苦悩を生むという、どうしようもない苦しみから解放されるには?欲望を煩悩として否定せず、死の恐怖と生の欲望のどちらも人間性の事実として認め(あるがまま)、そのまま生の欲望になりきること、そのことに尽きるのです。苦悩も欲望もそのままに、事実そのままに、生きていくこと(生活の実践)、この道程は決して楽なものではありません。

しかし、その楽なものではないことをそのままに、どこまでも、どこまでも、歩んでいくのが森田療法の教えと言えましょう。その一瞬一瞬の姿が、かけがえのない唯一無二の存在である、その人、その人の人生そのものです。そして、大事なことは、こうした自問自答のみに終始するのではなく、生活の実践です。この生活の実践の中にこそ、真実があるのです。思考しつつ、生活しつつの実践です。Rさん、ひきつづき、あせらず、じっくりと取り組んでいいきましょう。 
(川上正憲)

Tさんは昼間の眠気で困っています。不眠については薬で改善したとのことですが、朝食作りなどひと通り朝の仕事をすると眠気が出てきて横になりたくなり布団でぬくぬくしていたいとのことです。

悩みは人それぞれですが、9時間半も寝れると聞くとうらやましいと感じます。私たちの平均睡眠時間は25歳で7時間、45歳で6時間半と言われ、年齢とともに睡眠時間は短くなり、睡眠の質も低下してきます。朝眠いといって早く寝ようとする方がいらっしゃいますが、21時頃までは体内に覚醒物質が出ていて早い時間には寝にくくなっています(早く寝ようとして薬が多くなっている方もいます)。そのため逆に遅く寝てみる(その上で薬を調節してみる)ことも一案です。 taeさんは(薬が残っているのでは?)との思いがあるようですが、中途覚醒時に薬を内服していなければ、作用時間が長い睡眠薬以外は効いていない時間帯だと考えます。

一方で、寝過ぎにより倦怠感が出てくることもありますし、朝の倦怠感や意欲低下はうつ病の鑑別も頭の片隅に置いておく必要があります。
入院か外来か迷っているようですが、長引いていらっしゃるのであれば入院するのもひとつだと思います。(お子さんがいるので家のことをやってくれる人がいない)とのことですが、お子さんを預けることが出来る夏休み期間を利用して入院される方もいらっしゃいますよ。

再燃についてですが、森田療法は症状との付き合い方を身につける治療法と言えますので、再燃した際には以前行なった治療を思い出しやってみることで、(軽快した時と同じように)症状と付き合っていけるようになると考えます。
(矢野勝治)

ENさん。唾がたまっていなくても喉元に頻繁に意識がいき、何度となく「喉をごくり」としてしまうことに悩んでいらっしゃるのでしたね。当初は呑気症を疑ったものの、今では神経症の一種である唾液恐怖症の可能性が高いと考えられているとのこと。

唾液恐怖(正確には唾液嚥下恐怖と呼びます)は、昔から対人恐怖症状のひとつに数えられていました。ENさんも書かれているように、私たちはふだんから無意識に「喉をごくり」としていますが、時として、そのような現象を改めて意識することがあるのは、「固唾を呑む」という表現にもうかがわれます。『大辞泉』によれば、「固唾」とは「緊張して息を凝らしているときなどに口中にたまるつば」のことであり、「固唾を呑む」とは、「事の成り行きがきがかりで、緊張している」様を意味します。つまり私たちは、緊張したり、はらはらしているときには、声や手が震えたりするのと同様に、「喉をごくり」とさせているのです。ことに神経質で対人恐怖的な心性を有する人は、「喉をごくり」とすること(またはその音)が他人に気取られ、自分の緊張が知られてしまうのではないか、そのために相手に緊張が伝わったり変に思われるのではないかということを恐れるために、益々「喉をごくり」に注意がとらわれてしまうのです。このように注意と身体の感覚が悪循環的に作用して違和感が増強していくことを、森田は精神交互作用と呼びました。
ENさんは、「他人の目や耳がさほど気になるわけではありません。ただ、静かな空間で人と話す時や、美容室で髪を洗ってもらう時などは特に意識が喉元にいきます」とありますので、少なくとも発端には、「喉をごくり」によって自分の緊張を人に知られるのではないかという恐れがあったのではないでしょうか。

それと共に、ENさんは、「ひどい時は喉が痛くなるぐらい『喉をごくり』を繰り返してしまい、物事に集中できないですし、趣味をしても友人と遊んでも、それに没頭できず、楽しむことができません」と書かれています。きっとENさんは、物事には集中して取り組みたい、趣味も遊びも楽しみたいという健康な欲望が旺盛な方でしょうね。それだけに、集中や楽しみを阻む「喉をごくり」をやめようと努めてこられたのかも知れません。けれども、そもそも「喉をごくり」は自然な生理現象ですから、それを無理に抑え込もうとすればするほど、かえって一層気になって繰り返してしまうものです。このように自分の感情や身体を無理にコントロールしようとしてとらわれてしまうことを、森田は思想の矛盾と名付けています。
このように「喉をごくり」へのとらわれには、精神交互作用や思想の矛盾と呼ばれる悪循環が関わっているようですから、森田のいう神経質症状とみなすことができます。

ではそのようなとらわれからどうしたら脱することができるのでしょうか。おそらくENさんは、仕事(勉強?)に集中し、楽しみを楽しむためには、「喉をごくり」があってはならないと考えてこられたのでしょう。でもそれは本当に事実でしょうか?
息を詰めて目前の事にじっと意識を集中している状態を、「固唾を呑んで見守る」と言いますね。つまり、「喉をごくり」とさせながら、私たちは物事に集中できるということなのです。そのためには「ごくり」との戦いをやめて、なすべきこと、好きなことに今から改めて手を出していく、それに尽きるのです。
(中村敬)

こんにちは、Bさん、Wさん。不安神経症の部屋でも触れましたが、このように会員の皆様が悩みを相談し、支え合っている姿をとても頼もしく思っています。 Bさんは、現在不眠に悩まれているようですね。早朝覚醒を伴うとのことですが、お掛かりの医療機関での診断はどのようなものですか? もしうつ病からくるものであるとすれば、やはり睡眠薬だけでは役不足で、抗うつ剤などの内服が睡眠回復の助けになると思います。その点は再度主治医の先生とご相談いただければと思います。

ところで、Wさんの紹介していただいた森田先生の文献には、我々をうならせるだけのものすごいパワーがありますね。その中で自分が一番共感したのは、Wさん同様、「近年体が弱くなったと悲観していたが、それは弱くなったのではなく、自ら弱くしていたのである」という当時の患者さんの語った一文でした。この患者さんは、森田先生と出会うことによって、心を弱くさせていた生活スタイルと自分の生かし方を深く理解したのだと思います。
不安や不眠、そして痛みなどの苦痛に遭遇すると、「そこから逃れたい」と思うのが、人の自然な心情でしょう。しかし、神経質性格の持ち主は、「逃れたい」という気持ちの頭に必ず「早く」「常に」「完全に」などの言葉をつけたがるものです。つまり、このような姿勢が、「苦痛さえ無くなれば、全て解決するのに」という「とらわれ」を生むことになるのです。さらに安定剤や眠剤、鎮痛剤の安易な使用は、却って神経質性格の人々に「苦痛の完全除去」という幻想を与えてしまう可能性すらあります。

その上で、Bさんにも、不眠に対しこのような考え方はありますか。もしあるとすれば、睡眠以外の生活スタイルにも目を向けていくことが大切です。その際、森田先生も触れていますが、日中、極力朝寝とずぼらな時間を減らすことから始めてみましょう。朝、日の光を浴びないと人間の睡眠覚醒リズムは崩れやすくなり、それだけで不眠の温床になるといいます。ちょっとした日中の運動(家事などで全く構いません。それもWさんもおっしゃられているように、「そこそこ」から心がけてください)は、我々に精神的な充足感を与えるだけでなく、良い意味で体の疲れをもたらし夜間の睡眠を誘発してくれるといいます。つまり、日中の生活の送り方が良い睡眠を作り出す最大の近道として捉えていただければと思います。最後に、睡眠直前のインターネットは、眠りに入ろうとする頭を再度覚醒させ、不眠を招きやすいことが良く言われるようになりました。インターネットは、見出すと中々自分から切り上げることを難しくさせてしまい、それが夜更かしの原因だったりします。睡眠の2時間前くらいには止めて、読書など目に優しい工夫を施してください。
これからもBさん、Wさんにとって日常生活が心豊かになっていくことを願っています。
(樋之口潤一郎)

Kさんは、1年ほど前からの胃の痛みに悩んでおられます。そして、ご主人の海外への単身赴任と母の病気が重なった際に、全て自分が頑張らなければというストレスが積み重なったことが原因ではないかと振り返っておられます。心療内科に通って投薬治療を受けているものの一向に良くならず、最近では胃痛のみならず、やる気も低下し、顔つきも変わってきてしまったとのことでした。文面からも、Kさんが相当の頑張りやさんだったことが推察されますが、それだけに家事も仕事も出来ずに実家で休養している状態はさぞ辛く、また受け入れがたいことだろうと思います。 おそらく胃痛については、内科的な検査は行い、特に問題がないということで今の状態になっているのだろうと思いますが、Kさんも理解されているように胃腸はかなり心理的ストレスが影響を及ぼす臓器です。それ以外にも、人間の身体はストレスによって思わぬ不調をきたすことがありますが、これは見方を変えれば、身体が「もう無理」というサインを送っているとも言えるのです。つまり、自分を犠牲にして過剰に頑張ってしまっていることを、身体が不具合を起こすことで教えてくれたということなのです。

とはいえ、無理をし過ぎたことに気づくことは出来ても、一旦生じた身体症状は、そう思うようには消えてくれません。そうなると、頑張り屋さんの場合、今度はこの身体の不調を何とかしようと頑張ってしまいがちです。勿論、胃の痛みや身体の不調は不快ですし、辛いものですから、早く治したいと思うのは自然な気持ちです。しかし、早く何とかしたいと思うと、どうしても胃の調子に注意が向いてしまいますし、胃痛にならないようにとあれこれ苦心したり、いつの間にか胃の調子を日々チェックして一喜一憂するようになってしまうのです。岡本記念財団の岡本常夫会長が、以前胃腸神経症に悩み、胃のために良いと思われるものは全て試し(あるいは悪いと思われることは避け)たところ、逆にどんどん体重は減り、かえって体力も無くなってしまい、森田療法によってその苦しみから脱却したことは有名なお話です。

身体の不調はもちろん治したいものです。しかしたとえ自分の身体であっても思い通りにはなりません。胃痛が出ないように・・・と好きな食べ物ややりたいことを控えることはかえってストレスにもなるでしょうし、何より胃が治ってからでないと・・と考えれば気力も萎えてきてしまいます。胃の調子が整うのをゆっくり待つつもりで、食べたいもの、やりたいことは何かを自分に問いかけてみましょう。そして、心が動いたものは、少しずつ食べ、また実行してみるのです。本当に食べたいものであれば、胃も動いてくれるでしょうし、やりたいことであればストレスにもならないはずです。大切なことは、自分の身体、自分の胃の調子と呼吸を合わせ、折り合っていくことです。こうした中で、徐々に体と心のバランスが整っていくはずです。何とか治そうと必死になるのではなく、自分の中の本当の気持ちを尊重しつつ動くことが、結局自分の身体もいたわることになるのです。
(久保田幹子)

Jさんは、「中学生のころから死に至るような、特にがんが怖くて、家族や自分の体が絶えず気になっています。家族がちょっと異変を感じると、死に至るような病気でないか、心配でいてもたってもいられない気持ちになります。」と書き込まれ、ゆきだるまさんは、喉の不調からネットを調べていて「喉頭がんの文字が目に入ったとたん怖くなって」しまったとのこと。Jさんは「中学生のころから、死に至る病気が怖く、今までの人生をいつも体の調子にとらわれながら生きてきました。自分はもちろん、家族の健康も気になり、添加物等神経質になっております。」と書かれており、今月は病気に対する恐怖の書き込みが続けてありました。
疾病恐怖は、神経質の典型的な症状のひとつです。

ゆきだるまさんは、妊娠中に切迫早産で入院し、子供に会えなかった辛さや安静のつらさからちょっとした体調の不調が気になるようになった時期があるとのこと。また、Jさんは「中学生のころ、同年代で病気でなくなったかたの日記を読んでから、死に至る病気が怖く」なったとのこと。こうしたきっかけを森田先生は「ヒポコンドリー体験」と呼びました。

もともと、心身の状態に敏感な一方で完全主義傾向の強い神経質傾向の方が、そうしたきっかけから、自分の心身の状態や病気に関する情報に意識が向いて過敏になり、ますます身体の不調に敏感になって・・という悪循環の「とらわれ」が起こってしまっているのが病気恐怖といえます。
では、そもそもどうして病気を恐れる気持ちが生じたのでしょうか。病気を恐れる心の裏には、健康で人生を楽しみたい、大切なご家族が健康であってほしい、ともに幸せな生活を送りたい、という「生の欲望」があるはず。そうした、ご自身の「本来の望み」にもう一度耳を傾けてみましょう。
「人生を楽しむことができず家族にもめいわくをかけている自分が嫌になります」とのこと、不安に圧倒されるあまり、本来のご自身の望みと反対の結果になってしまっていることに、ご自身でも気がついておられるよう。 病気を恐れつつでよいので、ご自身の本来の望みを大切にできるように、少しずつでも動いてみましょう。ご自身の好きなことを一つでも手を付けてみる、難しかったら好きなものを一つ飾るだけでもよいでしょう。ご家族のために食事の彩りを工夫してみる、どうしても気力がわかないときは、気力がわかなくてもカーテンを開いてみる・・など、小さな工夫でもよいのです。

恐る恐る、まずは生活を健康なものに近付けていきましょう。
森田先生は以下のように書かれています。「死は恐ろしい。恐れまいとしても、無理である。得がたい欲望は、あきらめられない。あきらめられるものは、欲望ではない。(中略)死を恐れるのは、生きたいためである。生きんがためにこそ、死をも忘れる。生きる欲望のないものが、どうして死を恐れたりする必要があるだろうか。」
(塩路理恵子)

森田療法には日記や手紙を媒介とした手段を含んでいて今日インターネットの普及によりこのような体験フォーラムでの書き込みが運営され現在に至っています。実際の治療の中での日記療法とここでの体験フォーラムでの書き込みとの相違点があると思いますので今回整理していきたいと思います。

日記療法と比べて体験フォーラムの書き込みは、
1)治療者との間でクローズにされるのではなく、オープンである
2)mandyさんからのアドヴァイス以外は他の会員との交流が主であることが挙げられ、日記療法に比べて自助的な色彩が強い
と思います。

日記療法と体験フォーラムの書き込みでの共通点もあります。それは、
1)書くこと
2)読むことが挙げられます。
書くことによりご自身の体験を客観化することができます。そしてそれを後で読み返すことによりさらに振り返ることができます。ただ、書く際にあまりそのときの気分に流されて書くのではなく、一旦書いた文章をもう一度読み返してみてから投稿されると良いでしょう。書いた後、投稿の前に他人が読んで理解してもらえるかなあと思いつつ、つまり読み手の気持ちになって読み返すことが大事です。

我々の経験ですと、会員になって他人の文章を読むだけでなく、書いて投稿していっている方の方が改善し退会していくことが多いように思えます。自分のことを書き、それを読み返し森田療法的エッセンスを吸収することで悩みから脱却することが多いと思います。今まで読んでいるだけの会員の皆様には、是非勇気を持って書き込んでみてはいかがでしょうか?
(舘野歩)

Rさんは5年ほど不眠や過緊張の為に日常に支障が出ていて困っていらっしゃいます。詳しい事は分かりませんので、今回は一般的な不眠について説明したいと思います。

不眠には様々な原因があります。環境要因として「暑さ、寒さ、明るさ、時差、生活リズムなどによるもの」があります。身体要因として「年齢、性差、頻尿・痛み・かゆみを伴うような身体の病気などによるもの」があります。心の要因としては「心の病気(うつ病や統合失調症など)、悩み、イライラ、精神的ストレスなどによるもの」があります。生活習慣要因として「アルコールやニコチン、カフェインの摂取、薬の副作用などによるもの」があります。その他、睡眠時無呼吸症候群やナルコレプシー、むずむず足症候群などによるものがあります。
その中で、最も多いものは「精神生理性不眠」と呼ばれているものです。これははっきりとした原因がないのになぜか眠れないというものです。これは何らかのきっかけで不眠に対して不安や過度のこだわりが生じ、眠れなくなってしまう状態です。「眠らなくちゃ」と思えば思うほど精神的な緊張が高まり、ますます眠れなくなるという悪循環が繰り返されます。

この悪循環がみられている場合は森田療法の考え方は役に立つと思います。「眠らなくちゃ」と思っているという事は、「眠らないと仕事や勉強がちゃんと出来ないのではないか」と不安になっている証でもあります(仕事や勉強の所をRさんがしたいことに当てはめていただければ分かりやすいと思います)。という事は「ちゃんと仕事や勉強がしたい」という欲求が存在しているのですよね。それではあまり良く眠れなかった次の日、仕事や勉強はどうだったでしょうか。意外にちゃんと出来ていなかったでしょうか。或いはあまりちゃんとは出来なかったとしても、眠くて全く出来なかったという事は少ないのではないでしょうか。

悪循環にはまって、とらわれているとなかなか気付きにくいのですが、Rさんも「眠らないと実際に何が出来なくて困るのか、何を心配しているのか」をまずは考えてみてください。そして、寝不足で本当にその事に困っていたのか、を振り返ってみてください。事実を振り返ってみると、寝不足でも問題なく仕事・勉強が出来ていたり、たっぷり寝ていても、気合が空回りしてしまってあまりうまく行かなかったり…などなど色々とみえてくるかもしれませんよ。
(谷井一夫)

Hさんは、日々「自分の力を最大限発揮すること」を念頭に建設的に行動をしているようですね。何よりです。生の欲望に則った行動ですね。この調子です。

さて、「症状と仕事の適性」についてお悩みのようですね。Hさんが会食恐怖であること、頻尿であることは否定しがたい事実です。しかし、その事実の存在によって将来の大事な職業選択を検討するのは一旦、留保したほうが良いように思います。まず言えることはHさんの「神経質の人の仕事の選択の仕方を教えて欲しい」という問い(気持ち)が、まさに「神経質」そのものと言うことです。この「神経質」を陶冶していくのが森田療法です。
では、どのようにしたら良いのでしょうか。結論を先に言ってしまいますと、神経質の人にあった仕事を探すのではなく、自己自身がしてみたい仕事を探すことです。では、そのためにはどのようにしたら良いのでしょうか。Hさんは「本当に自分は何をしていきたいのか」と自分自身に問いかけたことがありますか?もし、問いかけたことがないのでしたら、まずは静かに自分自身の心に問いかけて、よく心の声を聞いてみてください。必ず、何かが心の中にあるはずです。そうした内なる心の声(生の欲望)を大事にしてみてください。自己自身の内なる声を聞くことを怖がっている場合もあるかもしれません。まずは静かに、静かによく聞いてみてください。心の声を聞くことは真摯に自己自身と向き合うプロセスと言えます。その上で、自分自身の希望として栄養士をしていきたいのであれば、その道に必要な努力をコツコツと取り組んでいく必要があります。別の選択肢であれば、そのための努力を取り組んでいくことが必要になるでしょう。こうした地道な努力は、いずれの道を選択しても必要になってくることでしょう。何事もスムースにいけばそれにこしたことはありません。
しかし、なかなか自分の思うようにならないことが多いのが人生ではないでしょうか。様々な困難の連続をどのように乗り越えていくかがそれぞれの人生における自己実現といえましょう。そうした困難を乗り越えていく力は必ずHさん自身のなかにあります(生の欲望)。自分が心から希望するものであれば、どのような困難も乗り越えていく可能性があります。この可能性および可能性を育む力はHさん自身にあります。

Yさんは、神経性頻尿でお悩みのようですね。なかなか学校にも行けない状況は大変つらいことと思います。一緒に考えていきましょう。
さて、どのようにこの問題を解決していくかですが、これまでに心療内科、精神科などを受診して相談したことはあるでしょうか?いかがでしょうか?もし、これまでに一度も相談したことがないのであれば、受診してみる価値は十分にあります。まずはこれまでの状況を整理して、医学的に必要なこと(薬物療法など)、および心理学的に必要なこと(カウンセリングなど)を検討しましょう。つらい時は、5〜10分の間隔でトイレにいく状況のようですから、必要に応じて薬物療法も試みる価値は十分にあると思います。また、学校の担任の先生および保健の先生とも相談をして、どのような形で授業を受けていくのかを検討した方が良いのではないでしょうか。何事も魔法のような方法はありませんから、まずは出来ることから着実に取り組んでいきましょう。そして、少しずつ、少しずつ事態が改善していけば良いのです。決して焦ってはいけません。

こうした全体的な整理をした上で、森田療法の考え方も取り入れていきましょう。
「いつも頭の中はトイレの事でいっぱいです」とのこと、この状態はまさにトイレのことに“とらわれている”状態と言えます。この“とらわれ”から抜け出ることが森田療法の治療の目指す方向性になります。5〜10分おきにトイレに行くこともあるようですが、実際にトイレに行ったときに排尿はありますか?排尿があるのでしたら、それは本当に必要なトイレなのだと思います。しかし、トイレに行っても排尿はないとなると、トイレに行く行為は排尿のためではなく、「何らかの不安感を打ち消すための行為」と考えられます。この不安感を打ち消そうと思えば思うほど(トイレのことばかりを考えること、トイレに行くこと)、不安感は強くなってしまいます(悪循環)。不安感は時間の経過とともに必ず減弱していきますから(このことはしっかりと理解してください!)、不安感を打ち消すことにエネルギーを使うのではなく(→トイレには行かないこと!)、不安感はそのままに(例えて言うなら“空に浮かんでいる白い雲のようにぽっかりと浮かべたままにする”)、目の前の授業に少しでも集中することです。頭の中でトイレの事ばかりを考えている状態から(とらわれ)、目の前の授業に注意を転換することが大事になります。不安はそのままに(トイレに行かずに)目の前のことに一生懸命取り組むことが大事になります。「授業に夢中になっていたら、トイレの事なんか忘れていた!」という状態になれば良いのです。大事なことは、授業をしっかりと聞いて、理解しようという基本的なことを徹底する姿勢です。こうした治療の方向性を粘り強く取り組んでいくことになります。
しかし“目の前の授業に集中する”と言っても全ての授業に対してすぐに出来るわけではないと思います。誰でも、全ての授業に集中出来ているわけではないと思います。ですから場合によっては担任の先生と相談して、興味のある授業からまずは出席してみるといった工夫も必要だと思います。そして、少しずつ出席する授業を増やしていっても良いかもしれません。また、最初にも触れましたが、こうした不安感とつきあっていく中で、必要に応じて薬物療法を併用していくことも意味のあることだと思います。こうした行動の実践が学校に行きながらではなかなか難しい場合は入院森田療法を行うことも1つの選択肢と言えましょう。御参考になれば幸いです。
(川上正憲)

Aさんは薬がないと眠れないことに困っています。 まず不眠を考えるうえで、

1)その人に適した睡眠について考え生活習慣を見直すこと
2)(時に薬の力を借りながら)眠れないことで低下したQOLを戻すところに目を向け(つまり昼間の活動にも目を向け)生活を改善すること

不眠症治療に関しては大事なことだと思います。
1)の睡眠を考えるうえで、厚生労働省の研究班から「睡眠障害の対応と治療ガイドライン」の睡眠障害対処12の指針が示されています。
誰しも睡眠薬を止めたい一方で、減らすことにも不安を抱くものです。私も外来で患者さんに、眠れるようになってから少なくとも1ヶ月間は飲み続けることを勧め、止めることに対する不安がなくなったときが止め時であると伝えています。Aさんはこれまでも薬をやめようとされたようですが、急に止めてはいませんか。薬の減量する方法として、少しずつ量を減らす方法を用いたりします。元の投与量の1/4量ずつ2〜4週間かけてゆっくり時間をかけて減らしていきます。あるところまで減らして眠れなくなったら眠れるときの量に戻して、また1ヶ月間くらい様子をみて少しずつ減らしていきます。
絶対に薬を止めなければならないと考えるのではなく、ある程度まで減量出来たもののそれ以上減らせなくなったのであれば、その量で維持するのも一案です。夜間の転倒や副作用もなく、昼間のQOLが高まっていれば無理して止める必要はないと考えることも出来ます。参考にしてみて下さい。
(矢野勝治)

こんにちは、Pさん。まずはご出産本当におめでとうございます。ただし現在Pさんは、下痢などの体調不良に悩まされているようですね。出産後の環境の変化は決して小さいものではありません。喜びとは裏腹に、お子さんの対応など、慣れない育児がPさんの心身に重くのしかかっているのではないかと思います。喉の閉塞感や食指不振、そして不眠などから推察するに、Pさんはかなりの緊張を強いられているように感じました。もしかしたら心身の疲労も募っていたのかもしれません。そんな中、専門機関で、「うつ病でない」と確認できた点は良かったと思います。

そこでは、「気持ちに左右されず行動しなさい」とご指導頂いたようですが、それを踏まえ、Pさんはどのように行動していますか? 私は文面からPさんが「落ち込んでも、不安になっても前向きな行動を常に取ってしっかりせねば」と余計に自分を叱咤激励しているように感じました。それだけ「きちんとしたい」という思いの表れでもあるでしょう。でも、もしそうだとしたら、Pさんの心身が悲鳴を上げるのも当然だと思います。というのも、Pさんの前向きは、常に背伸びをしようと躍起になっている姿と重なるからです。

最近、私は外来で、「前向きになろう」と患者さんに話すことを敢えてしていません。むしろ「後ろ向きにならない生活だけ心がけるように」とアドバイスしています。具体的には、気分が乗らないときに、
1)確実にできるもの 
2)ちょっと無理をすればできるもの 
3)全く出来ないもの
などの3つカテゴリーに分け、患者さんと整理するようにしています。

その際、3)は手をつける必要はありません。その代わり1)は踏ん張って手を出し、2)は自分の余力と相談して「挑戦できれば手を出していくように」などと患者さんに勧めています。その方が、結果的に背伸びをせずに、生活の流れを滞らせないように思います。つまり、気分が乗らないときに「何もやらない」という選択さえしなければ、何とか生活は流れていくものです。Pさんにとってまだ大変な毎日ではあると思います。けれどもお体をご自愛いただきながら、後ろ向きにならない生活を意識していただければと思います。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

Fさんが、「6時間勤務3日目にして1時間だけ早退してしまいました。どうにも身体の不調が気になって耐えられませんでした。くやしいです。あまりに悔しくて、帰宅の車の中で号泣していました」と書き込んでおられます。社会復帰がなかなかスムーズにいかないという状況は、苦しいものですね。「悔しくて号泣した」とのこと、この悔しさにエネルギーを感じます。森田先生も「もっとこうできた筈なのに」という思いにこそ、生の欲望を見ておられます。「苦痛が怖い」、これもとても自然な気持ち。おっかなびっくりでいいのですよね。休んだ上で復帰するのだから、プログラムが決まっているのだから、スムーズに戻らなければいけない、というのも「かくあるべし」かもしれません。
「揺り戻し」はむしろあるものだと考えてください。

6時間勤務になって一時間早退されたとのこと、早退はたしかに悔しいことですが、その前の5時間はどのようにして粘られたのでしょうか。そちらのほうが今後の参考になることと思います。
また、社会復帰のプロセスで案外大切なのが、ご自身が「気にしている」ことをちゃんと伝えておくことです。仕事をカバーしてくれていたり、気を使ってくれている周りの人達の立場に立ってみれば、何も言わずに休んでしまうより、困っていること、悩んでいることをちゃんと伝えてくれたほうが、サポートしやすいし、気持ちよくサポートできますよね。 負い目を感じたり気を使って話さないままにすることで、コミュニケーション不足になることや誤解が生じてしまうことは避けたいものです。

また、短時間勤務で、「午後は休まなければならない」と即帰宅して横になってしまい、生活リズムを壊してしまう、あるいはリズムが取れないという人も案外見受けます。帰りに家の近くの喫茶店に寄るなど、ONとOFFの切り替えを緩やかにする工夫もするとよいようです。フォーラムのやり取りをみればわかるように、社会復帰に取り組んでいるたくさんの仲間や、たくさんの先輩がいます。そうした方たちとの交流を大切にして、七転び八起きで社会復帰に取り組んでみて下さい。
(塩路理恵子)