強迫神経症の部屋
イライラする時は '99.12
わたし達がイライラするときにその原因は多くのものがあります。しかしそれが耐えがたいものである場合は、「今ここで」の生活が充実していないことが多いようです。そのときには、イライラの原因を探るよりも、どうしたら自分としての充実した生き方ができるだろうか、と発想を変えて自分の生活の再点検をしてみたらいかがでしょうか。自分の生活がそれなりにやれてくれば、森田の言う感情の法則が体験できると思います。
強迫現象 '99.11
強迫現象ということについて感想を述べます。フォーラムで発言されている方々を私は簡潔に完全主義者の挫折だと理解します。現代社会は常に完全であることを要求します。私たちも完全でありたいと思うわけですが、それが行き過ぎると自分で自分を縛ってしまいます。元来不完全な私たち人間を認めていくことから、私たちは成長し、自分の完全欲を現実に生かしていけると思います。
率直に伝え、虚心に聞く '99.10
悩みの解決のためには、自分の悩みを率直に伝え、そして人の意見を虚心に聞くことから始めましょう。そこで重要なことは、自分の体験を絶対視しないことです。そこから心の成長、進歩が始まります。
フォーラムでは実用的なアイデアが提案されています。例えば「森田の言葉をいろいろな場所にはっておいて、迷ったとき、悩んだときに見ていく」というものです。行動療法でも勧める方法の一つです。強迫観念が浮かんだり、強迫行為をしたくなると、ポケットからそれを禁じる言葉の書いたカ−ドを取り出します。それを見ることで、とりあえず次の行動に移るように心がけます。古今東西人間のすることには多くの点で共通点があります。
完全主義から自然体へ '99.09
対人恐怖という人と接することに苦痛、恐怖を持つ人たちが、人と多く接する仕事が向いているのかどうかということについて、心の体験フォ−ラムで話し合われました。恐怖の裏に生の欲望があり、そして人はその欲望を決してあきらめることが出来ない。従って自分の欲望をどのように見つけて、発揮していくのか、が問題です。完全主義ではなく肩の力を抜いた60点主義あるいは自然体が望まれます。それにより自分の欲望をより素直に見つけることが出来ます。
対人恐怖 '99.08
対人場面での悩みを持つ方たちがたくさんいます。現代の社会はそれだけ人付き合いが難しい社会なのかも知れません。われわれの人間関係では、一方で自己を主張することが要請され、他方周囲との調和が必要です。対人恐怖で悩む人は、この両者のはざ間で鋭く苦しむのです。これはなかなか解決できないことですが、自分の足元を固め、自分を成長させていくことが遠回りなようでもっとも着実な方法です。
集談会のような自助グル−プで最も基本的なことは、批判なしに共感し傾聴することだと思います。人の悩みをまず共感的に傾聴する態度が重要です。また、よくなった人の体験は、悩んでいる人に重要な示唆を与えます。
われわれは人の話を聞くことから自分の体験を深め、自分をよりよく理解出来るようになります。その上で自分の体験を絶対視しない立場からの助言は重要だと考えます。そのような相互作用から私たちは、自分を理解し、修正する機会を得ることが出来ると思います。
予期不安について '99.07
予期不安ということについて考えたいと思います。手が震える、司会がうまくいかない、声が震える、吃るなど、私たちはどうしても人前での失敗を恐れます。そして失敗をあまりに恐れると、失敗したらどうしようという予期不安がつのってきます。これが曲者です。この不安を除こうとすればするほど不安が強まり、そのような場面を避けてしまいます。失敗してもよい、人前でびくびくするのも自分と思い定めれば、この予期不安は幾分かは軽くなるものです。そこから今までと違った発想が出てきます。
自己中心の克服 '99.06
確かに私たちが成長するには自己中心性(わたくしはそれを我執と呼びますが)の気づきと修正が必要です。それは単に神経症を克服するという次元を超えて、私たちが生きるというそのもの、あるいは人生そのものと関係します。
事実唯真 '99.05
事実唯真がテ−マです。フォーラムにも具体的に述べられていますので、参照ください。さらに私の感想を付け加えると、結局われわれは現実と幻想のはざまで生きている。自分の思い込みからさめることが事実唯真で、そのためにはさまざまなことを知ることが重要なのでしょう。特に自分の弱さを知り、それを受け入れることが心の器を大きくし、そこから自分としての真の強さも知ることができると思います。
集談会に参加できなくて悩んでいる方がいます。集談会のあり方に疑問を持っているからです。このような時こそ、もう一度自分における森田療法を考える絶好の契機です。それは突き詰めていえば、自分の生き方への問いであり、自分の人生を見直すチャンスです。そこから新しい自分の気づき、発見、修正が見えてくると思います。
対人恐怖の裏側に.. '99.04
引きこもっている青年からのメッセ−ジが届いています。対人恐怖で悩む人は、人と接することに恐怖を持ち、そこから回避しようとしてしまいます。しかし人と接触することを避けていては問題の解決にはなりません。それは人と接するのが恐いという気持ちの背後に人一倍、人とうまくやりたい、他の人に認められたい、人間的交流を持ちたいという欲望があるのです。それをどういかすかです。人に認められたいと思う気持ちが強くなりすぎると、逆に人と接するのが恐くなります。あまりに強い人と円満な関係を持ちたい、人に評価されたいという欲望をほどほどに、自分なりと修正することも重要です。対人関係に悩む人は、一般に内弁慶で、家ではそれなりに過ごせますが、外ではだめなのです。人とうまくやるより、まず出来る仕事を優先すると発想を変えてみたらどうでしょうか。目の前の人とうまく付き合おうとする気持ちをとりあえず棚に上げてみて、まず自分で出来ることは何かを問うことです。そこから、むしろ人との関係が築けるようになります。人が周囲が見えるようになります。それが出来て始めて、他の人と人間的交流を持ちたいという本来の欲望の発揮が容易になります。
”生の欲望”に気づく '99.03
集談会で自分の悩みが十分伝えられない、わかってもらえないという悩みは、人間にとって受け入れられることの大切さを表しています。悩みをうまく生かして、自分自身をよく理解できたらよいと思います。私たちはこのような悩みから自分を理解し、成長していくものです。このように自分を表現できたことは大切なことです。またここでのフォ−ラムでは重要な議論がなされています。離人感についての苦しみなども挙げられています。生きることの意味を探し、それを求めすぎると、逆に生き生きとして自分の感情を感じられなくなります。われわれには自ずからわきあがる悲しみ、苦しみ、喜びなどさまざまな感情があるはずですが、あることにとらわれるとそれすら注意を向けられなくなります。一つ一つの生活での行為とそこでの感情を大切にしながら過ごされるとよいと思います。悩みの背後に自分の欲望、森田では生の欲望といいますが、それを発見し、発揮していくことがわれわれにとって生きるということでしょう。これには多分理屈は要らないことだと思います。
対人関係で悩んだら.. '99.02
若者らしいやりとりも盛んに行われているようです。学び、時には失敗し、挫折し、そこから成長する。大いなる目標に苦悩あり、苦悩の背後に欲望あり、人生のドラマは始まったばかりです。会社の同僚や上司などが嫌いですぐ態度や顔の表情に出てしまう悩みも対人恐怖の一種です。明るく振る舞わなくてならないし、それに疲れてしまうし。対人関係をうまくやろうとすると、失敗します。嫌なやつは嫌なやつ、変えようがありませんが、それと仕事は別と言い聞かせ、とりあえず仕事に注意を向けてみることが大切です。仕事に入ることで、嫌だという感情も変化するかもしれません。
”盲従”ではいけない '99.01
心が行動へ向かっていない時期に目的本位、行動本位を強調すれば、自分で自分を苦しめてしまう結果になります。それが自分の神経症を強めてしまうこともあります。森田療法でいう行動本位、目的本位は、森田療法のめざす心のあり方へ到着するための一つの手段です。重要なことは自分を内省すること、自分の欲望を見つけていくこと、それに沿った行動を心がけること、自分を受け入れることなどです。まず森田療法に対して疑問を持つことは、その人の内省する力を養い、自分としての体験を獲得する最初のステップとなります。森田先生が嫌ったのは盲従です。その疑問を話し合うことから、自己理解や森田療法に対する理解も深まると思います。