強迫神経症の部屋
対話することと自己を知ること '00.12
「神経症」を治すには、すなわち「とらわれ」を打破すること、そうすると自ずから、ここが重要な点ですが、自分の健康な欲望(森田療法では生の欲望)が現れてきます。それに乗って生活に取り組んでいけばよいと言うことだと思います。そこでの試行錯誤、挫折、不安と喜びはもはや神経症とは呼ばないのです。そしてそれはいわば「生きること」そのもので、そこで本来の自分を生かしていけばよいのだろうと思います。
さてもう一つは、このように皆さんが積極的にこのフォ−ラムに参加し、自分の体験を交換することの意味についてです。今年の総評のところでも書きましたが、自分の経験を書くこと、そして人と対話することはさらに自分の経験を客観的に見ることが出来、その経験を深め、自分のものとする力となります。
治るということ '00.11
お互いの経験を伝えあうことから、さらに自分への気づきへとその体験をさらに深めていくことが可能となると思います。
ここでは「対人恐怖の心の持ち方」について考えてみましょう。Aさんは、中学3年生から対人恐怖に悩み、しかし持ち前の向上欲を発揮して社会人一年生となり、自分としての人生に充実感を感じるようになりました。わたくしの“軽度神経症を治す”も読んでもらったそうで、著者として嬉しく思います。そして対人関係で、もう少し「格好つけ過ぎている部分をとっぱらうことも必要ではないか」と感じているそうです。
恐怖の背後に欲望あり。わたくしは、対人恐怖の人には健康な「人への接近欲求」があり、それが強すぎるためにむしろ恐怖におちいっていると考えています。従って、その健康な欲望に沿って「取り繕わない生な自分」を表現することはとても大切と思っています。
それに対してBさんは、少々辛辣に、これが「対人の神経症のまった中ですね、本当に計らい多いね」といい、「対人の神経症の治癒とは人間関係を良くする事では無く、人間関係の囚われから外れて、自由闊達な心を手に入れる事です」と述べます。わたくしもこれが森田療法の原則であると思います。つまりわたくしの言葉で言えば「出来ること」と「出来ないこと」をしっかり分けて、「出来ること」(現実に取り組んでいくこと、行動すること)をして「出来ないこと」(感情、現実、他者をコントロ−ルすること)をそのまま認めて受け入れていくことだと思います。
ここで重要なことは、自分の感情をそのまま素直に認めてそれを操作しないで放っておくともに、自分の自然な欲望をいかに現実の場面で生かしていくかです。つまり「感情の受容」と「欲望の発揮」が同時的になされて、治癒への道が開かれるとわたくしは考えています。わたしたちの悩みの本質的な解決は、不安、苦悩をそのままにしながら、自分の固有の欲望を現実にいかに表現するかにかかる、とわたくしは考えています。
対人関係で悩む '00.10
対人関係で悩む人の多くは、人一倍人に認めてもらいたい気持ちが強いのです。そのために逆に人前では、緊張してしまい、目の遣りどころに困り、顔が引きつります。そしてそれが人にイヤな感じを与えているに違いないと悩みます。そしてこのように悩む人は、自分を殺して人に合わせてしまう傾向があります。
しかしこの悩みは単純なものではありません。一方、対人関係で悩む人は、誇り高き人です。人前でのそのような反応自体は自然で人間的なのですが、それを自分の弱い点と思い、受け入れることが出来ないのです。そしてそれを取り除こうとして、悪循環に陥ります。
人前での恐怖の背後に人と仲良くしたいという自然で健康的な欲望を意識し、まずは自分のすべきことをする、自分が何をしたいかを基準に考えていけると、その悪循環から抜ける手がかりがつかめると思います。
関係の中で生きる言葉 '00.09
森田の言葉、あるいは森田療法の持つ知恵はさまざまなものを含みます。しかしそれが自分のこころに届き、ある種の感情を伴って「あ−そうだったのか」といつも思えるとは限りません。森田療法の言葉がこころに届くときには、悩むこころが軽くなり、今までと違った自分の理解に達すると共に前向きな姿勢が出てきます。それは多くの場合、人との関係、親しいそして信頼できる友人、同じ悩みを持つ人たち、あるいは治療者とのやり取りから起こります。言葉を生かすには、まず安定的な関係が必要なのです。森田療法を学ぼうとする人たちはある人を信頼できる能力を持っています。それが森田療法の持つ知恵を学ぶことを容易にします。
不潔恐怖の解決 '00.08
不潔恐怖で悩む人は、当然深刻ですが、それと共に家族の悩みも深いものがあります。どうしても家族を巻き込むことが多いからです。不潔恐怖の解決は、逆説的ですが、ほどほどに清潔に自分の住んでいるところや自分自身を保つことですが、それがなかなか出来ません。 何か汚れたものを見たり、想像するだけで、恐怖にとらわれてしまうからです。そしてその恐怖を消すために、手を洗い、あるいは汚れていないか家族に確認し、肝心な清潔であることがおろそかになってしまいます。
恐怖の対象を避けないで出来るところから手をつけていくこと、なるべく家族を巻き込まないこと、家族は完全に本人をサポ−トしようとはせず出来ることと出来ないことをはっきりさせていくことなどが重要です。
「対人恐怖でも恋愛できるのか」 '00.07
対人恐怖に悩む人たちは、何よりも人が好きです。人が好きであるということが恋愛をする第一の条件です。恐怖の背後に欲望あり。人に接近したい欲望が対人恐怖で悩む人は強く持っています。それがしばしば強すぎて、人の評価が気になりすぎてつらいのです。しかし実際にはそういってもなかなかすぐに思ったような恋は出来ないでしょう。また好きな人が出来ても、その想いばかりが募り、なかなかその気持ちをうち明けられないでしょう。しかしそれは誰もが、少数の人たちをのぞいて、そうなのです。まず身近な対人関係を大切にすること、そこでの率直な自己表現を心がけること、自分としての生き方を求めていくことが大切だと思います。その延長上に恋愛があり、結婚があるのだろうと思います。
対人関係 '00.06
現代は以前に比べて個人主義的となってきたといわれますが、やはり対人関係はわれわれの楽しみであると共に苦悩ももたらします。対人関係で悩む人は、仕事の場面は何とかなるが、皆がリラックスしたときに、どのように話したらよいのかについて悩みます。 このようなリラックスした時間でのコミュニケ−ションは、難しいもの。出たところ勝負という開き直りが大切でしょう。 対人関係に悩むということは、他の人の評価に敏感で、それに合わせた自分を演じてしまうことです。それは結局自分の持ち味を殺すことになりかねません。自分は自分で、自分のそのままを少しずつ率直に表現することが大切だと思います。
森田療法 '00.05
森田療法に関する考え方について意見を述べてみたいと思います。森田療法で得られる体験を Step1:理論森田 Step2:有森田(実践森田)Step:無森田(実践とかいう「言葉」さえ「無」い)と分けて考えている方の例です。Step1:理論森田は高良先生のレベルで、発見会の体験発表はStep2:有森田(実践森田)だそうです。これも森田の理解のひとつでしょう。しかし私はこれにあまりこだわることには反対です。私が日頃から主張しているように、森田の読み方、理解の仕方はそれぞれの今までの人生、価値観、年齢、直面している問題、そして現在の環境と密接に関連します。森田療法の理解に深い、浅い、ステップ1から3というレベルがあるとは思えません。それぞれの個人の問題に合った森田の理解があり、そこからどのように自己の問題を洞察し、解決していくかが問題です。そして固有で自然な生き方を見つけることが出来るかです。ある人はさまざまな自分が好きになる方法を探しました。これは心理学的用語で自己受容といい、苦悩の解決の最も重要な点です。そこで森田療法を基本に内観療法とアサーション(認知行動療法の技法の一部で自己主張訓練とも呼ばれます)が彼に合った方法だとわかりました。私たち森田療法に関わり、興味を持つものは、自分にあった森田療法、時代が求め る森田療法をその本質を押さえながら、発展させていく、自分のものとしていく時代ではないでしょうか。
薬物療法 '00.04
以前に不安神経症のところでパニック障害の薬物療法について述べましたが、ここでは強迫神経症や対人恐怖の薬物療法の意味とその終結の仕方について述べましょう。強迫神経症に抗うつ剤SSRI(ルボックス、デプロメ−ル)が効果あることは知られています。しかしこの効果も症状をすっかり取り去るものではありません。強迫行為や強迫観念が減少する程度です。私は薬物療法と精神療法とは必ずしも対立するものとは考えていません。簡単にいえば急性期に薬物療法は必要ですが、その治療を終わらせるには精神療法が必須です。不安、不全感、不快な感情をそのまま受けとめられる心を作っていくことがより少量での薬物療法を可能とし、それが治療の終結に結びつきます。慢性期になればさらに精神療法の役割は大きくなります。対人恐怖も、抑うつを伴う場合には薬物療法も一時的に効果を認めます。またアメリカでは社会恐怖(対人恐怖とほぼ同じタイプの神経症)にはある種の抗うつ剤の効果が認められるという報告があります。しかしその根本的治療は強迫神経症と同様に不安に対する心を作っていくことにあります。薬物療法で気をつけてもらいたいのは、自己判断による急激な服薬中断です。中断による症状の悪化が必ずみられ、それがまた薬物への依存や自分に対する自信をなくさせます。そのため主治医と相談して、精神療法と併用しながら減薬することがベストです。
不潔恐怖 '00.03
不潔恐怖で悩んでいる人は多いようです。
不快な感じを持ちこたえ、放っておける心の態度を作る必要があります。強迫神経症の欲望はしばしば逆になりますので要注意。
不潔恐怖の人は不潔を恐れるあまり不潔となってしまいます。「清潔で気持ちがよいな」という元来の現実的な感覚を取り戻すことが肝心です。
不安の逆説 '00.02
わたしたちは、不安恐怖になったときに、「なぜ自分がこんなに苦しまなくてはならないのか」「他の人は楽しく人と話しているのに」「他の人は何の人間関係の問題もないようにみえるに」とわれとわが身をのろい、自分の運命を嘆くこころがその不安を耐え難いものにします。
不安の逆説を体験することの重要性と言い換えることが出来ます。不安恐怖は、取り除こうとすると、結局自分で自分の不安を強めてしまいます。それがいつまでも追っかけてきます。不安恐怖はそれに入り込んでしまえば、不安の元来の変化し、流動するという体験をすることが出来ます。これをわたくしは不安の逆説と読んでいます。
完全を求めない事 '00.01
対人関係での悩みが多く寄せられています。現代は人間関係が希薄な時代ともいわれますが、それゆえに、多くの人たちは対人関係で悩むのです。
わたしたちは元来対人関係で傷つきやすいものです。なかなか自分の感情を率直に表現できないものです。そして対人関係は行き詰まりやすいものです。まずは自分がなにが苦手なのか、恐怖なのか、そしてその背後にある自分の欲望とはなにかをしっかりと見てみることが重要です。
恐怖の後ろに必ず欲望があり、恐怖を取り除こうとするよりも欲望を発揮すること。あまり完全を求めないことが大切です。それとともに傷つくことを恐れるあまり、防衛的になり、元来の人と接触したい、人と何かを分かち合いたい気持ちを見失なわないこだと思います。