強迫神経症の部屋

Ysさんがうつ状態に陥り、仕事の復帰のことで悩んでいます。「・・この1〜2ヶ月はとても落ち込んでました。
職場で思わぬトラブルがあり、その後の精神状態が保てませんでした。・・この1〜2ヶ月、何もする気力がなく仕事から帰ったら疲れが押し寄せ、PCの電源も入れたくないし、テレビも見たくないというほどだったので、敷居の高かった自分の職場の外来を受診し、ウツの治療を始めました。・・」そしてさらに次のように書き込みます。「・・気力で頑張れない自分が情けないと思ったりしていましたが、気力だけでは頑張れない時もあるし、医師や薬を信頼する事の重要さを教えたれた気がします。
職場のみんなに迷惑をかけてしまったけど、「ゆっくり休むように!」と暖かい言葉をもらい心強かったです。自分の中にある弱さも根気強さも受け入れていきたいと思うこの頃です」
Ysさんのこの自覚は大切です。まず私たちは、「うつ」に落ち込んだときに、しばしばそれを認められずに、自分の生活の弱さだ、怠けだと自分で自分を非難してしまいます。それが結果としてうつ病への対処を誤ってしまうのです。Ysさんが医師や薬を信頼し治療を受けようと考えたこと自体が現実を知り、その対処を知る上で重要なことです。またをうつ病で休んでしまうと、もともとまじめなタイプの人が多いだけに、職場に迷惑をかけたのでその分がんばらなくてはと、焦り、それがまた心身の過労、行き詰まりを招き、「うつ」に落ち込んでしまいます。
そのようなときに、「うつ」に落ち込んでいる自分をそのまま認め、休むときは休み、できることを自分の状態に合わせて行うことが回復への重要なステップなのです。その確実な第一歩をYsさんは踏み出していると思います。

Hcさんが以前にうつ病で悩み、今は神経症的な悩みで苦しんでいます。
「・・数年前から人前での緊張が激しく、ひどい口渇のために話すことができなくなる、ということを繰り返してきました。14年前から糖尿病でもあります。授業を始める前にVCを口に入れ、唾液の分泌を促し、ボトルの水を飲みながら、授業をやります。今、担任クラスの生徒と関係がしっくりいきません。怒らなければいけない時に唾液が止まってしまったり。この学校に来て2年ですがどうもしっくりしません。・・」
Unさんは「・・鬱だけでしたら、精神科で抗鬱剤を処方してもらうとよくなります(私も経験者です)。ただ、生き方の問題ですので、考え方を変えないと根本的な解決にはならないのですが。苦しいと、些細なことで押しつぶされてしまいますので、この場で、文章で、こういう場面が辛い、こんな生徒が苦手だとか、色々と書き込んで見ると客観的に自分を見ることができるのかな、と思います。・・」と助言します。
Gqさんは「・・うつ気分や疲労感や不快感や雑念も、そのままにしてすべきことやしたいことをしているとおさまっていきます。はじめは難しいですけど、我慢して素直にやってみて、コツ呑み込めば、とりあえず、ヤレヤレです。」
このお二人の助言に賛成です。Unさんの言うようにある種のうつ病は抗うつ剤を服用すればよくなります。しかしHcさんのような悩みの場合の根本的な解決法は「生き方を変える」ことです。それはさまざまな心身の不快感、生徒たちとの関係も自分の思うがままにしたい、苦悩を取り除きたい、と思うとその苦悩は強まります。それを抱えながら自分なりに出来ることをする、出来ないことはあきらめることから道が開けるのではないでしょうか。これからの健闘を祈ります。

Flさんが職場の人付き合いで悩んでいます。「人付き合いが上手く出来なくて悩んでいます。環境が変わるごとにたくさん友人が出来て楽しく過ごす時もあれば、場に馴染むことが出来ず孤独で過ごすこともあり、極端です。・・私は私なりに荒波を立てまいと心がけているつもりですが職場をいくつか変わっていますがその時々何らかのトラブルが起きるので今は人に対して積極的になれませんし、またその態度さえトラブルを招くようで新しい仕事を始めるのも躊躇しています。社会人として場の雰囲気を悪くせず仕事がしたいのですがどのように人と付き合えばいいのでしょうか?」
Ugさんは次のように助言します。「人と上手く付き合える方法が、あれば私も教えて欲しいです。ただ、職場では、2つのことを心がけています。
1.自分の仕事については、しっかり勉強して何でも答えられるようにする。
2.何かしてもらったら「ありがとうございます」と大きな声で言う。
私も、人間関係を作るのが上手ではありませんが、何とかやっています。それと、自分が楽しいな、と思うことを始めると良いと思いますよ。・・」
Kzさんは次のように書き込みます。「場の雰囲気を悪くせずに仕事をしたいのは私も同じです。ですが、うまく行くときもあれば、どうしたって気まずい雰囲気になったりすることもありますよね。人間は完璧じゃないですから、それはしょうがないと思います。それよりも、自分の体裁を守ることを考えるより、自分がどう動いたら人の役に立てるか、それを優先的に考えて行動の指標にすることだと思います。そういった頭の使い方が習慣に出来ればいいんだろうと思います」
表現こそ違いますが、お二人のいっていることは同じです。つまり人とうまく付き合おうと思えば思うほど、それにとらわれ、本来の自然な心の動きがなくなってしまうのです。そして結果として益々人とのつきあいがぎこちなくなるのです。つまり望んだことと結果が全く逆となる神経症的パラドックスです。職場の人たちの一挙手一投足に一喜一憂するのではなく、まず目の前の目的を果たすこと、つまり仕事を工夫することに心を砕くことが大切だと思います。

Mtさんが職場にいじめで悩んでいます。「今日は、一日落ち込むことが続いてしまいました。その始めは、昼間の職場の副料理長の、私へのいやがらせでした。」
そこでの嫌な思いをして、つらい思いを引きずっているのです。
Maさんは高口先生の講演の内容を引用して次のように言います。「ストレスに強い方は、同じように精神的に落ち込んでも行動はされていくんだそうです。それは行動することによってやがては沈んだ心が上がってくることが経験上解っているからなのだそうです。私もそうだなあと思います。」
Mtさんは重要なことに気づきます。「思いきって書き込んで良かったと思いました。以前は、自分がいじめられるような存在なんだと認めることが辛くて、ひた隠しにしていました。それは対人恐怖があることを、ひた隠しにする心理と通じているように思います。いじめられることとか対人恐怖があることが、自分のとても恥ずかしい弱点と思っているからですね、たぶん。」 そうです。つらい思いを隠し、事実をしっかりとみないことがさらにつらさを増していく場合もあるのです。それを認め、そして人とその悩みを率直に話し合ってこそ、その対策が出てくるのです。
Ymさんは次のように具体的な助言をします。「・・副料理長とは仕事上の関係と当分のあいだ割り切って、飛んでくるいじめの罵詈雑言は聞き流し、悩む時間を細かい仕事・雑用などの仕事に振り向けて無我夢中でやってみるのがよい方法ではないかと思います。」
まさにその通りだと思います。このような人とは出来るだけうわべだけでも、ビジネスライクに接していくことがコツでしょうね。そして仕事に工夫する心を育てることこそ、つらいいじめを乗り越え、さらに成長していくことにつながるのではないでしょうか。

Mrさんが職場の対人関係で悩んでいます。「皆さんには理屈ぬきに「とにかく嫌い!」って人、いますか? 私にはいます。今年職場に来た、年上の後輩です。当然のことながらちゃんと理由はあるのですが、もう嫌だなーというのが積み重なりすぎて、「存在自体が嫌い」なんです。・・当然、職場なので話もしなきゃいけないのですが、私があまりに 嫌いオーラを出してしまっているため、仕事以外では話しかけてこなくなりました。・・」
Chさんは次のように自分の経験を交えながら助言します。「嫌いな人だからといって、無視していると、だんだん険悪になっていくことがありますよ。これが恐いのです。そばに居るのに、全く口をきかなくなります。だんだん、仇のように相手のことが憎らしくなり、相手の一挙一投足にイライラしてきます。・・好きになる必要はありません。嫌いという態度は控えること。相手を無視するような態度は絶対に取らないこと。大人として、冷静に、口をきくこと。こんなことが大事かと思います。」
Kzさんは自分のつらい経験を語ります。そして自戒を込めて次のように書き込んでいます。「・・改めて、私は「必死」になっていないなと思いました。どこか逃げ道をつくろうとしているような気がします。家庭を築き、大変な思いをしながらも働いている人たちを思うと、どこか引け目を感じたりします。私も気持ちだけは真剣に、軽い気持ちで逃げないように頑張って生きてゆきたいと思います。」
この回答には、Chさんの別の書き込みが役に立ちそうです。最近お母様のことでChさんはつらい経験をしました。そして感情と行動の法則に関してある理解に達したのです。「私は今回の経験で、人間の感情というものの特質が少しわかった気がします。感情は1つことにこだわると、本当に狭い1つの世界に浸ってそこで安定してしまう性質があります。しかし、それと同時に、あえて行動することによって感情が流れ出す性質も持っているということがあります。このどちらの特質も人間の感情が持つごく自然に沿ったものなので、良い悪いの問題ではないと思います。・・大事なことは、重苦しい感情や、1つにとどまろうとする感情を抱えたままそのままに、おずおずと起き出して動き出すことです。・・重苦しく、苦しく、絶望を伴うような感情を感じたまま、現実から要請される必要とする行動に着手していくべきです。・・感情は狭い1つところにとどまっていた状態から、広い世界に向けて動き出します。」
つまり嫌いなものは嫌い、これは感情の事実です。しかしそれにとらわれてしまい、あるいはそれに振り回されてしまっては、その時々の現実に取り組んでいくことは出来なくなるのです。職場とは、嫌な人を好きになる、あるいはさらに嫌いになる場所でなく、お金をもらって仕事をする場所です。従ってchさんがいうように仕事に必要なことを嫌いなままにやり取りして行けばよいのです。そうすることでそのような感情はまた変化していくのです。

Yoさんが身近な人を亡くし、つらい経験をしています。「ここ数日、落ち込んでて抑うつ的になり困っています。・・絶えられない程の孤独感、喪失感、閉塞感、不安感に陥っています。
何かをしなきゃ・・と思うし、気力で頑張っていますが、その気力をなくしてしまいそうです。」
そのような書き込みに対して、多くの人が応援のエールを送り、それぞれ助言をしています。Maさんは自分だけで悩みを抱えずに必要ならば精神科の受診を勧めます。Unさんは、自分で自分の悩みを強めないように助言します。Chさんは人には回復する力が備わっているのだ、といいます。Kzさんは自分のつらい落ち込みの経験を伝えます。Yuさんは気分転換を勧めます。
それらの書き込みを読んで、Yoさんは「・・自分なりに自分の道を見直してみたいと思っています。」と書き込みます。 私たちの人生には生老病死という苦難が待ち受けています。それは失うことともいえます。これから私たちは逃れることが出来ないのです。このつらい喪失体験はここでの皆さんの助言を参考にしながら持ちこたえていけば、時ともに薄らいでいくものです。それと共に自分としての人生がみえてきます。そこでみえてきたものは、この苦難を少しずつ受け入れた成長した自分の生き方でもあるのです。

Ikさんが本来可愛いはずの子供への加害恐怖で苦しんでいます。「・・帰宅してどっと疲れが出たと思って、休息していたら前に座っている息子の首に目がいき、強い加害恐怖(罪悪恐怖)が起きて、強烈な苦しみと不安と自信喪失を感じました。・・」。
たしかに子供に対する加害恐怖はつらい体験ですよね。Maさんもいうように「・・いくら想像されても事実とは違う、この点をよく把握すれば、如何に自分が気分や感情に振り回され馬鹿馬鹿しいことかがお解りかと思います。・・」
その通りです。これは恐怖、イメージなのです。それをしっかりと自覚することが大切です。そして時に人間は自分の最愛のもの、大切なものこそ失ったらどうしようと怖れるものです。この恐怖の背後にある自分の愛情を信じていくことが重要です。そしてGqさんの意見に賛成です。「・・焦らずに、このまま森田の学習と実践を続けていきましょうね。母親が森田的に成長すると、子育ても気楽にできるようになるんじゃないでしょうか。」。子育ての大変な時期こそ森田の考えを生かすことが重要で、それが母親としての成長を助けるのではないでしょうか。

Waさんが対人恐怖(あがり症)で悩んでいます。いわば古くてそして今日的な悩みでもあります。アメリカの診断基準では、社会恐怖、社会不安障害というものにほぼ該当するのです。従って日本人だけの悩みでは決してないのです。
「私は対人恐怖症に悩んでいます。例えば大勢の人前で話すのが大の苦手で、体の振るえが起き、頭の中が真っ白になり、まともに話せたことがありません。症状は子供の時からで、その様な場面を回避してきたこともあり、大人になった今でも変わりません。現在はその様な大勢の前で話すような機会がないことを願いつつ毎日を暮らすとても消極的な生き方をしていると思います。以前、心療内科にも通いましたが、結果的に薬に頼る為、根本的な解決とは思えず通院を止めました。森田療法の話は5年前程に本で知り、まさに自分の為の療法だと思いましたが、まだまだ理解が足りないためにうまく実行出来ません。・・」と書き込みます。このようなことで悩まれている方は多いものと思います。
さてこのような悩みに皆さんはどのようなアドバイスを送っているでしょうか。
Unさんは「私も、対人恐怖で抑うつのどん底の地獄を味わいました。ただ、今はお陰さまで、人並みに働いています。・・今の現実の状態等を書かれると、他の方もコメントしやすいと思います。自分のことを書くことを躊躇されるのでしたら、他の方の書き込みを色々と読まれても参考になるかもしれません」と助言します。つまり自己を知ること、人のアドバイスを参考にすることをアドバイスします。Unさんはそのようなことを手がかりに対人恐怖を克服していったのでしょう。
Noさんは独特の言い回しでその問題解決法を示します。「・・「上がる」自分を自分としてはっきり認め受け入れ(自己受容)そんな事を問題にせず元気に明るく活躍すればいいのです。人前で話をする事になったら、上がっておお恥じをかけばいのです。・・この人前で恥じがかけない自分を別の方向から見つめて、煎じつめると自己中心的で、思い上がりが強く、幼児性を発揮しているのです・・」
確かにはらはらびくびくしている自分を受け入れるしかないのです。そのような自分を隠そうとするからなおさらそれにとらわれ、苦しくなるのです。Ymさんは「このフォーラムや森田という、学びの場があって嬉しいです。職場や私生活でおおいに役立ち、思いも寄らなかったものの見方が出来たり、自分の傲慢さに気付かせて頂いたり・・」と書き込み、自己理解の大切さや他の人の見方を素直に受けとめることの大切さを述べます。
しかしWaさんが率直に告白するように、それらの助言はわかるが出来ないからつらい、というところもあるのです。そのような場合は出来るところから、一つひとつ、試行錯誤を勧めます。自分なりに、森田を消化して、実行することが大切です。そこから自分の人生が変わっていくのです。

Moさんが自己臭で悩んでいます。この臭いに関する悩みは青年期に多いものです。自己臭で悩まれている方のつらさがこの書き込みには表現されています。
「・・実は、確かに自分でも多少口臭や体臭が気になることもあり、(思い込みかもしれませんが・・・)それなりに気を使ってはいるのですが、気を使っていても、実際に体臭がきついのなら、仕方がないと思っているんです。でも、実際に体臭がきついとしても、わざわざ話の途中で脈絡も無く話を出されるとものすごい辛いです。どう考えても「臭い人には近づきたくない」というニュアンスで話されますから・・・。あまりに辛くて、その話を出した人を嫌いになってしまいそうなくらい、辛いんです。なんだか、これを起点に、また落ち込む日々が続いてしまいそうです。何をするにもオドオドしてしまう。私が単に考えすぎなんでしょうか。・・悲しいです・・・。」
Maさんはずばり事実を知ることの大切さを指摘します。「私達が注意しなければいけないことは、事実を認識するだけで、そこから先の憶測は事実から離れますので慎まなければなりません」
Tkさんも自分の経験をふまえて、次のようにアドバイスします。「自己臭恐怖の人は多分実際臭いを発しているか発していないかは別として他人の反応を過剰に受け止めすぎているのだと思います。ビクビクしたりとか。私もまた他人が鼻に手を向けるだけで極端な恐怖を感じてしまいます。例えば満員電車でも時折体臭っぽいのを感じる時がありますが、その人は全くそんな事気にしている風でもありません。勿論臭いを発しないよう努力するのはとても重要だと思いますが、それと同じくらいいかに気にしない思考にするかというのも重要ではないかと思います(とかいいつつ自分も過剰に気にしているのですが)。・・それでやる事やったんだから、回りが何と言おうと気にしない。いや気にしてもこっちはやることはやったんだから開き直る。・・それと同様に自分を客観視するのも仰る通り重要だと思います。」
体験に裏付けられたとてもよいアドバイスだと思います。またyumirinさんは女性の立場からいろいろと臭いに関するアドバイスします。臭いというのは確かにあいまいでやっかいなものです。特に現在のような清潔さを大切にする日本社会では、人々は臭いに敏感になりますよね。私も事実を知ること、憶測はそれが神経症的とらわれと自覚し、しっかりと観察する自分を作っていくこと、目の前の目的を果たすことなどが重要だと思います。

Tkさんが自己臭・醜貌恐怖で悩んでいます。「・・自己臭の場合は家に居る時は平気なのですが、人がいる所では相手が気になってしまって咳こむ音等が自分の臭いのせいではないか?と緊張してしまいます。醜形恐怖は主に自分の容姿の事で、最初はコンプレックス程度だったのですが、段々進んできて鏡を見る事さえ恐怖になってきて苦しんでいます。強迫神経症は上記の事柄を中心に確認するとい、関連症を患っています。要するに自分自身の体に過剰な意識を注ぎ、ちょっとした欠陥も許せないみたいな所があるかもしれません。自分の性格としては、神経質・内気・真面目・完全志向等が挙げられると思います。・・」そしてどうしたらこの「とらわれ」から脱することが出来るのか、と書き込みます。このように自己臭・醜形恐怖を「とらわれ」だを自覚することがまず問題の解決の第一歩です。しばしばそれが困難なのです。そして実際にそうなのか、自分が勝手にとらわれ、他の人の反応を自分に関係づけているのではないかと自覚し、観察することが重要です。
Soさんが自分の体験から次のように助言します。「・・僕の場合は、自分の口の横にできた醜いしわにより、対人恐怖症になりました。醜形恐怖症なのかもしれません。昔から、自分の顔や容姿に自信を持っていた私は、わがままで自分の事しか考えられられない性格でした。・・今は、神経症により相手の顔を見てなかなかしゃべれない人間になりました。周りの人が、僕の口元を見て、おかしいんじゃないかと勘違いしたり、顔が引きつっていないかと常に気にしたり。でも、Maさんにアドバイスをもらったのは『人はそれぞれ自分の顔や体にコンプレックスを持っていて当たり前』で、僕は人とうまく会話できないのをその皺のせいにしているだけだ、と気づきました。それから、大分楽に友人とも会話できるようになったと思います。・・」
大切な経験と自覚です。つまり自分に欠点(顔が醜い、臭いがする)があると決めつけ、そのために人に避けられると考えてしまいます。それを自分のものと受け入れ、その時々にしたいと思うことに取り組んでいくことが肝心です。人がどう思うかは、私たちにとってどうしようもないこと、どうしようもないことにありこれやりくりすることを止めて、目の前の出来ることに取り組む心の態度が重要です。

Ymさんが今まで順調に来ていましたが、ここにきて行き詰まったようです。落ち込んでしまい、また自分の進む道に迷いが出てきたようです。「森田を知ってから今までは、これでやっていけてました。しかし、今回は違いました。
ウジウジしても仕方のない事なのに、その思いに捉われ、ウジウジ状態が長引きました。ウジウジ思い続けながら(その思いの捉われながら)、次の行動に移りました。でも、やっぱりウジウジは続いたままでした・・・。Maさん、それでも感情の放置ですか?。」Maさんの答えは、皆さんの予想通り「それでよいのです」というものです。Ymさんは「ありがとうございます。ウジウジするときは、ウジウジのままにですね。体得できる日を信じて、今日から、又、思いも新たに、行動行動と、がんばります!・・」
同感です。私たちはさまざまな現実の刺激に会い、そしてその人固有の感情の反応をします。それをあってはならないものと決めつけ、それを取り除こうとすればとらわれの罠に落ち込むのです。ウジウジしながら、一歩、一歩前に進んでいく感覚こと重要なのです。
それと共にKzさんも書き込んでいるように、Ymさんの素直さ、つまりわからないことはわからないと事実を認め、人に率直に聞く態度こそ、そのようなとらわれの罠に陥らないコツなのです。

FFさんが対人恐怖(視線恐怖)で悩んでいます。「家族の中でも緊張してしまいます。家族みんなでテレビを見ることができません。視線が気になり緊張してしまうからです。家族でもそんなですから家族以外の人では顔もあげられないほど緊張します。森田療法の入院も経験しました。でもよくなりません。死にたくなる時があります。どうすればいいのでしょうか。」
森田療法を学ぶ手段として入院、外来、発見会などの自助グループによる学習活動、それに最近ではこのようなインターネットを使った新しい体験フォーラムも入ります。この体験フォーラムはきわめて先進的な試みだと思います。ここで蓄積された知恵がさらに将来の悩む人たちの役に立つことを希望します。
さてどれを選ぶかはその人の悩みの質や今までの社会的経験によって異なります。しかし重要なことは、それらが相互排除的でなく、お互いに相補うような関係であるということです。また入院治療が最終的なものでなく、それからが実は新しいスタートなのです。
Hiさんがいうように入院の場面ではよくなったと感じても、社会に出ると一度ぶり返したような経験を誰でもするのです。退院後は入院の時の経験をさらに自分のものとするある期間が必要で、それは外来や発見会、またこのような体験フォーラムで行われます。
FFさんも自分をだめと決めつけずに、このフォーラムでさらに体験を深め、森田をさらに学んでいってください。