強迫神経症の部屋

  • ★Q:質問
  • ずっと自分の行動などの数を数えてしまうという症状に悩まされていますが、今までは頭の中で「現在の数は、6ではないか」などと実際の数ではない数にして強引にごまかしたりしていましたが、とらわれが強くそれができなくなり、いよいよ数をごまかせなくなって、このままずっと数えてしまうのではないかという恐怖が強くなってきました。今まで数えてもいなかったトイレの回数や寝る回数など自分でもバカバカしく思う行動の回数を数え始めたり、自分でも正念場にきてると感じています。ごまかすのは無理なので、もうずっと数えててもいいと考えて背水の陣のような心境になるしかないと思います。頭の中でぐるぐる数えて、数を確認したりごまかそうとしたり、頭がぼ〜っとするので車で事故ってしまいそうになりました。
    こういう恐怖や症状を認めてあげて、やるべきことを強力にやっていきたいと思うのですが、ちょっとめげてきそうです。
    でも少しずつでも頑張って生活していくしかないと思うので、やるべきことを一生懸命やっていこうと思います。
    どうしてもごまかそうとしてしまうのですが、そのままやるべきことをやっていくしかありませんもんね。
    愚痴を言ってすみません。あまりにも辛い状態でしたので、お許しください。
    なかなか自分と付き合うのが大変だな〜と思ってしまいます。
  • ★A:回答
  • ずっと自分の行動などの数を数えてしまうという症状に悩まされる、とのこと、強迫観念のようですね。不安から必要のないことが頭に浮かび、考えてしまうといった症状です。
    また、このままずっと数えてしまうのではないかという恐怖が強くなり、今まで数えてもいなかったトイレや寝る回数などバカバカしく思う行動の回数を数えることがあり、自分でも正念場にきていると感じる、とは大変ですね。症状の波にお悩みのようです。
    神経症の不安というものは様々な対象へと移ることも多いものです。バカバカしく思えることこそ辛いものですよね。よく我慢していらっしゃいます。また、そのままやるべきことをやっていくしかない、愚痴を言ってすみません。あまりにも辛い状態でしたのでお許しください。とこのこと、辛い中でも前向きなお言葉、頭が下がります。
  • 神経症は必ず良くなると思いますが、良くなるまでの期間は長くかかることも多く、時にはとても辛く感じられることもあるかもしれません。愚痴が言いたくなって当たり前です。十分に努力をなさっておられるからこそ、愚痴も言いたくなるのです。そのお気持でいいのです。その中でも前向きでいようとする、その態度が尊いのです。どうかご自分を責めないでください。その上で、自分と付き合うのが大変だと思う、とあります。しかし、自分を変えたいという向上心があれば、自分と付き合うことは大変なものです。向上心があるからこそ、大変なのです。その感覚はまっとうなものです。それでいいのです。
  • さて、強迫観念を克服するためには何が重要か、考えてみます。
    Tさんは、もうずっと数えてもいいと背水の陣の心境になるしかない、恐怖や症状を認め、やるべきことをやっていきたいとも言っておられます。確かに森田療法では、不安や恐怖をあるがままに認めることが大切、といいます。
    しかし、この意味は不安や恐怖、症状につけこむ隙をあえて与える、ということではありません。不安や恐怖を受け入れるのはあくまでも目的に沿った行動をした上でなのです。
  • 森田療法の最大の目的とは不安や恐怖を受け入れることではなく、どんなときでも目的本位の行動に取り組めることです。Tさんは背水の陣と言われていますが、症状を受け入れる覚悟ではなく、何があろうが、症状があろうがなかろうが、やるべきことをきちんとやる、そのような覚悟が重要です。
    ある患者さんはその感覚を「躊躇しない」と言い、強迫観念を持つ別の患者さんは「不安を跳ね飛ばす」と話していました。不安や症状に気を遣うことはありません。気を遣えばそれらにエネルギーを与え、強めてしまいます。難しいことですが、数えようが、数えまいが、毅然と目前のやるべきことに立ち向かってください。重要なことはやるべきことがやれているかどうか、それだけです。
    運転時は運転に集中してくださいね。治療はその取り組みの積み重ねです。途方もない苦しみを耐え抜き、いまも前向きでおられるtarkさんなら、背水の陣の覚悟でよくなるまで取り組めると信じております。今の気持ちで頑張ってください。
    (鹿島 直之)

Hさんが悩んでいること、すなわち「恐怖そのもの、苦痛そのものになるにはどうしたらいいのか」という問題は、おそらく神経症に悩む多くの人が直面するものでしょう。
Hさんは、便をもらす恐怖、歯医者の恐怖、暗闇の恐怖など様々な恐怖を体験しています。そしてそうした恐怖を抱きつつも、歯科の治療を受け、買い物もし、出先でお茶も出来たにもかかわらず、それがなかなか評価できず、恐怖にさいなまれてしまう自分を情けないと訴えています。また「恐怖そのもの、苦痛そのものになれば何も感じなくなると思っているのですが、それは間違いでしょうか?」と書かれています。では、「恐怖そのものになる、苦痛そのものになる」というのは果たして意識して(心がけて)出来るものなのでしょうか?

森田先生は次のように述べています。
「“はからわざる心”も同じく一つの心の態度であるが、これを教えられる人が、これを一つの事実として見ず、一つの手段として考えるときに、“はからわざらんとする心”が、すなわち“はからう心”になって“一波を以て一波を消さんと欲す、千波万波交々起こる”というふうに、ますますこんがらかってくるようになる」。また「“苦痛を苦痛として受け入れるようにしよう”ということは、その“受け入れよう”と心がけることが“思想の矛盾”となって、その受け入れることがますます苦しくなる」とも述べています。つまり、受け入れよう、はからわないようにしよう、と心がけた時点で、それははからいになるのであって、より一層心の葛藤を強めてしまうと指摘しているのです。

私達は、日々生活をしている中で、様々なことを考え、そして感じています。それは楽しい、嬉しいといった好ましい感情の時もあるでしょうし、不安、苦しみ、怒り、悲しみといった受け入れがたい感情の時もあるでしょう。その際、好ましい感情であれば歓迎されますが、そうでない場合は当然不快になり、それを避けたい気持ちになります。様々な感情が自然に生じてくるように、受け入れがたい感情を嫌だと思う心も自然なのです。
しかし、神経症に悩む人々は、それをも克服しようとして、さらに葛藤を強めてしまうのです。Pさんも記載しているように、歯医者さんを恐い、嫌だと思う人はとても多いはずです。暗闇が恐いと思う人も沢山いるでしょう。そして、そうした恐怖心を取り去りたいと思うのもまた自然なことなのです。恐怖そのものになりきろうとすることが、また新たなはからいを生んでしまうとしたら、どうしたらいいのでしょうか。恐いことも、また恐がる自分が嫌で何とかしたいと考えてしまうことも、自然の事実として受けとめるしかありません。「嫌だなあ・・・」と思いつつでいいのです。しかし、そこでどのように振る舞い、行動するかは自分の力で何とか出来ることです。Hさんが、恐々でも歯医者に行き、買い物をしたように。それを続けていく中で、少しずつそれを受けとめる自分が育っていくはずです。 受け入れがたい感情に襲われた時は、まず「出来ることと、出来ないこと」を分けてみたらどうでしょう。そして、出来ること(行動)に力を注いでみましょう。淡々と経験を重ねていくと、そのうち、様々な感情と付き合っている自分にふと気付くと思いますよ。
(久保田 幹子)

Rさんは「ミスを恐れて何度も確認してしまい、仕事をするのが怖い」と書いています。
「幼い頃から神経質な性格に悩んでいる」とのこと、ミスや応用がきかないのはいいかげんなのではなく、「神経質」ゆえ、とはご自分でも感じておられるよう。

きっとRさんにとって仕事というのは決してミスをしてはいけない、緊張するようなものなのでしょうね。
仕事でミスをしないように心がけるのは良い仕事をするためにとても大切なこと。でも、今のRさんにとっては「ミスをしないこと」が仕事の最大の目的になってしまい、守りの姿勢でがちがちになってしまっているのかもしれません。言い換えれば「良い仕事をする」ために「ミスをしないように心がける」はずなのに、その手段と目的が逆になってしまっているのです。

そこで、もう一度「仕事の目的」を取り戻してみましょう。「今日の仕事の目的は何か」「この仕事全体の目的は何か」という視点です。
森田先生が丸太の橋を渡るとき、足元ばかり見ていると足がすくみ、うまく動けなくなる、向こう岸をみつめて渡ると、緊張と弛緩のバランスがとれると書いています。

そのように目的を見据えて仕事をしていくと、そのときどきの必要なことに注意が向いていくのではないでしょうか。
付け加えると、焦りから浮き足立つと、ますますミスは増えるもの。焦ったときこそ一呼吸置くようにするとよいでしょう。
もうひとつ、「家でもミスがないか思い出して気が休まるときがない」とのこと。家ではそのときの目前、すなわち家事であったり、趣味であったり、休息であったり、に向かうようにしましょう。
ぜひ「神経質」を生かして、「良い仕事がしたい」という欲望を発揮していってください。
(塩路 理恵子)

こんにちは、Yさん。手の振るえに苦しみながら、日常の生活に頑張られている様子が良く伝わります。手の震えるままに実験本来の目的を果たそうとしているのですから、これこそ目的本位な姿勢であるといえます。

しかし、それだけではなくYさんは、実験を通じて、仲間たちと深い情緒的交流も体験されているように思いました。周囲の温かい眼差しは、Yさんに大きな安心感を与えたことでしょう。けれども、仲間たちは単に温かい言葉をYさんに送ったわけではないと思います。Yさんが弱い自分をいたずらに隠そうとせず、「実験を成し遂げたい」という正直な思いで望んだからこそ、周囲はそのことに深い共感と理解を示したのです。

このことは、神経症を克服する上で大変重要な体験であると思います。というのも、神経症の患者さんは、自分の弱みを周囲に見せまいとして、人一倍上手く振舞うことにとらわれてしまうからです。その結果、上手く振舞える自分だけが、あたかも本当の自分であるかのようにとらえがちになるのです。
しかし、弱さをもたない人間など誰もいません。むしろ弱さの中にこそ、神経症の患者さん本来の良さがあるのではないでしょうか?だからこそ、Yさんが述べられている「将来、人を癒してあげられるような人間になる」という文面には、弱い自分を生かそうとする大切な姿勢があるのだと思います。さらに、このことを踏まえてYさんにも是非、この体験フォーラムに参加し続けていただければと思います。他の方の体験を聞くことで、時に自分の認めたくない自分に気づかされることもあるかもしれません。その時は、何とも言えぬ心苦しさに駆られるものです。けれども、フォーラムで取り交わされる様々な意見や考えは、Yさんの生活に様々な示唆を与えてくれることと思います。是非頑張っていただき、本来のYさんらしさを育てていってください。
(樋之口潤一郎)

Sさんは、仕事に際して、ミスが怖くて確認をやめられないという切実な悩みを書き込まれました。
このフォーラムの多くの読者の方が、共通の悩みをお持ちではないでしょうか。このような症状を不完全恐怖(誤りや見落としがないかという強迫観念)と呼び慣わしています。おそらくSさんは完全欲が強く、仕事に対する責任感の旺盛な方なのでしょう。つまり仕事は「きちんと着実にやらなければならない。自分のミスで仕事に支障を来たしてはいけない」という心の構えが人一倍強いのだと推察します。そのような姿勢を持つのは、仕事上大切なことです。「仕事なんか適当でいい。支障を来たしたっていいや」という人がいたとしたら確かにミスへの恐れは持たないでしょうが、そんな姿勢では周りの人が困ってしまいますね。

Sさんのように「きちんとやらなければ」という構えが強ければ強いほど、「ミスをしたらどうしよう」という恐れもまた強くなるのは自然の心理です。どうやらSさんは、「何かあったら皆で解決していけばよい」と自分に言い聞かせて、そのような恐れをなくそうと努めているようですが、このように考え方を変えようとしてもミスへの恐れをなくすことはできませんし、本来自然な恐れをなくす必要もありません。問題はミスへの恐れを抱いたときの対処の仕方です。Sさんのように確認行為によってその恐れを排除しようとすると、こんどはちゃんと確認できたかどうか不安になって、さらに確認を繰り返すといった悪循環にはまることは身をもって体験されているはずです。このような悪循環から脱するには、ミスを恐れつつ、1度確認したら次に進めていくことが必要です。

「それができないから困っているのだ!」という苛立ちの言葉が返ってきそうですね。「言うは易く行うは難し」であることは承知しています。たしかにそれは困難な道のりでしょう。確認したい気持ちをそのままにして先に進もうとすると、後ろ髪を強く引かれるような不全感、不快感が生じてくるのでしょう。さらに先に進んだら、髪の毛が全部抜けちゃうような恐ろしい事態が起こるような気がするかも知れません。しかし事実は違います! 何とか前に進んでいくと、不快感はゆるやかに減少していくものです。よろよろ急坂を登っていくと、ついには平坦な道にたどり着くものです。どうか1度新しいやり方を試みてください。そしてその結果を(たとえうまくいかなかったとしても)またフォーラムで知らせてください。私だけでなく、声援を送っている多くの読者がそれを待っているはずですから。

なお参考までに、ふたつの情報をお伝えしておきます。薬だけで不安をなくそうとしてもうまく行きませんが、薬は上記のようなやり方を実行する助けになることが多くあります。それからもうひとつ。私たちの施設で入院森田療法を受けた方々の治療結果を見ると、不完全恐怖のタイプ(それだけ完全欲が強い人々)は改善率が81.2%と、強迫症状の中でももっとも良好な結果でした。それだけ、森田療法的なやりかたで改善が期待される症状だということをお伝えしておきます。
(中村 敬)

Cさんへ
「病識があれば幻聴のある人にも森田療法は適応なのでしょうか?」という問いですね。森田療法を行っている治療者の中でも意見の相違はあるかもしれませんが、原則幻聴のある方が薬物療法を受けずに森田療法を受けることはお勧めしません。幻聴は色々な病気から出現しますので、精神科医に診察をしてもらい、適切な診断の元に薬物療法を受けることが大事でしょう。その方がどうしても森田療法で治療したいと言った場合には、幻聴を薬物療法で改善させた上での話ですが、「幻聴へとらわれ悩んでいる悪循環から脱することを目標として日々生活上必要なことをしていく」という風にゆるやかに森田療法的な知恵を取り入れる程度が良いでしょう。

幻聴をきたす病気に対して森田療法を主に治療を行うのは難しいですが、以下のような場合は森田療法を行っております。対人恐怖症の中で「自分のにおいが相手に不快な思いをさせている」と確信しているような方に対してで、このような対人恐怖を我々は重症型と呼んでいます。自分のにおいが他人へ不快な思いをさせているというのは現実にはないことですから「妄想」ということになります。このように自分から相手へといった現実にないことを確信していても、加害—忌避(害を与えて相手が避ける)の構造が保たれていると、対人恐怖症の枠内で捉えられ、森田療法の適応になります。また、強迫神経症の中では強迫観念が森田療法の適応で手洗い時間が長いといった強迫行為を伴っている方へは森田療法を実施するのが困難とされてきました。しかし現在は強迫行為の激しい方に対して薬物療法を積極的に併用して森田療法の治療効果をあげております。少々専門的な説明になってしまいわかりづらいかもしれませんがお役に立てれば幸いです。
(舘野 歩)

buさん、こんにちは。メール便のお仕事をお母さんと一緒に頑張っているようですね。そして、さらに一歩前進して、アルバイトの仕事に踏み出そうと考えていらっしゃるようです。
しかし、面接の電話をかけようとすると「昔の嫌な体験を思い出して」一歩が踏み出せないとのこと。大変つらい体験であったことと推察します。 心の傷が癒えるのは時間がかかるものです。おそらく大変つらい体験であったからこそ「また、そうした嫌な体験をするのではないか」という不安が生じるために次なる一歩が踏み出せないのではないでしょうか。しかし、buさんはつらい体験を抱えながらも次なるステップへ向けて努力を模索されています。そうした内なる原動力はどこから来るのでしょうか。
これこそまさにbuさんの「生の欲望」に他なりません。そうです、buさんには、内から湧き上がってくるエネルギーがあるのです。ご自分の中に湧き上がってくるこうした「〜したい」という気持ちを何よりも大事にしましょう。逆説的ではありますが「順調に仕事をしたい」という気持ちが強くなれば強くなるほど、「失敗したらどうしよう」という不安が強くなることがお分かりになると思います。

また、森田療法では我々に生じる様々な感情を病的なものとは考えません。buさんがつらい体験を通して感じられた「悲しみ、憤り、怒り」、またアルバイトに際して生じる「不安、恐れ」などはどれも全て起こるべくして起きている自然なものです。では、どのように行動したら良いのでしょうか。森田療法では、こうした感情に左右された行動をとるのではなく、感情は感情として抱えながら、「内なる希求」に従って(buさんの場合では「アルバイトをしたい」に相当します)、今、現在できることを焦らずゆっくりと取り組んでいくことを目指します。「不安は不安なままに」、今できることを1つ1つ取り組んでいきましょう。buさん、焦らずゆっくりで構いません。千里の道も一歩からです。
(川上正憲)

Tさんは、雑音が気になっています。
早く寝る必要があったある夜に隣の部屋からの騒音で眠れなくなって以来、小さな音にも敏感になってしまったとのことです。

まず、きっかけになった不眠について、通常は寝つくことが出来るのに、次の日に特別なことがあると眠れなくなることは良くあることです。
小学生のとき遠足の前夜などはなかなか眠れなかったことは皆さんも経験があることだと思います。
次の日早く起きなければいけない、大事なことが控えているなどの思いから、十分な睡眠を取り万全な体調でなければうまくいかないのではないかという思いがあったのではないでしょうか。寝よう寝ようとすればするほど目が覚めてしまう神経症性不眠の状態にあったと思われます。

次に「音を聴くこと」についてです。人間の聴力というものは大変うまく出来ていて、音は意識しなくても必要な音を識別し聞くことが出来るようになっているものです。例えば機械が録音したものを後で聞き直してみると雑音が多くて聞けなかったということは経験したことがあると思います。
つまり聞くということは、日常にあふれているたくさんの音の中から必要としている音を拾って増幅し、理解や判断をしているのです。
耳を澄ますとよく聞こえてきますね。音に意識を集中しているからと言えます。逆に言えば些細な音を気にすると普段は気にならない音でも拾って増大させてしまうとも言えます。
森田療法の考えでは音を気にするがあまりに聴力過敏の状態になり、余計な音まで拾ってしまい、さらに気になってしまう「悪循環」になっていると考えられます。

さてどうすれば改善できるかですが、睡眠に関しては、寝ることを体の休息と考え、横になっているだけでも身体の休息は図れますので、眠れるか否かを明日のことに結びつけすぎないようにしてみてください。また、隣宅の音についてですが、気にすれば気にするほど強まり、イライラするものです。隣宅の音も電車の音などの雑音と同じように、過剰にとらわれることなく、生活してみてください。
(矢野勝治)

「どんなことが症状改善につながるのか」

こんにちは、Tさん。神経症にひとりで悩み、苦しんでいます。イギリスロンドンに住んでいます。こちらだと、一人で悩みを抱えているようで、どうしたものかといつも思っています。カウンセラーとセッションをしていますが、いまいちカウンセラーの方も私の症状をよくわかっていないような。英語なので。対人恐怖のため、いじめにあったり、文句をいわれたり、仕事も月に何回かしていますが、人にあう、話すことが本当に何倍ものパワーが入ります。相手の目を見るのも怖いです。
あと、長年のこの症状からパラノイヤ、少しうつ気味になることも。人にあうと、その人のことを怖い、またいじめられるのでは?恐怖感がでて、それが相手に伝わってしまっているようで、人には悪いこと考えてるでしょ?とよく言われます。もっと生活が楽になったら、といつも思っています。

回答 「症状改善は地道な努力から」

Tさん、こんにちは。イギリスのロンドンに在住しておられるのですね。
対人恐怖のため、いじめにあったり、文句を言われる、人に会う、話すことが何倍ものパワーが入る、相手の目を見るのも怖い、とのこと、大変ですね。さぞ苦労されたことでしょう。さらに、時にはパラノイア、すなわち妄想的になったり、うつ気味になるとのこと、強い不安が続くための症状かもしれません。なお、そういう状況で異国にとどまり、仕事をしておられる、その勇気には驚かされます。また、カウンセラーとのコミュニケーションが英語であるために症状を理解してもらえず、一人で悩んでおられます。周りから理解されないと非常につらいものですね。その忍耐にも頭が下がります。

さて、どんなことが症状の改善につながるのでしょうか。
一般に、森田療法では、症状を改善させようとする注意こそが、かえって症状を持続させてしまうことがあるとされます。症状についてのこだわりそのものが、症状を固定させてしまうのです。
Tさんの場合も、「この症状さえなければ」とのお気持ちが、かえって改善の仇となっているのかもしれません。症状にこだわらず目の前のことに全力を尽くすことで、症状が和らぐ場合も多いものです。

症状を和らげるには、注意を症状ではなく、仕事や対人関係で本当に重要なことに向けることが大切です。Tさんは、長年の症状に苦しみながらも、海外で仕事を続けておられるのです。普通の人ですら大変なことです。ですから、もっと取り組みに自信をもっていいのです。今までに出来たことを振り返り、さらに日常生活の仕事や対人関係で工夫や努力を重ねていくこと、それが重要です。
例えば、コミュニケーションで大切なことは、不安や緊張を感じないかどうかではなく、相手の話がどれだけ理解できたかなのです。まずは聞き上手になるよう心がけてもいいでしょう。人と会う場合に、不安があろうがなかろうが、相手の話に出来る限り集中する、といった努力が大切です。可能なら、仕事の日数も増やしてもいいかもしれません。不安にこだわり、そこから逃げることで不安が強まってしまうのです。不安や症状のために手をつけられずにいたことに、恐る恐る手を出してみてください。案外やってみるとできるものです。また、薬をまだ使用していないのなら、現地の病院を受診し、抗不安薬やSSRIといった薬を処方してもらってもいいでしょう。とりあえずの不安を和らげることが、日常生活での努力をしやすくします。なお、他の人の症状を知ったり、誰かに症状を理解してもらうことでも楽になります。森田療法関係の本を読むこと、および、このサイトへの引き続きの参加をお勧めします。Tさん、生活への取り組みを続けてください。必ず良くなります。
(鹿島 直之)

こんにちは。現在、Iさんは、二児の母親として奮闘されていることと思います。その中でIさんは困っていることとして、お子さんに対して感情的になってしまうこと、買い物などで中々決断がつかないこと、さらに対人場面で自信が持てず緊張してしまうことなどを挙げています。
一見これらは全て異なった内容のように思われるかもしれません。しかし、どの出来事もIさんの特徴をよく表しているように思います。
その共通した特徴とは、Iさんが常に完全な母親や主婦であろうとしている点だと思います。

森田療法では、神経質性格の特徴の一つとして完全欲の強さを挙げています。つまり神経質の人々は、完全でありたいという欲求が他の人達に比べて強いために、常に万全な状態を維持することにとらわれてしまうのです。Iさんも、完全でありたいと思うあまりに、感情的になった自分を過剰に責めたり、決断が付かなくなったり、そして対人場面で余計に緊張を募らせてしまったのかもしれません。
しかし反面、森田療法では、この完全欲の強さこそ、神経症を克服する上で不可欠であるとも説いています。つまり、「常により良くありたい」という完全欲のもう一つの側面(森田療法でいうところの「生の欲望」)を生かしてこそ、神経質性格の人達の生活が光り輝くことを述べているのです。

Iさんのお子さんに対する姿勢も、より良く成長して欲しいという親の願いの表れでしょうし、決断できない背後にはもっと良いものを得たいという思いがあるのだと思います。さらに人前での緊張も、より良く人と接したいという気持ちの表れなのだと思います。だからこそ、Iさんの生の欲望を生活の中に生かしていく必要があるのです。
ではどうやって生かしていったら良いでしょうか?その答えのひとつは、不完全な自分をまず認めることなのだと思います。
その上でベストを尽くすように心がけることです。
次に現実の状況に応じて臨機応変に行動することを心がけることです。

森田療法では事実本位ともいいます。つまり、お子さんのことを例にあげれば、理想的な親として振舞うのではなく、必要なときにきちんと叱ってあげられる親になることが必要なのです。そうすることでIさんの生の欲望は生かされていくのです。最初は戸惑うことも多いかもしれません。しかし、このようなことを心がけて行動することは、Irisさんに新しい視点を与えてくれるはずです。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

Gさんは、20年あまり汗の問題と臭いの問題に悩まれてきたとのこと。

「このままだと子供も対人恐怖症になってしまいそうです。家を新築したばかりなのですが引越しを考えています。環境を変えてあげたほうがいいのでしょうか」と書かれています。そこまでの思いつめた気持ち、さぞおつらいことと思います。
Bさんが書いているように、「結婚して子供を生むということをした時点である程度の対人恐怖は乗り越えられている」ということ、つまり汗の問題に悩みながらも人生を切り開いてこられたことには、自分を認め、自信を持ってよいのではないでしょうか。お子さんの公園デビューをきっかけに症状が強くなられているとのこと。

公園デビューといえば、お子さんと二人の子育ての世界から再び社会に触れ、「子供のためにもほかのお母さんたちともうまくやらなくちゃ」ととても緊張するときですよね。
言い換えれば、お子さんを大切に思い、よく育ててあげたいと思えばこそ、今不安が強くなっているのかもしれません。そしてその不安が臭いの問題に集められてしまっているのかもしれませんね。
「臭いの問題をなんとかしなければ」と思うほどに、周りの人の振る舞いにも敏感になり、ますます気になってしまう、という悪循環も起こってしまっているかもしれません。
Uさんは「大きな決断をする前に、自身の悩みを整理して」とアドバイスされていましす。自分が思うほどには相手の人は気にしていない、という事態もあるかもしれません。

まずは本来の「よい子育てをしたい」という願いを取り戻して、お子さんのために日々できるよりよい世話(家の中でのことも)に目を向けてみてください。そして、臭いのことだけでなく、その日にやれたことを振り返り、認めるようにしてみてください。それともうひとつ。Gさんには主治医の先生がおられるでしょうか。
自己臭恐怖では、「自分の臭いのために相手に嫌な感じを与えてしまっている」「相手に避けられている」というように他の人の反応を自分の臭いのことと結びつけ、敏感になってしまうことがあります。そうしたとき、その過敏になっている部分を和らげ、生活を広げやすくするために補助的に薬物療法を用いるということも考えてよいと思います。
(塩路 理恵子)

Ko様、読書恐怖に14か15歳の頃より悩まれて大変ですね。Ko様は読書をする際、内容を完全に把握しなければならないといった意識が強いことはありませんか?
本に書いてある文章を完全に吸収したいと思えば思うほど細部にこだわりかえって頭に入らなくなってしまっていませんか?

もしそうだとすると、読書で知識を得たいといった欲求が空回りしてしまっているということになります。
森田先生は読書恐怖を強迫神経症の枠でとらえているわけです。読書できないのではなく、読書することができるのに読んで理解したい気持ちが強すぎるために読めなくなってしまうのです。読書恐怖を森田療法的に解決するのであれば、本の内容を把握するしないに関わらず一度ざっと最初から最後まで読むようにしていってはいかがでしょうか?
一歩一歩把握しようとすることを積み重ねる結果、逆にいつか本の内容を把握できるようになっていると思いますよ。言い換えるなら「急がば回れ」ですね。
(舘野 歩)