強迫神経症の部屋
「緊張をなくそうとする戦いをやめる」 '08.12
yさんは会議など大勢の前で発言する際の過度の緊張感とその為の疲れ、また、その際に人からどう見られているのかが気になって困ってらっしゃるのですね。きっと多くの方に共通する悩みなのではないでしょうか。
ここに掲載されている他の方々の体験談なども参考になると思いますが、今回はそのエッセンスをお伝えします。文面から推測すると、yさんは会議などで発表する際にはきちんとしっかりと発言したい、という気持ちが強いのだと思います。自分の意見を伝える為にはそのような気持ちは大切なことだと思います。
しかし、自分の意見を伝える為には「緊張していてはいけない」「表情が険しくなってはいけない」という考えが強すぎるという事はないでしょうか。実際、大勢の人の前で自分の意見を言う場面では他の人から自分はどう見られているのかが気になるものですし、やはり緊張するものです。にもかかわらず、「緊張している自分を見せてはいけない」という思いが強い為に、常に「自分が緊張しているか」を観察しているのではないでしょうか。そうだとすれば、注意は会議の内容ではなく、常に自分自身に向いており、その為に会議の内容が頭に入りにくくなっているのではないでしょうか。注意が自分自身に向くとますます緊張は強くなっていくものです。
もし、この事が当てはまるようでしたら、今までと違うやり方を試みてはいかがでしょう。
それは何か言おうと焦る前に、先ず他の人々の発言にしっかりと耳を傾けるということです。「聞き上手」になることができれば、おのずから何をいうべきか、適切な内容が頭に浮かんでくるものです。そして言うべきことが浮かんだら、緊張をなくそうとする戦いをやめ、緊張したまま、表情がこわばり声は震えていても自分の伝えたい事を発言することです。大切なのは緊張したかどうかではなく、自分の意見、会議の内容に沿った適切な意見を伝えることができるかどうかです。このような姿勢で行動することがyさん自身を大きく変えてくれるはずです。
(谷井一夫)
「千里の道も一歩から」 '08.11
Pさん、こんにちは。「人見知り」でお悩みのようですね。文章を拝見すると、悩みを抱えながらもアルバイトをしたり、自動車学校に通ったりと、前へ前へと進もうとするエネルギーがあることを感じます。こうした前へ前へと進もうとするエネルギーがあることは大変重要です。
そもそも、「人見知り」とは「相手に自分がどのように思われているかを必要以上に気にしすぎる故に生じる」ものと思われます。こうした「相手にどう思われるかという気持ち」の背後には、必ず「人に良く思われたい」という願望が存在するものです。「人に良く思われたい」と思う気持ちはなにもおかしくありません。 しかし、その感情が強すぎると「人に良く思われなければならない」と思う人もあるかもしれません。こうなると、「人に嫌われてはならない」といった形で自分自身を追い込んでしまう形になります。
こうした悪循環に陥らないためには、
- 自分自身に浮かんでくる不安は不安のままに抱えていくようにしましょう。「人に嫌われたらどうしよう」という不安は何も異常なものではなく、「人に良く思われたい」と思えばこそ生じる自然な感情です。こうした生じるべくして生じている不安にとらわれて、不安をやりくりしようとする努力はかえって不安を強くしてしまいます。
- こうした不安を抱えながらの姿勢で、Pさんに内在する前へ前へと進もうとするエネルギーにしたがって、コツコツと目標に向かって取り組んでいきましょう。
- それから、物事の結果はすぐに現れるものではありません。人間関係にしろ、アルバイトにしろ、地道な努力を必要とするものです。自分の思い描く結果が直ぐに出ないからと言って途中で投げ出してしまうのは大変勿体無いです。千里の道も一歩からです。結果だけを目標にせずに、1日1日のコツコツと努力するプロセスを大事にしていきましょう。
(川上正憲)
「仕事増やしました」 '08.10
Jさん、薬局事務の仕事を始められたのですね。失敗したら気にしてしまう自分を感じつつ、何とかやってみようと思っている、これはとてもいいことですね。まさに目的本位の行動です。
なお、失敗を全く気にしないようでは困ります。Jさんはきちんとやりたいという気持ちがあるから気になるのです。それでいいのです。気にする心理を生かし、注意深く取り組んでください。
また、新しい仕事でうまくいかないことがあって当たり前なのです。失敗したからといって自分を責めたり、こだわりすぎる必要は全くありません。失敗に気づいたら次の行動の参考にしてください。Jさんは自分の失敗にきちんと気づくことができる人のように思います。神経質はいい性格です。それを生かしていきましょう。 さて、勤務なさっている調剤薬局で自分のデプロメールをもらえるか、勇気を出して聞いてみたら、小児科が主なのでなかった、とのことですね。その時「ドン引き」された気がして「聞 くんじゃなかった」と感じている、これで不利に立ったらどうしよう、とも不安になっているとのこと、大変お疲れ様です。お気持ちはごもっともですね。ただ、服用している薬を、自分が勤めている薬局で処方してもらえるのであれば、手間は省けるし、売上になるしで、聞いてみたくなるのはごく当たり前です。聞かないでいるほうがむしろ不思議なくらいです。不安の中で、勇気を出されたのは目的本位の行動であり、これはとてもいいことですので、全く後悔する必要はないと思います。
また、Jさんは、聞いた時に相手が「ドン引き」したように感じたのことですが、私の思うところをお伝えします。Jさんのように、デプロメールを服用しながらでも、新しい仕事に取り組んでいく姿勢はとても大切なことなのです。新しいことに取り組む時には不安が強いものです。デプロメールによって不安が和らぎ、取り組むことが可能になるのであれば、服用はとても重要なことだと言えます。
相手がどのように感じようが、Jさんは何ら間違っていません。 むしろ目的本位の行動をとるために、服薬を含めいろいろな努力をなさっておられるのです。不利な立場になる理由は全くないはずです。もし、今の職場から精神状態について確認されるようなことがあるなら、主治医の先生とも相談してきちんと話し合えばいいだけです。勇気があるJさんならできると思います。Jさん、頑張ってくださいね。いろいろと気になることが多い中だからこそ、取り組む価値があるのです。
(鹿島直之)
「緊張にとらわれる」 '08.09
Gさんは自分の緊張や不安をまわりに悟られてはいけないと気にして必要以上に緊張して、親しくない人の前ではぎこちなくなってしまい、愛想がなく冷たい人だと思われがちだというように人間関係で悩まれています。大学卒業後アルバイトをされたものの、人との関わりへの恐怖感と体力的にきついことから2ヶ月で辞めてしまったとのことです。これから先就職を考えているようですが、今の状態ではどこでもやっていけないのではないかと不安になるようです。
一般的に親しくない人の前では誰しも緊張するものです。人とうまくやっていきたい、よく思われたいと思えばなおさらです。しかしGさんは緊張している自分を知られることを人一倍恥ずかしいことと苦にしているようです。緊張を悟られると大変なことが起こると思っていませんか。けれども事実はどうでしょう?Gさんが誰か他の人の緊張に気づいたとしたら、相手のことをどのように思うでしょうか?もうその人との関わりをやめてしまうでしょうか?
恐怖は想像によってどんどん事実とかけ離れていくことに気づいていただきたいところです。さてGさんは挨拶が苦手とのことですが、どうしても出来なければ会釈だけでもよいと思います。会釈のときに声が出るようであれば声を出して会釈してみましょう。それが挨拶となります。また、感情を表現することばかりを気にせずにその場に居て人の話を聞いているだけでも良いと思います。今後就職を考えているようですが、仕事の場面を想定すると、自分がどう見られるかが気になると思いますが、仕事ではリラックスして話すことよりも、緊張しながらでも必要な会話をかわし、しっかり仕事をやり遂げていくことが大事です。そのような仕事ぶりであれば、おのずから評価されることに繋がり信用を得られると思いますよ。
(うまくやろう)や(どうにかしたい)思いが生活場面で結実するとよいですね。頑張って下さい。
(矢野勝治)
「罪悪感も自然な感情」 '08.07
Gさんこんにちは。Gさんは、森田療法とめぐり合い、このフォーラムに繋がりました。その後、不安の中でも、まず基本である日常生活を大切にしようと頑張っている姿が見て取れます。このことは、神経症を克服する上で大切な一歩であるといえます。ところで、Gさんは、加害強迫に長年悩まされ、そのことで生活が狭められていると感じておられるようですね。
ここで、Gさんの加害強迫の内容は、実際どのようなものでしょうか?外出時、「自分自身の何らかの行為が、相手に危害を加えてしまうのではないか」などの強迫観念が起るために、「大丈夫であろうか」という思いを強め、確認行為に終始してしまうのでしょうか?
もし、そうであるとすれば、Gさんは、人を傷つけてしまった際の罪悪感を、「抱いてはいけない感情である」と見なしているのだと思います。しかし、罪悪感は、そんなにいけない感情でしょうか?私は、そうであるとは思いせん。むしろ、社会生活を送る上で、大切な感情なのだと考えます。
文面で、Gさんは、「生き生きと生活がしたい」と語っておられます。そのことは、まさにGさんの中に、向上発展を願うだけでなく、「人と深く接したい」という欲求が存在する証であるといえます。当然、人と関係が深まれば、相手に対する罪悪感も募るはずです。しかし、このような感情を排除するのではなく、むしろ、人との関係を深める上で、他者を労わる力に転換していくことを願っています。当然、最初からこのような態度の転換が順調に進むとは思いません。やはり、試行錯誤の連続であるでしょう。けれども、Gさんの、回復を願う大切な欲求が少しずつ、実生活のあらゆる場面に生かされていく体験を積んでいって欲しいと思っています。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)
「いらいら、腹立ちと森田療法」 '08.06
Sさんは「小、中学、高校生に対して異常なほどいらいらする、と書いています。Sさんは同じくらいの年代で、「普通こんなことしないでしょう」「自分はちゃんとしているのに」という気持ちなのか、あるいは彼らより上の年代で、「公共の場で何をやってるんだ」と思うのか・・。
いずれにしても、マナーの悪い学生たちを見て、悟ったように静かな気持ちでいる、というのも無理な注文かもしれません。
神経症の人は、いらいらなどの感情が流れず、持続しやすいようです。
森田先生の言葉をそのまま引用してみましょう。
「いたづらに自分の腹立ちの気分に執着し自分は腹が立たなければ楽であろうに、なんとかしてこの苦しみがなくなればよいとか、そのことばかりに集中するから、いつまでも忘れられない。ただ腹がたつままに、しかたなしに放任しておけば、自然に我々は「心は万境に随って転ず」という風に、いつのまにか、ほかの事柄に、心が紛れて、じきに忘れてしまうはずである。これが自然の心である。」
また、柱にぶつかったときに喜び、足元から鳥が飛び立って落ち着くというわけにはいかない、とも言われています。
森田先生は、そんなとき、自分の腹立ちはそのままにもちこたえていて、そのときどきの相手に応じて必勝の方法を考える、という方法を挙げています。相手によっては、例えば親や上司だったら婉曲に、パートナーが相手だったらなだめたりすかしたり・・。そんな工夫を考えているうちに、腹立ちの気分も流れている、というのです。
Sさんの場合、腹立ちまぎれに、という訳にもいかないから、どうして自分はこんなにいらいらするのだろう、と分析したり、青少年を巡る社会問題を考えてみたり、という感じでしょうか。イライラを分析してみると、自分の疲れや余裕のなさなどのコンディションに気づいたり、自分の重要視していることに改めて気づいたりするものです。
Sさんの一日が、学生さんたちへのいらいらで塗りこめられてしまっているとしたら、ちょっともったいないかな、と思います。仕事、勉強、家族、友達・・など、Sさん自身のなすべきこと、大切なことを取り戻してください。
(塩路理恵子)
「ありのままの自分とは?」 '08.05
Kさんは、「自分自身を表現していない」と言われて、自分をさらけ出したり、ありのままの自分を表現するにはどうしたらいいのかと書かれています。自分自身を出すということは、恥部や格好悪い点も出すことになり、そこに抵抗を感じてしまうと・・。
でも、自分の全てをさらけ出すことに抵抗を感じるのは、とても自然な心ではないでしょうか?恥部や格好悪い点をなるべくなら見せたくない、それは誰しも思うことでしょうから。相手と関わり、それなりにお互いを理解し、安心感を持てたときに、人は弱い自分や格好悪いところも見せられるのではないでしょうか。
では、自分自身を表現するとは一体どんなことなのでしょう。またありのままの自分とはどんな自分なのでしょう。
案外、ありのままの自分をよくわかっていないのも、また自分なのかもしれません。また自分自身を“表現しよう”と気負ってしまうと、本来の自分がわからなくなってしまうかもしれませんね。
人付き合いに対して苦手意識があると、どうしても相手がどう思っているか、どのように自分を見ているのかに注意が向いてしまい、肝心な自分の気持ちが後回しになってしまうものです。また、相手を見ているようで、実は思惑ばかりを気にして、本当の相手の姿を見ていないということがあります。まず表現するためには、自分がその時に何を感じ、何を考えているのか、どんなことに関心を持ち、どうしたいのか・・・など、自分自身を知る必要があるかもしれません。
知るといっても、大袈裟に考える必要はありません。自分が楽しいと思ったとか、寂しいと思ったとか、もっと相手のことを知りたいと思ったとか・・・素朴にその時に感じたこと、考えたことをそのまま味わってみるのです。そうした自分の心の声を感じた時に、とりあえず不器用でもいいから、それを声に出してみたらどうでしょう。それこそ、ありのままの貴方の声ではないでしょうか。
相手の思惑を気にしたり、ちゃんと自分を表現しようと身構えれば、こうした素直な感情は心の底に押し込められてしまいます。うまく付き合う術を書物に頼るとうまくいかないというのも、こうした構えを強化してしまうからでしょう。「どうすればいい?」という問い自体が、すでに素直な感情から離れた、How to になってしまっているのですから。
恋愛にしても、通常の人間関係にしても、始めは格好つけるところからスタートするものです。それが、相手をもっと知りたい、どんな人なんだろう・・・という自らの気持ちに従って関わったとき、少しずつお互いの心の扉が開かれていくのではないでしょうか。最初から全てをさらけ出したら、逆に相手はビックリしてしまうかもしれませんよ。
(久保田幹子)
「大切な仕事ほど緊張も強い」 '08.04
Jさんはご自分のジレンマについて書き込まれました。パソコンを教える仕事がしたいと思ってインストラクターになったが、生徒や上司との関わりに苦痛が大きいこと。一方、朝だけのアルバイトでは楽しく仕事ができるが、それだけでは生活できず、どうすればいいのかというジレンマです。
Jさん。やりたいことと現実の仕事との違いに失望している人や、そもそもやりたいことがわからないという人が多い中で、やりたいと思った仕事に就くことができたのは、幸福なことです。きっとそれ相当の努力もされてきたのでしょうね。やりたかったインストラクターの仕事であるだけに、大切に考え長く続けたいと思っておられることでしょう。そのように真剣であればあるほど、上司や生徒からよく思われたい、評価されたいという欲求も強くなります。逆に言えば、悪く思われないだろうか、否定的に評価されないだろうかという恐れも強くなり、不安や緊張を招いて人と接すること自体が苦痛に感じられてくるのです。他方、アルバイトの場合は、片手間仕事でいつ辞めてもいいという思いがあるのでしょう。その分だけ、悪く思われないかという恐れも少なく、いわば気楽に人と関わることができるのでしょう。こうしてみると苦痛の程度は、その仕事が大切であり真剣に取り組んでいることを示すバロメーターともいえます。
Jさんは、苦手だからと辞めてしまえば早いが、苦手を何とか乗り越えようと努めておられるようです。そうです、Jさん!まずはインストラクターの仕事を粘って続けていくことです。ところで、教えるという仕事には必ず教えられる側、つまり生徒が存在します。Jさんは、相手から自分がどう思われるかということに注意を奪われがちなようですが、生徒もまた、先生からどう思われるかということをかなり気にしているはずです。「こんな基本的なことも知らないなんて、先生に馬鹿だと思われないだろうか」などとビクビクして、質問をためらっている生徒だっているかもしれません。よい先生とは、相手の反応にお構いなくどんどん説明を進めるのではなく、生徒の気持ちを敏感に察して、質問しやすいように間をあけたり、理解の程度を見ながら懇切丁寧に教えることのできる人です。Jさんは、自ら対人恐怖の経験をお持ちですから、他の人以上に、そのような生徒の気後れに気づくことができるはずです。どうかぜひ、神経質を生かして、生徒の心情に細やかに配慮しながら指導をする、よきインストラクターを目指してください。そのようなことに心を砕いていけば、生徒からの信頼も、ひいては上司からの信頼も自然に得られるはずです。「愛想はよいが、指導の雑なインストラクター」より、「口数は少なくても、指導が丁寧で親切なインストラクター」に信頼が集まるのは当然の帰結ですから。
(中村 敬)
「本当は何を求めているのだろう?」 '08.03
Aさん、対人恐怖でかなりお悩みのようですね。実際にお会いしていないので確実なことは言えませんが、Mさんがおっしゃるように、書き込まれた文章を読む限り、文の内容が道筋通っていないことはなく、何か別のひどい精神疾患とは考えにくいですよ。 それは「辛い」とおっしゃっても今の係りを引き継ぐために出勤していることや、帰宅後家事をするほどのエネルギーがあるからです。
そして外出したとき職場の人と会ったらどうしようと思うのも対人恐怖の症状です。森田療法が合わないのではと感じられたのはどんなところでしょうか?
森田療法に対する誤解でよくあるのは、「対人恐怖症状を我慢して仕事にでる」といった見解です。Aさんはこのように森田療法を理解されていらっしゃることはありませんか?
症状の我慢比べはある意味、森田先生の言う「症状測定器」になりがちです。対人恐怖の症状の背後には「まわりの人からよく思われたい」という強い欲求があるのです。つまり欲求の過大さがあるから対人恐怖症状、不安があるわけです。このあってよい不安を排除しようとすればするほど不安にとらわれていきます。まず不安を排除する姿勢をやめてみましょう。
森田先生は「結局われわれは、静かに自分を見つめるときに、自分は、果たして、何を求めつつあるかということを知らなければならない」と述べています。Aさんも本来自分は何を求めているのだろうか見つめてみましょう。
本当は緊張していて他人を避けたいのではなく、他人とうまくやっていきたい欲求があると思いますよ。不安をまるでカバンのように持ちつつ、Aさんの健康な欲求をいかしていって下さいね。職場でAさんが自己を生かせることを祈っております。
(舘野歩)
「成功することも、失敗することもある」 '08.02
Mさん、こんにちは。「人とうまくしゃべれない」ことに悩んでらっしゃるようですね。これから就職活動をされるとのことですから、多くの人と接する機会があることでしょう。そのようなことを考えれば、ますます悩みが深くなることは大変、よく理解できます。
Mさんの「人とうまくしゃべれない」という気持ちを「森田療法」の観点から考えてみますと、次の2点が言えると思われます。
- Mさんは、人と上手にコミニケーションを行い、相手と良好な関係を構築したいと考えている。そして、円滑な就職活動を展開したいと思っている。
- 「人とうまく話さなければいけない」と言わば「失敗してはならない」と考えているのかもしれません。いかがでしょうか?
1、2のように考えることは何も不思議なことではありません。 我々人間は皆「よりよく生きたい」と考えるものです。しかし、そうした考えにあまりとらわれすぎてしまいますと、かえって萎縮した生活になってしまうかもしれません。では、どうしたら良いのでしょうか?
まず第一点、我々、人間はいつも成功するとは限りません。時には失敗したり、うまくいかない事もあるものです。そうした、「成功することも、失敗することもある」という現実に起こりうる可能性を念頭に入れましょう。そして「人とより良い関係を作りたい」というMさんの気持ちに素直に従って、恐る恐るで良いですから、必要な関わりを必要に応じて行動していくことを心がけていきましょう。そして、決して「うまく」話す必要はありません。伝えたい「内容」が相手に伝われば、Mさんの目的はまずは果たされるはずです。
さあ、恐る恐るで構いませんから、あせらずゆっくりと行動していきましょう。
(川上正憲)
「話し上手は聞き上手」 '08.01
Sさんが人といる場面でうまく対応できずに悩み落ち込んでいます。友人といる時に話を聞くのが面倒になった思いが表情に出てしまい、雰囲気を壊してしまったと気にしています。また、時には気を遣うあまりに変なことを口走ったり、早口になったり、どもったりするとのことです。
人に嫌な印象をもたれないように(嫌な気分にさせないように)しようという思いから、自分がきちんとした態度や発言をしなければいけないと意識してしまうのですね。けれどもそうすることで意識が集中し顔が引きつったり早口になったりする悪循環になっていないでしょうか。「話し上手は聞き上手」とも言います。まずは聞き役になりその場にいることを目標にしてはいかがでしょうか。最初は興味がわかない内容でも話を聞いているうちに興味が湧いてきて、そのうちに不思議とその場に合致した返答も出来るようになってくるものです。
今後お子さんが欲しいと考えられる一方で、子供の活動の広がりに応じて生じる付き合いを心配されているようです。お子さんにとって必要な場においてもまずは聞き役になって、その場にいることを目標にしたり必要なやり取りをすることから始めてみてはいかがでしょうか。
自分の不安から人と接するのを制限するのではなく、seikoさんが書いているように、今後いろんな人と出会い、いろんなことを楽しめるとよいですね。
(矢野勝治)