強迫神経症の部屋

Rさんは娘さんが幼稚園に入られてからママ友とのつきあいでうつになられたとのこと。学生の時から人とのつきあいに苦手感を抱かれているようです。なんとなく自分の中でやり過ごしていた問題に、人生の中盤に差しかかって再び直面する。ママ友とのつきあいもそうですね。一見ピンチですが、自分が新しいやり方を試し、習得していくチャンスでもあります。

Rさんはもともとは目立ちたがり屋だったということからも「目立ちたい」けど、「飛び出て批判されるのは怖い」といった相反する思いをお持ちのようです。相反する気持ちがあるからこそ、思いが拮抗し、悩みになるのですよね。自分がどうみられるか不安だけれど、自分を抑えてばかりいるのも嫌で、「ちょうどよく」出したいと思うからこそ、それは無理で、落ち込む。
ママ友というのは子どもを通じての友達。自分の直接の友達とも違うし、気の合う人とばかり接するわけでもない。ママ友が家族と同じにならなくて当然なんです。すべての人が家族に相談できる関係を持っているわけではありません。それがあるのはRさんにとってのひとつの大きな土台。ご家族に相談しながら、それでも一つ一つ必要なかかわりをしていくことで子どもを取り巻くママ友や友人との関係も少しずつ培われていくはずです。

そして、自分の状態が良くないと思うと、こんな状態で、子どもにちゃんとした環境を与えられているかと悩むママも少なくないようです。この点はとても重要。なぜなら、悩む母はたいてい自分と同じような悩みを子供に持ってほしくないと思っているから。そこでまず悩める母にしてもらいたいのは、自分の話をどのくらいできるかに注意を向けるのではなく、娘(息子)さんが屈託なく幼稚園に通えているか、幼稚園で楽しく過ごせているか、そのために何ができるかということを大事にしてほしい。Xさんもおっしゃっていましたが、付き合ってみると、ママもいろんな人がいるはず。こんな風でもいられるんだ、などなど発見もあるかもしれません。

そして、100%毎回いい関わりにならないとダメ、と思わないことです。失敗したな、あれはまずかったなと思っても、そこをあまり掘りすぎないこと。気づいたことがあれば、次に生かす。それで充分です。 実際には、同じ年の子どもを持つママ同士だからこそ共通する話題もあるはずです(例えば、実はまだおねしょが続いているという悩みや、こんなことをしてくれるようになったという喜びの話。しつけ、習い事、などなど)。自分が気になっていることを少し勇気を出して聞いてみることで、ずいぶん有益な情報が聞けたりするものです。

最後に、Rさんのうつが毎年同じ時期にやってくると書かれているのが一点気になるところです。ベースに季節性の気分の波もあるのかどうか、これは対応を考える上でも大事な点だと思いますので、主治医の先生とよくお話しされてくださいね。
(今村祐子)

Fさんは雑念が生じて行動が自由に出来ないとのことです。雑念のために本が読めなかったり、作業の能率が下がったりするとのことです。
雑念恐怖(読書恐怖)について高良先生の本に「我々の精神作業には緊張と弛緩のリズムがあり、弛緩したときは必然的に種々の雑念も浮かぶのであるが、普通人はこれを当然のこととして受け入れ、そのまま即いたり離れたりしながら読書して行くので一々雑念を意識しない状態になっている。しかるにこの雑念を邪魔物扱いにして排斥すると雑念との闘いになって、雑念を一々意識しかつ不可能を可能にしようとする葛藤になっていよいよ書物の内容から離れてしまうという結果になる。それでこのいわゆる雑念を必然的なものとして受け入れ雑念が起るままに少しも抵抗せずにそのまま耐えて読み続けるとより他ない。」とあります。気になりながらも進めていくことです。

その他にもFさんは人の出す音が自分に対して怒っているかのように感じる、音がしなくても人を意識するだけで怖い、最近では近所の人からのいじめのような行為もあるとのことです。このような感じがすれば、(自分では如何とも出来ず)誰しも辛いものだと思います。同本には「強迫行為が著しく、ほとんど自制し得ない強迫行為が高度のものは治療困難なものの多いことを指摘しなければならない。」ともあります。森田療法だけでなく、時に薬物を用いることも一案です。薬物を用いることで森田療法の体得がしやすくなる方もいらっしゃいますので、通院されていましたら先生に相談されてみるのもよいかもしれません。
(矢野勝治)

MAさん、対人緊張、声の震え、不眠で悩みとても辛い状況ですね。ここで森田自身の記載を示します。「強迫観念はつねに事実と反対になる」と述べています。要約すると、「赤面恐怖の患者は自分の恥ずかしいという気分を否定しようとし、無理に恥ずかしがらないようにと一生懸命に努力して、心はつねに内向きになり、周囲のことの見さかいがつかないようになる。」といった内容です。さらに「赤面恐怖が恥を知らなくなるのは、恥ずかしがらない方向の努力をしてしまい、人へ対して恥ずべきことをしないようにと考える暇がなくなる」と述べています。これが森田療法で言う、あってよい感情を知性で解決しようとする「思想の矛盾」と呼ばれる現象です。

回復する方向性としては、元来持っている神経質な性格を生かして対人緊張への「とらわれ」から脱出を図っていくことが大事です。ただ、「感情をあるがままに」といった理念に「とらわれ」ないことが重要です。対人緊張の裏にある不安な感情は脇に置きその場面場面で必要なことへ動いてみることだと思います。森田先生は、「何かにつけて自分を省みる精神の内向的な働きが、外交的に心機一転すれば、一途にその考案なり手段なりに突進するばかりになる」と述べています。また、森田先生は「神経質は欲望が強い。向上心が盛んである。ただ苦痛を恐れ避けようとするために(中略)迷っているのである。欲望が強いから葛藤が起き、それは偉大な人間である。」といった内容のことも書いています。対人緊張などの症状で悩むと自分は何か欠けていると思いがちですが、欲望が過大だから悩みが起きるのです。ご自身にとっての「何が本当にしたいのか」をもう一度見つめてみましょう。そこに症状から脱却するヒントが隠されていると思います。
(舘野 歩)

Bさんはもともと理想が高く、完璧を求める性格で、最近は少しでも気に入らないことや、引っかかる言葉を言われると、それにとらわれて、納得するまでつきつめてしまったりするようになって、悩んでいらっしゃいます。

完璧主義の方にありがちなのですが、Bさんは、ある一つのことを100%にしようとし過ぎてはいないでしょうか。どんなことでも「だいたいこれでOK!」というのは誰でもある程度は判断できるものです。しかし、「これで100%OK!」と言い切れることは殆どないのです。例えば「完璧な育児」というものは存在しません。誰でも「おそらくこれで良いのではないか、いや、あのやり方の方が良いのではないか」と悩みながらも育児を行っているものです。この時に生じる「この方法は間違っているかもしれない」という不安は抱えながらも実践していくしかないのです。色々とやった上で「どうやらこの方法が良いようだ」と体験的に分かってくる事も多いと思います。しかし、子供にも色々な個性がありますし、成長していけば、以前のやり方では対処出来なくなって、また悩みながら実践していくことになります。

Bさんの「少しでもひっかかるとそれを納得するまでつきつめる」というやり方は、10問あるテストのうち、1問目が難問だったとき、必死にそれを解いていて、結局時間がなくなって0点になってしまう事と同じだと思います。この場合、1問目は保留にして、次の問題にとりかかるのが現実的で、他の9問が出来れば90点取ることができます。

今のBさんは100点をとろうとし過ぎて、0点になっていないでしょうか。他にやれる事があるのに、それを疎かにしていないでしょうか。厳しいことを書いてしまいましたが、完璧主義のBさんは元々能力のある方だと思います。100点にこだわるがゆえに、少しの引っかかりで暴走して、0点になってしまうのであれば、今出来る事に手を出して、まずは60点を目指してみてはどうでしょうか。
(谷井一夫)

森田療法では強迫観念と強迫行為の関係を「とらわれ(悪循環)」と位置付けます。この「とらわれ(悪循環)」の打破が治療課題となります。 強迫性障害に対する外来森田療法の要点を以下に示します。参考にしてみてください。

(1)不安(強迫観念)は、“より良く生きたい”という「生の欲望」が人一倍強いからこそ生じる、生じるべくして生じている自然な感情(不安)と森田療法ではとらえます。このことは、不安は排除すべき異物ではなく、「自己自身の一部として抱えること」が可能であると同時に、必須であることの理論的根拠を提示しています。また、不安を抱える具体的方法としては「青い空に白い雲が浮かぶように、不安を心の一隅に浮かべておきましょう(成田善弘)」という例えがあります。

 ♦「不安を抱えていきましょう!!」

(2)強迫観念と強迫行為の関係を「とらわれ(悪循環)」と位置付け、この悪循環の打破を治療課題と位置付けます。

 ♦「とらわれ(悪循環)を打破するぞ!!」

(3)「不安(強迫観念)」は時間の経過とともに軽減していく性質を有しています。 森田先生は「感情の法則」において、

1)感情は常に同一の強さをもって永く持続するものではない。これを放任すれば自然に消失する。
2)感情はこれに慣れるに従って鈍くなる、
と述べています。

この「感情の法則」は、強迫性障害の患者さんが、不安(強迫観念)を解消する目的で行なう強迫行為を衝動的に行なわなくとも、その不安を抱えながら目前の必要な行動に手を出している間に(強迫行為をしないこと!!)、時間とともに不安(強迫観念)は軽減していくことを示しています。ここで注目すべきポイントは、ただ「不安が軽減する」のを座して待つのではなく、「目前の必要な行動に手を出すこと」にあります。頭に浮かんでくる不安はそのままに、ただただ、目前のことに没頭することが肝要です。「現在になりきる」姿勢です。こうした指導は森田療法が単純に精神症状の改善を目指すものではないことを物語っています。自己自身が精神症状を抱えたままで「現実を生きる」ことを可能とするのです。これまでの不安を排除する姿勢から、自己が主体的に不安を抱えながら現実を生きていく姿勢への転換と言えます。

 ♦「強迫行為をしないこと!!」 ただただ、目前のことに没頭すること!!」

(4)行動の評価する際には、「不安(症状)があったかどうか」ではなく、「不安(症状)があっても目的が果たされたどうか(目的本位)」を評価のポイントとします。◎貴方は必要な行動に取り組みましたか??

(5)以上の行動の指針を前提に、不安(症状)があっても、なくても、取り組むべき必要な行動、取り組んでみたい行動に励んでいくことを実践します。そのためには、「自分はどういう生活を送っていきたいのか?」「自分はどういう人生を送っていきたいのか?」という「自己自身への問いかけ」を通して、自らの「生の欲望」の自覚することが大事です。苦痛である不安(強迫観念)がなくなれば良いのではなく、「自分はどうなりたいのか?」という自己自身の人生に対する真摯な態度が必要不可欠です。また、強迫性障害の方は、全か無かの行動パターンになりやすい傾向がありますが、何事もホドホドに(調和の観点)が大事になります。

 ♦「貴方はどのような人生を送りたいですか??」

(6)薬物療法の併用を柔軟に考慮します。強迫性障害の原因としては脳内のセロトニン、ドーパミンなどの神経伝達物質が関係していると考えられています。セロトニンを調節するSSRIと言われるお薬は強迫性障害の患者さんの4〜6割の方に有効と言われています。治療の主眼は薬によって症状を除去することではありませんから、「生活を立て直すための補助手段である」ことを明確にした上で服薬することが大事になります。お薬を使うか、使わないかは貴方なりに決めれば良いことです。「自分は薬をどうしていきたいか?」という自己自身への問いかけが大事になります。

 ♦「貴方はお薬とどのようにつきあっていきたいですか??」
(川上正憲)

Mさんは加害恐怖で困っています。包丁を持つとご主人に危害を加えてしまうのではないかとの思いが浮かぶとのことです。この嫌な考えが浮かぶようになったのは月経前だったということで、また来月の月経前にも同じような思いが生じるのではないかとの不安があるようです。本当の思いとはかけ離れた思いに苛まれて辛いですね。

私達は場面場面でいろいろな考えが湧き出てくるものです。思いもよらない感情に自分でも驚かされることがよくあります。どんな不安もそのままにしておけばいずれ流れていくものですが、そんな思いを持ってはいけないと強く思うことでますます執着してしまいます。思ってはいけないものと否定するのではなく自然な感情として認めていくことも必要です。
更に、行き詰っている時には、万全でいようとする思いが強まるため、なおさら気になるものです。Mさんは月経前で体調が不安定な分、体調以外を万全にと思うからこそ強迫観念にとらわれてしまったのかもしれませんね。
一方で、今後毎月月経前に生じて長引くようでしたら、一度医療機関を受診してみることをお勧めします。
(矢野勝治)

Bさん、こんにちは。文面からBさんは、社交不安障害(対人恐怖症)とパニック障害をお持ちであると考えられました。しかし、パニック発作と折り合い、育児をしっかりと成し遂げられた姿はとても立派であると感じました。「初めての赤ちゃんを守らなくては!」などの思いから、Bさんは単に活発なだけではなく、強い責任感や「抜かりがあってはならぬ」などの完璧主義も持ち合わせているのだと思います。そして、この持ち味が育児には生かされていたのだと見受けられました。

しかし、対人場面では、持前の性格は自身のもう一方の性格でもあるあがり症や心配性などといった「小心」な面を「打ち負かす」いう点にのみに発揮させているように思いました。つまり、Bさんはコミュニケーションで緊張を覚えた時ほど、「すぐに緊張を消して、いつも堂々としなくては」などと自分を奮起させていたのだと思います。しかし、このやり方は、却ってBさんに緊張を与えるだけで、余計に話し方をぎこちなくさせていったのではないでしょうか? もしそうだとしたら、Bさんは、もう一方の性格である「小心」にきちんと耳を傾ける必要があります。その際、「小心」を克服する必要は全くありません。むしろ「小心」という自分の性格の特徴をしっかりと理解し、生かすことです。

Bさんの場合、緊張を感じやすいのですから、他人よりコミュニケーションの点で、自分の地を出す上で時間がかかるのはむしろ当然なのです。そのことは悔しいでしょうが、認めていかなくてはなりません。けれども、Bさんの「小心」は、軽率な発言を控え、相手の状況を感じながら配慮する「気遣い」に転換する原動力になります。今まで「小心」を打ち負かすことにのみ当てられていた責任感や完璧主義も、別な形で生かすことが可能であると考えます。
コミュニケーションは会話だけに始まり、会話だけに終わる訳ではありません。Bさんが、会合に遅れないよう意識するなどの責任ある行動が、他の皆さんからの信頼を得る上でとても大切なのです。Bさんからすると途方もなく長い取り組みのように見えてしまうかもしれませんが、この点を疎かにしない取り組みが、他者との関係を良好にさせる秘訣であることを忘れないで欲しいと思います。そして良好な関係が構築できたら、「自分は人見知りだけれども、本当は会話の中に入っていきたい」などの率直な思いを相手に伝えていけば良いのです。これからも大変な状況は多いかともいますが、Bさんのコミュニケーションに更なる深みが出ることを期待します。
(樋之口潤一郎)

Mさんは「恐怖突入のはずが・・」と、ご友人の親御さんの通夜に、「書痙のことがあり悩んだあげく行く決心をした」ものの、記帳がなく、「気を張っていただけに、全身の力が抜ける思いでした」と書き込まれています。
お友達のために、一大決心をして臨んだだけに、拍子抜けをしたような気持がしたのでしょうね。
でも、お友達にとっては、Mさんが足を運んでくれたことは、本当に力づけられたことでしょうね。そういう場面が苦手で来てくれないかもしれないと思っていたらなおさら・・。

きっとMさんも「友達のため」だったからこそ苦手な場面にも行動を起こせたのでしょう。そのことをまず、しっかり認めていきましょう。その事実の積み重ねが、次の行動に向かう力になってくれるはずです。 森田療法では「(症状の)ためにする作業(行動)にならないように」ということも言われています。それは、「症状を克服するため」だけに行動する(つまり、症状を克服することが行動の目的になってしまう)ことのないように、ということです。例えば「症状を忘れるために行動する」とか、「苦手だから人前で話す係りばかりしてしまう」・・などは、「(症状の)ためにする行動」になり、かえってとらわれを強めてしまいます。

生活上の必要があれば、苦手な事柄であっても「恐怖突入」する、症状に関連したことだけでなく、生活をふくらませていく、という考え方は、認知行動療法などにはない、森田療法の特徴でもあります。「生の欲望」は、症状に関係したことだけではありませんよね。
そうしたことからも、たとえ苦手な場面に直面することが結果的になかったとしても、Mさんがお友達を思って行動したことはとても大切なことだと思います。
これからも、苦手な場面も、そうでない事柄も、おっかなびっくりでいいので、生活をふくらませていってください。
(塩路理恵子)

Kさんは強迫性障害に悩んでいるとのことでした。きっかけは健康診断のコレストロール値が気になったことでしたが、その後、何もしていないのに疑われるのではないか、運転中に交通取り締まりだったのではないかといった不安にさいなまれるのが辛いとのことでした。こうした不安は、私達も感じることがあると思いますが、Kさんの場合はそうした考えにかなり振り回されてしまっているのでしょう。ここで確認しておきたいのは、そうした考えや不安が生じた時に、Kさんがどのように対処しているかです。

書き込みによれば、仕事は出来ており、気分が紛れることもあるとのことですが、気になることが浮かんだ時にそれを打ち消す、あるいは大丈夫だと納得するために何か確認や行為をしているでしょうか?
もし、確認行為をしていたとしたら、そうした行為で安心するのは一時的なものであり、すぐにまた疑念や不安が生じてきているはずです。あるいは、その時には納得しても、次の時にはさらに確認をせずにはいられないといった堂々巡りに陥ってしまうものです。つまり、打ち消す方法は逆効果ということなのです。

そもそも、Kさんが気になっている考えや不安は、全て「万全にしておきたい」という欲求から生じているものです。Xさんもアドバイスしているように、気になること自体は正常なことです。つまり、コレストロール値が気になるのは、健康でありたいという欲求が強いがゆえであり、取り締まりに捕まったのではという不安は、安全に規則を破らない運転をしたいという思いから生じるものです。しかし、万全を求める気持ちがあまりに強いがゆえに、「もしも〜だったら」と万が一の可能性を想像し、懸念と不安にさいなまれ、それにとらわれてしまっていると言えるでしょう。Kさんは介護の仕事でリーダーを務めているとのこと。きっと責任感が強く、仕事にも真面目に取り組もうとされているのだと思いますが、完全を求めすぎて、不安を強めてしまっているのかもしれません。

ではこうした不安にどのように付き合ったらよいでしょうか。まず、Kさんが気にしている考えが、実際に起こっている事実なのか(現実の不安)、あるいは「もしも〜」の不安(万が一を想像しての不安)なのかを分ける必要があるでしょう。「もしも〜」の不安であれば、今考えても答えは出ないことですから、そのままにしておくしかありません。それでも考えは頭に浮かぶでしょうが、それ自体をコントロールすることは出来ません。たとえ確認や打ち消すための行為をしたくなったとしても、それはせずにそのままにしておくのです。初めは当然気になり、いてもたってもいられないでしょう。しかし、そこで確認をしても結局次々と不安が襲ってくるのみで、そこから脱出することは出来ないのです。不安は必ず時間と共に変化するものです。空に浮かぶ雲がいつの間にか流れていくのを待つような気持ちで、とりあえずそこで出来ることや、やるべき仕事に手を出していくことです。

そして同時に、不安の背後にある「万全」を望む気持ちを活かす為に、今出来ることを探っていきましょう。コレステロール値が気になるのであれば、食事や運動に気を付けることが健康的な生活に繋がる行動です。また取り締まりが気になるのであれば、安全運転を心がけることでしょう。不安そのものと闘うことにエネルギーを使うのではなく、不安の背後にある欲求を活かす為に工夫を凝らしていくことが、本当の意味で求めている生活に近づくことであり、神経質を活かすことになるのです。
(久保田幹子)

Aさんは、強迫性障害が会社に知られ、症状が軽快するまでは出勤停止ということになってしまったのですね。なんとか早期に復職したいというAさんの切実な願いはよく分かります。けれども、焦って職場に戻っても業務を滞りなく進めることができなければ、会社も復職を認めにくいことは容易に予測できます。そうかといって、ただ休んでいるだけでは、強迫症状の改善はあまり期待できないのです。

かかりつけの先生に復帰プログラムを組んでもらうとのことですので、その内容を知りたいところですが、ここでは入院森田療法を参考にしてどのような療養生活が望ましいかをお伝えすることにします。
入院森田療法の第1期は絶対臥褥期であり、心に浮かんだ強迫観念やそれに伴う不安を、これまでのように無理に排除しようとせず、浮かぶままにそのまま向き合っていくことが求められます。それと共に、強迫症状が甚だしくなれば心身共に疲れ果ててきますので、臥褥には先ず休息を取るという意味合いもあります。臥褥の終盤には疲れも取れて、活動欲が高まっていくことが通常の経過です。臥褥の後には、軽作業期(第2期)、作業期(第3期)が続きます。この時期には、園芸作業や動物の世話、病棟の清掃など、生活に必要な作業に、不安や強迫観念を抱えながら取り組んでいくことが促されます。不安や症状に流されず、目前の行動にすっと着手する姿勢を身につけていくのです。このように気分に流されず建設的に行動する姿勢が身に着いたなら、第4期、すなわち社会生活の準備期に移行します。この時期には自宅に外泊し、復職のための交渉や仕事探しなどが行われます。

上記のような入院森田療法を参考にするなら、自宅で療養する場合も、当初は退屈感が湧いてくるまで、十分な休息をはかることが必要です。そして活動欲が芽生えてきたら、日々の生活に必要な事柄、たとえば部屋の清掃、食事の支度、買い物などを作業と考えて、強迫観念や不安をそのままにおいて実行していくことです。こうして自宅での必要な行動が可能になったなら、正式な復職の前にリハビリ勤務を実施してもらい、通勤や簡単な業務に慣れていくことがこの段階での目標になるでしょう。

Aさんには、主治医の復帰プログラムに沿いながら、上記のような森田療法的生活を実践して、症状や気分に流されずに仕事に取り組む準備を行って頂きたいと思います。 無事の復職をお祈りいたします。
(中村敬)

Aさん、自分にとって不快な観念が頭によぎるようになってさぞかし辛そうですね。一応確認しておきたいのは、様々な不特定多数の内容が頭に浮かんでくるわけではありませんよね?もしそうであれば強迫とは別のご病気の可能性も視野に入れたほうが良いのでその場合は(おおごとにおもえるかもしれませんが)精神科医に診てもらった方が良いかもしれません。

一応、特定の不快な観念に振り回されていると仮定して話しを進めますね。
森田は著書「神経質の本態と療法」で「ただちに死や疾病に関わるものではないのに、本人が内省によって自己を観察批判し、普通誰にでもあってもおかしくない感覚や観念を誤って病的異常と考え、むだな努力をしてこれを排除しようとするためにますます精神の葛藤すなわち煩悶を起こし、苦悩するようになることがある。それがいわゆる強迫観念である。すなわち、強迫観念は苦悩、煩悩の恐怖である。そうであるから、患者はさらにそれを予期する感情の動きで、自己暗示的にそうした苦悩を自ら迎え起こし、養成し、ますます悪化させるのである。このように強迫観念は自己批判であるから、すでに自分の考えが発達してから徐々に、あるいはある機会に遭遇して発病するものであって、まだ自分の考えをもたない小児や白痴にはこの症状は起こらない。」と述べています。

つまり過度に自己を内省し批判し、当然あってよい考えを排除しようとするからますます「強迫観念」となってしまうのです。森田は同著で、強迫観念症の着眼点として「苦痛、恐怖を否定するとか、それを避けようとし、気を紛らすとか、忘れようとしてはならない」と解いています。つまり、色々知的に排除しようと操作すればするほど悪循環にはまってしまうので、なんとかして排除しようとすることを止めてみましょうということです。最初は、大変と思うかもしてませんが、考えは考えとして「ほおっておきましょう」。そして目の前の何か小さなことでもやってみて下さい。今までと違った体験が出来ることを祈っております。
(舘野歩)

Sさんは電話対応や会議で発言を求められる場で極度に緊張して悩んでいます。また、その事で動悸がおきたり、吃音が出たり、声や手が震えたりして、自分が緊張していることを自覚すると、ますます緊張が強くなるといった悪循環もあるようです。

私たちは、電話対応の際や会議で発言する時に「失礼のないように」とか「間違いのないように」などと考えて緊張するものです。もちろん、私も同様の場面では緊張します。「ちゃんとやりたい」という気持ちがあれば、「失敗したらどうしよう」と不安になるものなのです。つまり、緊張するような場面で不安になったり、緊張したり、緊張すればドキドキしたり、手や声が震えたりするのは極めて自然な現象で、緊張していて良いのです。

しかし、今、Sさんは「うまくいかない原因は緊張しているから」と考えてはいないでしょうか。そうなると、電話対応や会議での発言の際に「緊張してはいけない」と頭でコントロールしようとするようになってしまい、そのような場面で常に「自分が緊張していないか」という所に注意が向いてしまいやすくなります。
これを森田療法では「思想の矛盾」と呼んでいます。思想の矛盾とは「不安や緊張などの感情や身体の感覚を『こうあるべき』あるいは『こうあってはならない』という知性(頭)で解決しようとする姿勢」の事を指します。こうなると、そこには不可能を可能にしようとする葛藤が生まれ、かえって自分が緊張している事にますますとらわれてしまうといった悪循環にはまってしまいます。

本来、緊張するような場面で緊張するのは自然な事で、頭でコントロールできるものではありません。すなわち、緊張は完全になくなることはないでしょう。
しかし、自ら緊張を強めてしまう悪循環は断ち切る事ができます。まずは緊張していて構いませんから「自分が緊張しているか」に注意を向けるのをやめましょう。そして、本来の目的である「電話の相手が何を話しているのか」に注意を向け、よく相手の話を聞きましょう。会議で発言する際は聞いている人達が自分の発言内容を理解してくれているか、よく周りを観察しながら分かりやすく伝えるようにしていきましょう。ちゃんとやりたいという気持ちが強いSさんなら、出来るはずです。是非とも頑張ってください。
(谷井一夫)