強迫神経症の部屋

Eさんは、大学生でもうすぐ就職活動が始まるんですね。就職活動は厳しいですよね。受かるより落とされることの方が多いので自分に自信が持てなくなる若い方も多い印象です。

まず重度の対人恐怖で抗不安薬がなければコミュニケーションが取れないとのことですが、逆に薬があればある程度コミュニケーションが取れると考える事が出来ます。対人恐怖は「人に良く思われたい」「人と上手く付き合っていきたい」と思うからこそ、人と接するときに不安が生じるのです。「人に良く思われたい」「人と上手く付き合っていきたい」という気持ちはなくならないため、そこからきている対人恐怖もなくならないですね。そう思って、人と関わり続けましょう。

勉強を頑張っても面接で落とされる、そのようなこともあると思いますが決めつけるのは早すぎます。また例え面接で落とされたとしても、Eさんが勉強に取り組んでいたその真剣な姿勢こそがこれからの人生の宝となるはずです。森田療法は結果を求める治療ではありません。結果が見えない迷路の中で前進し続けることこそ森田療法です。

教職を目指しているとのこと、教師の仕事は大変ですよね。子どもたちは大人を本当によく見ています。Eさんが悩みを落ちながらも前進している姿勢を貫けば、子どもたちにもその姿勢は必ず伝わるでしょう。またEさんがお持ちの悩みや今までの体験は同じように対人恐怖の子どもたちや不登校の子どもたちと接する時に役立つはずです。悩みは無駄になりませんので、痛みに共感できる素晴らしい教師になってください。
(石山菜奈子)

Yさんは長年ずっと対人恐怖症に悩んでおられ、親しい人や家族は問題ないけれども、職場での人間関係に苦労されているとのことです。小さい頃からのこと、大変でしたね。

打ち解けられなくても、仕事のことで話せる上司や同僚はおられるのでしょうか。良い大人が大変情けないと書いていらっしゃいますが、大人だからこそより悩むところでもあるかもしれません。緊張を感じる職場へ行くのは本当につらいですよね。職場に行くのが大変な中で、欠勤せずにまじめに取り組まれているのは信頼関係の大切な基盤になると思います。

ちなみに、今の職場で嫌われていると思われるのは、どうしてですか。あまり話しかけられないという理由からでしょうか。何か直接苦情などを言われたことはありますか?それとも前からの恐怖の方が大きいのでしょうか。

もし今の職場で何か言われたことがないとすると、自分の推測や読み取りはできるだけ考えないように置いておいて、まずは「仕事」「仕事」と仕事に力と目を向けるようにできると良いかなと思います。
森田療法センターの外来に通院されていたAさんもYさんと同じような悩みを抱えておられました。不安が強くて、自分が周りから嫌われているという思いも強い方でしたが、治療に通う中で、仕事に集中するしかないと思ってやっていったそうです。そのうち「少し仕事を頑張ったら、楽になった」「慣れない人と一緒に仕事をする機会があったが、やったら少しその人と仲良くなった」という話が聞かれるようになってきました。

同じく外来に通われていたBさんは、親しくなると不安が強まるという方でしたが、職場で「できることをやっていこうと思って」から楽になっていったとのことです。それまでは、親しくなると「こんな人なんだ」とがっかりされるのが不安で、何をどう言うかにすごく気を使っていて疲れてしまったとのことでした。

こんな風に、仕事が先で、人との関係はその後についてくるものです。 対人への悩みで仕事のミスが多いと書かれているので、まずはこのミスを減らしていけるといいですよね。Nさんがおっしゃっていたように人の表情や自分がどう思われているかが気になって、必要事項を聞くのが不十分になったりするようであれば、相手がイライラしているかなと思っても、「大事なので書き留めます」など一言言って、多少時間がかかってもその場で間違えないように書き留めたり、「抜けると困るので」と伝えて、メールで指示をもらうようにしたりなど、自分が間違えないためにはどうしたらより確実かという視点から考えて、行動するように心がけてみる。そうするとよりYさんの仕事ぶりがより相手にとって安心なものになり、Yさんに対する信頼が増していくと思います。
(今村祐子)

Sさんが(手洗いや消毒を減らすと病気にかかりやすくなるのではないか)と不安に思っています。
私たち人間が菌に助けられていることはご存知だと思います。生活のなかでも、納豆をはじめ、酒、しょうゆ、味噌などは菌の賜物ですね。消化管のなか(考え方によっては体外とも言えますが)でも、様々な菌が私達の健康のために貢献してくれています。
風邪を引くとすぐに抗生物質を希望する患者さんがいますが、抗生物質を飲むことはよい菌を殺してしまうとも考えられます。しかしそうだからと薬を飲まないのも極端ですね。
健康でありたい思いを大事に、病気になることを怖れすぎず生活していくことです。
(矢野勝治)

Bさんは強迫症状をもちながら育児をされており、しんどさを感じています。詳細な情報がないので、どんな強迫症状なのかなどは分かりません。そのため、今回は「育児の難しさ」についてお話しさせていただきます。

育児というものは、本当に難しいものです。様々な育児書を読んだり、経験者に聞いたりしても、それぞれに書いてあることや言うことが違ったり、自分の子供には合わなかったりしますよね。やはり育児にはいわゆる「正解」はないのでしょう。誰でも「このやり方で良いのか?あっちのやり方の方が良いのかも」などと悩みながら行っているのが育児だと思います。その中で、「この方法が良さそう」と分かったとしても、子供の成長とともにその方法が通用しなくなったりして、また悩むことになります。このように、あれこれ考えて、悩んで、実践して、また考えて…という試行錯誤の繰り返しが育児なのだと思います。

こんな風に忙しく育児をしていると、あっという間に一日は終わってしまいますね。逆を言えば、強迫症状にとらわれている時間を減らすチャンスとも言えます。Nさんもおっしゃっていましたが、育児中こそ「すぐに行動する」(サッと動く)機会がたくさんあると思います。強迫症状は苦しいものですし、大変だとは思いますが、このピンチをチャンスにしていただければ、と思います。是非とも頑張ってくださいね。
(谷井一夫)

Pさんは、映画や青年漫画で見たグロテスクな映像が頭の中にこびり付き、そのことに苦しんでおられるのではないかと見受けられます。意思に反して、頭の中に侵入的にバカバカしい考えやイメージが沸き起こり、かつそのことが強い心理的苦痛をもたらしているとするならば、Pさんの体験されている内容は、一種の強迫観念といって良いでしょう。Pさんは、もしかしたら森田療法をまだあまり知らないかもしれません。けれども、強迫観念に対する対応は、「中々なものである」と感心してしまいます。

その一つが、「気になることに目を向ければ向けるほど余計にとらわれてしまう」という注意の悪循環を体験的に押さえている点です。森田療法では、強迫観念を病的なものと断罪しませんが、とらわれを生む注意の悪循環については、これを強く諌めています。その際の対応は、明快です。強迫観念を掻き消すような「はからい」に走らず、そのまま頭の中に収めておくように努めます。その一方で強迫観念に傾きがちな注意を、目の前の取り組みに向け、日常生活を少しでも豊かに出来るよう行動で働きかけることです。

二つ目の感心した点は、就寝時に強迫観念に駆られた際の対応です。Pさんは、「気持ち悪いことが浮かんだ。もう仕方ない、気分は悪いが、このまま寝よう」と腹を決めて望んでいます。「症状を抱えながら行動をする」と言えば聞こえは良いですが、このような姿勢は、当事者に心もとなさや、気持ち悪い感覚を与えます。
この気持ち悪さを感じている点で、Pさんはすでに強迫観念を抱えて、入眠という行動に入ろうとしているのだと言えます。そして、Pさんは語っていませんが、目の前の行動に手を出していると、強迫観念は時間と共に消失するという特徴も押さえているように感じます。Pさんがここまで取り組みを深めているとすれば、次は不安のままに自身の向上心を生活場面でどんどん発揮していって欲しいと思います。
今後の活躍を楽しみにしております。
(樋之口潤一郎)

Nさんは、「強迫性障害加害恐怖で長年通院しております。私の加害恐怖は、ちょっと変わっていて、怖いことを紙や紙幣に書かないかと思い、何回も書いていないか確認するというものです。」と書き込まれています。

基本的には「自分がすることで大切な人に悪いことがあるのではないか」という加害的な強迫観念と考えられます。今月は、何人かの方が加害的な強迫観念について書き込まれていますね。
森田先生は強迫観念について「(強迫観念は)皆そうであってはならぬという拮抗心から起こることで、普通の人はそのままに思い流していくけれども、強迫観念はこれを恐怖するために私のいう精神交互作用によってますますこれに執着するようになる」と書かれています。つまり、観念が起こることそのものを恐れて、「起こらないように」「止めなければならない」と抑え込もうとするために、かえって意識が集中し、悪循環が起こるのです。

実は人は脳裏にさまざまな雑念が去来する中で生活しているもの。相手のことが大切で「万一にもそんなことがあってはいけない」と思うからこそ、そうした観念を拾い上げてしまうのです。相手が大切だからこそ「迷惑がかかったらどうしよう」と苦しくなるのですよね。強迫観念に圧倒されそうになったとき、「大切に思う気持ちがあるからこそとらわれが起こっている」ことを思い出してください。そうして、「観念が起こることと現実の違い」を思い出して、「もしも」「万一」の不安は一旦置いておき、そのときに目の前にあることに手をつけてみましょう。

「特に母と電話した後にストレスがかかるのかこの症状がでます。」というように、現実的なストレスと強迫観念の関係にも気づいておられるようです。もしかしたら、「敵をひとつにする」かのように、ストレスを強迫観念に置き換えてひとつにしている面もあるのかもしれません。

また、加害的な強迫観念を持つ人は、いわゆるマイナスな感情(怒ったり、イライラしたり、嫉妬したり・・)自体を「あってはいけないもの」と構えてしまう人が多いようです。感情もまたそのときに置かれた状況によって変化し流れる、自然の一部です。上手に付き合い、自分らしい生活をめざしましょう。
症状のために避けてしまっている「相手の人のためにできること」があったら、そちらに手を付けていけるといいですね。
(塩路理恵子)

yさん、今まで対人緊張がありつつ何とか頑張られてきたのですね。しかしお子さんの不登校に悩んでから症状も強くなり悪化された感じがするのですね。お子さんは、学校へ行けないこと以外は普通に家庭内でお話したりできているのでしょうか。あるいは小学校時代などの友達から声がかかれば外へ出たりしているのでしょうか。

森田療法は元来患者さん本人に対する治療でした。しかし最近は症状だけでなく、対人関係の悪循環に注目し、ご本人でなくご家族に対して不登校のお子さんとどう接するかアドヴァイスするようになってきています。
その説明の前に確認ですが、お子さんの不登校のことでどこかへご相談へ行かれていますか?自分だけで悩んでいると辛くもなりますし、本人を連れて行かなくても家族相談は医療機関や保健所などでも行っているかと思います。その際、本人へは必ず「あなたのためにちょっと相談にいってくる」と言うことが重要です。でないと陰で親がこそこそ話を進める構造になって好ましくないからです。

いない人の声が聞こえるといった幻聴や、現実にないことを確信している妄想が約半年続いているのであれば中学生でも統合失調症を我々は考えます。であれば適切な薬物療法を受けるようにしていくことが大事です。あるいは気が滅入っていることや物事に対する興味の喪失、睡眠が取れていない、食欲が落ちている、体を動かすのがおっくう、思考の回転が鈍いといった症状がどの場面でも少なくとも2週間以上続けばうつ病を疑い、これも適切な薬物療法が改善のきっかけになります。また、暴力行為を受けそうになったときは、親が場を変え避難することが必要で、怒りの感情が引くまで時間を味方につけることです。

yさん、親とすればお子さんが不登校になり大変ショックと存じます。しかし必要以上に不登校のお子さんのことばかりに注意が向いてしまい、yさんが自宅にいる際、学校へ行けるか行けないかという視点でばかりお子さんを見ていないでしょうか?子を思わない親がいないですが、それだけyさんがお子さんに対するよくなってほしい気持ちが過大だからだと思います。思い切って学校へ行く、行かないといった二択でない会話を食事の際にしてみるのも良いかもしれません。お子さんから「登校しなければ」という構えを緩め、今どんなことに興味持っているのかなあとか、ネットなどの内容などたわいもない話からしていくのが良いと思います。お子さん、中学で義務教育中ですが、お子さんの今後を既成の概念から離れて考えるくらいのつもりでも良いかもしれませんね。
(舘野歩)

Bさんは、周りに「思ってもないひどいことを口にしてしまうのでは」と心配してしまうということですね。実際、このような不安に駆られている方は、ひどいことを口にすることはないです。なぜなら実際にひどいことを口にする人はこのような事に悩まないからです。

しかし心配はありますよね。このような心配が出てくる背景にはBさんの「周囲を大切にしたい」気持ちが感じられます。ただ周囲を思うばかりに、自分の思いを相手に伝えられていないのでは、と感じる部分もあります。ひどい言葉を「あってはならないもの」として抑えつけていませんか?実際、周囲の人に様々な感情を持つことは人間として自然なことです。怒り、不満など普段は言えない感情もです。それらを抑えつけるだけでなく「適切な自己主張」をするのです。日本には「察してもらう」という文化はありますが、実際自分の思いや考えはしっかり相手に伝えないと伝わらないものです。そのため「適切な自己主張」は社会生活では必要不可欠です。怒りや不満を飲み込むだけではいつか爆発してしまいます。不満については「私は今〜で困っています」、怒りについては「〜といわれると私はつらく感じます」などの言い方で伝えれば、相手に対し陰性感情をぶつけずに自分の思いもしっかりと伝えられます。

また職場で愚痴を言える人はいますか?愚痴の中で、思い切り「ひどいこと」を口にされたらどうですか?「ひどいこと」は意外と言ってしまった方が、その後、頭に残らなかったりします。職場では言いにくいようであれば、友人に聞いてもらったらどうでしょうか。

ひどいことを言ったかどうか確認してしまいこともあるそうですが、他者への確認は極力控えた方がよいでしょう。他者に確認することによって、一瞬安心するのですが、人に頼ることで自分への不信が益々募るからです。確認しても安心できることはないのです。安心出来ない「もやもやした感覚」を抱えながら、目の前の仕事をこなしていきましょう。

最後の部分に「考えている事が周囲の人に伝わっているような感覚」があるとおっしゃっていますが、もしこの感覚が強まるようでしたら、主治医に相談して下さい。まだ精神科に受診してないようでしたら専門医に相談するのが望ましいです。
「適切な自己主張」をして、のびのびと生活していけるようになることを祈ります。
(石山菜奈子)

Nさんは「職場でたのしく雑談できません」と述べられています。雑談はできるけど、Nさんが楽しくないということでしょうか。それとも相手が楽しんでいないようにNさんが感じるということでしょうか。職場は毎年度代わり、せっかく築いた人間関係も一から作らねばならずしんどいとのこと。1年間培った関係を置いて、また次へ行かなければならないのは大変なことですよね。
その中で5年仕事をされているとのこと。それはかなりの適応力だと思います。

雑談は「雑」談であり、何を話してもいいのだから、簡単なことのように思えたり、雑談くらいできるようになりたいという声を聞くことがあります。本当に雑談は簡単なものでしょうか?私は年々、雑談はコミュニケーションの中でもなかなか高度なものだと思うようになりました。高度というのは、だからコミュニケーションが苦手な人にはできないということではなく、雑談にはいろいろな要素が絡み合っていて、自分がすぐにはどうにかできない要素がいろいろあるからです。「雑談が苦手」と思う人はついつい自分側の要因だけ(例えば、口下手など)を見てしまいがちで、それ以外の要素については軽視してしまうことがよくあるように思います。

自分以外の要素としてはまず、
(1)雑談の相手:
 その方(々)はNさん自身が話していて楽しい相手でしょうか。相手は雑談に興味がある人でしょうか。
(2)話題の共通点:
 Nさんとその方(々)双方が関心のある話題や、共通の話題はどのくらいあるでしょうか。
(3)雑談の目的:
 Nさんの職場ではどんな時に仕事の話以外の雑談をしますか?Nさんは職場の方(々)に対して思いついたことを気軽に口にできる感じですか、それともかなり気を使って口を開く感じでしょうか。
(4)雑談に求める楽しさ度:
 コミュニケーションが得意だったら楽しく話せるはずなのになど、親しい友人や家族と会話するときのようなしっくり感を求めているところはないでしょうか。

教育現場で非正規の形態での仕事というと、周りの方々は永く一緒に働いている方も多いのでしょうし、自分が入りきれない感じを抱くのも当然のことのように思います。自分が描いている理想の雑談とはどんなものなのか、雑談に何を求めているのか、それは知り合ってすぐに得られそうなものなのか。また、楽しくできないと自分が嫌なのか、それともできていないと周りから自分がどんな風に見られそうで嫌なのかといった点を自分に問いかけてみてください。それをカウンセリングで話題にして、整理していくのもよいかもしれません。

職場の人間関係が心もとなく辛く感じる時こそ、仕事上必要なやり取りをしっかり行っていくことが大切です。自分についての理解を深めつつ、必要なやり取りを行う中で少しずつ、話の合う人や、Nさんが話していて楽しいと感じる人に出会うと良いですね。
(今村祐子)

Kさんは高校生の時に挙動不審とからかわれて以来、人前での緊張、こわばりに悩むようになったそうです。緊張ゆえに人と打ち解けにくく、辛かったことや、ショッピングモールで緊張してご主人から顔やばいよと心配されたと綴られていました。きっと、相手からどう思われるか、どう見られるかと身構えてしまって、より緊張してしまうのでしょうね。高校生の時に挙動不審と言われたのも、こうした構えを同級生が冗談のようにからかったのかもしれません。

人前で緊張したり、相手の思惑が気になることは私達が日常的に体験することです。しかし、過度に緊張して身構えてしまうのは、何を恐れているのでしょうか。
例えば、相手から変な人だと思われるのではないか、嫌われるのではないか、失敗をして馬鹿にされるのではないか・・といった不安だとしたら、それは良く思われたい、好かれたい、評価されたいという欲求の裏返しですね。そうした欲求があるからこそ、思うようにならない事態を恐れるわけですが、対人恐怖症の場合、それを“恥ずかしいこと”と過度にとらえてしまうのです。それゆえ、恥をさらさないように、弱みを見せないようにと身構えて、ますます緊張してしまうわけですね。

恥ずかしいと思うことは、とても自然な感情です。何より、恥ずかしいと思う気持ちがあるからこそ、より自分を向上させよう、努力しよう・・と思うのであり、それは成長へのバネにもなるものです。逆に、恥ずかしがる気持ちが無い人の方が、傍若無人で恥知らずな行動をとってしまい、周囲から孤立してしまうでしょう。しかし対人恐怖症に悩む人たちは、恥ずかしいと感じる自分が受け入れられず、そう感じている自分を見せまいと身構えてしまったり、恥をかいたこと自体をいつまでも後悔し、繰り返し自分を責めてしまうのです。 「恥」とは、自分の欠点、失敗などを恥ずかしく思うことです。つまり、恥を知ることは、自分の足りないところを知ることであり、まさに成長に繋がります。単に、恥を隠すことは、そこから目を背け、虚勢をはることであり、いつまでも成長には繋がりません。

大切なのは、恥ずかしいと感じる気持ちをどのように自分のために生かすのか・・ということでしょう。つまり緊張したり、恥ずかしいと思う気持ちそのものを悟られまいと身構えることに力を注ぐのではなく、恥知らずにならないような行動を心がけるのです。例えば、見知っている人に会った時には挨拶や会釈をする、独りよがりにならないように相手の話を聞く・・・というように、自分なりに正直に、誠実に関わることでしょう。Kさんは、対人恐怖症(視線恐怖症)の症状を抱えながらも、小学校教師の夢を実現させた頑張り屋さんです。それはまさに「〜ありたい」という自分の欲求にしたがって、目標に向けて努力した成果と言えます。だからこそ、その頑張りをどこに生かすかなのです。
緊張や恥ずかしい気持ちを隠す方向ではなく、子供が欲しいという素直な願いや、ご主人とこんな生活がしたいという欲求を実現するために、力を注いでみてください。
(久保田幹子)

Nさんが服に針が入っていたら…と気になり、さらにそれが体内に入ったらどうしようと心配しています。これまで針が入っていたことはなく、自身が妊娠中のために過敏になっているという思いもあるようです。

赤ちゃんのことを大切と思えば思うほど、自分の体調に気を配ったり、害となるものを気にするようになるものです。気になることを思い尽くして無くそうとするとさらに気になりますね。思うように動けない時期かもしれませんが、家のことなど出来ることから手を出して行きましょう。自身でも「ありえないこと」と言えていますので、そのような考えは棚上げすることで、気になりながらもそのままにしておく経験が出来ると思います。気になることを気にしないで他のことに取り組むことはとても怖いことですが、そこは頑張りどころです。頑張ってやってみてください。

Kさんも確認で困っています。考え方は同様ですね。症状と綱引きせずそのままに、やるべきことに取り組むことが本来の自分を取り戻す近道とも言えます。頑張って下さい。
(矢野勝治)

Mさんは学生の頃から周りからどう思われているのか、嫌な思いをさせてないか、などと気になっていました。今は職場で周りの人と打ち解けられず、他の人が仲良く雑談していると落ち込む、というようなことで悩んでいらっしゃいます。
 Mさん、人間関係に悩み、苦しい中でも仕事、頑張っていらっしゃいますね。森田療法では不安を「〜したい」という気持ち(生の欲望)の裏返しという捉え方をします。Mさんは「周りの人に嫌な思いをさせたくない、みんなと仲良くなりたい、みんなから良く思われたい」などという気持ちが少なからずあるのではないでしょうか?この気持ちを抱くことはとても自然なことで、私自身もそう感じます。この「〜したい」という気持ちが強くなれば自ずと「〜出来なかったらどうしよう」という不安も大きくなるものです。

Mさんは「早く打ち解けたい、仲良くなりたい」という気持ちから生じてくる「仲良くなれなかったらどうしよう、嫌な思いをさせたらどうしよう」という不安をなんとかなくそう、としすぎていないでしょうか?この不安をなんとかしようとすると、「嫌われたくない、嫌な思いをさせたくない」→「みんなに近づかない」→「打ち解けられない、仲良くなれない」→「落ち込む」→「仕事にも集中できない」というような悪循環にはまってしまいます。

Mさんが感じている不安が、「仲良くなりたい、輪に入りたい、打ち解けたい」という気持ちの裏返しなのであれば、完全になくすことは出来ないはずです。そうであるならば、その不安をなくすことにエネルギーを注ぐのではなく、不安のままに、びくびくしながらでも、その輪に入っていくことが大切だと思います。

ここで注意してほしいのは、まずは対人関係を作ることにエネルギーを注ぐよりも、仕事を一生懸命取り組んでいくことが大切である、という点です。仕事に熱中していくと、雑音は気にならなくなるものですし、必要に応じて仕事の話題や相談などをしていくことでみんなと会話をしていけば、時間とともに対人関係は作られていくものだからです。Mさん、今は苦しくても、時間を味方につけながら是非とも頑張ってくださいね。
(谷井一夫)