不安神経症の部屋

hさんは不安神経症と診断され、現在の生活は人に頼って甘えている、病気と向き合う覚悟が欲しい、と悩んでらっしゃるのですね。
hさんがどのような不安や症状があるのかまでは分かりませんが、その不安や症状の為に仕事を休んだり、人に頼ってしまったりしているということでしょうか。そうであるならば、休んだり頼ったりした際にはきっとhさん自身が「また休んでしまった」などと嫌な気持ちになり、辛い思いをされているのでしょう。一方で、どこにいても不安などの症状は辛いものです。

つまり、仕事を休んでも休まなくてもどちらにしても辛いのではないでしょうか。
どちらも辛いのであれば、とりあえず仕事に行ってみる事を試みてはいかがでしょう。症状はおそらく最初のうちはどこにいても出てくるものです。それであれば、「休んでしまった」と自己嫌悪にならないだけ、仕事に行った方が楽なのではないでしょうか。「病気と向き合う覚悟を決めなくては」と思っても、なかなか心は思うようにはいきません。本当はそんな悲壮な覚悟は必要ないのです。「どっちも辛い」それなら、とりあえず今日一日だけは仕事に行ってみようと、家を出てよろよろとでも職場に向かいましょう。

そしてもし今日なんとか仕事ができたなら、明日、もう一日だけ同様に出勤してみましょう。明日もなんとかなったなら・・・・明後日hさんはどうなさいますか?
(谷井 一夫)

Uさん、Cさん、Wさん、こんにちは。皆さん1人1人が、不安を感じながらも毎日をご自分なりに奮闘されて生活されている様子が伝わってきます。我々人間が、生きていく上で「より良き明日を思うところ」に不安が生じるのは必然のことかもしれません。「明日への希望」と「不安」は表裏一体と言えましょう。明日への希望を願う気持ちが強ければ強いほど、同時に抱く不安も強いのではないでしょうか。こうした不安とどうのように付き合っていくか・・・。なかなか難しいものですね。

森田正馬先生がよく使われた言葉に達磨大師の「前を謀らず、後ろを慮らず」という言葉があります。これは不安にとらわれ、今現在がすっぽりと抜け落ちている我々に、「現在になりきる」姿勢を指導する言葉です。過去を憂えても、未来の不安に慄いても、何も変わることはありません。我々に出来るのは、今この瞬間をいかに充実させるかのみです。コツコツと目の前の必要な関わりに取り組んでいきましょう。「現在になりきること」、このことが未来への活路です。
(川上正憲)

Mさん、いろいろとお疲れ様。森田療法を忠実に実行されようとしておられる努力に頭が下がります。皆さんからのアドバイスで恐怖なくして外出することは無理だと新ためて気付いたこと、何よりです。とても大切な気付きですね。これを忘れないでくださいね。途中で帰ってくるものの、次の日から早速近くのお店へ行こうと思い出かける、これも素晴らしい実行力だと感じます。そういうMさんが私はとても好もしく思われます。

途中で帰ることを何日か繰り返し、2分行けば着くのに、その道を渡りお店の中に入ってと考えると、不安で過呼吸になって苦しい思いをするんだ、でも不安や怖い思いは仕方ないんだ、と色々な思いがめぐり、結局帰ってくる、今日も挑戦したが、いつもと同じ所で帰ってきた、とのことですね。ご苦労さまです。何度も挑戦するその努力はとてもいいと思います。結果はどうあれ、挑戦してみなければわからないのですから。これも良くなるための貴重な経験なのです。
さらに、そういった中で、また頑張るつもりで、できるようになるまで諦めません。とおっしゃられているのには驚かされました。本当にファイトあふれる言葉だと思うし、この気持を持ち続けられれば、必ずいい方向に行くことと存じます。Mさん、この気持ですよ。

さて、次ですが、あまりにお店まで到達できないので、まずは駐車場まで行ければOKというふうにしようかと、まずはハードルを下げようかと思った、とのことですが、これもいいのではないでしょうか。目的を果たせればもちろんいいのですが、不安が強すぎてそれができない場合が往々にしてあるのです。そのハードルを下げるために森田療法をしながらでも抗不安薬などを使用することも多いのです。いろいろとお考えのようですが、Mさんもお気づきのとおり、最終的に目的を果たせばいいのです。そもそもMさんの目的は買い物を含め自由に外出して、日常生活を普通に送れるようになることでしょう。だとすればとりあえず近くまでの外出を繰り返す、これも役に立つ目的本位の行動でしょう。小さな目的にこだわらなくてもよいと思います。大目的があるのですから、できるところから取り組んでください。
ただ、Mさんのしたいことを買い物に限らず、いろいろとお考えいただきたく存じます。他の人も言ってくれているように、本当にしたいこと、やらなければならないことがはっきりしてくれば勇気も意欲も出てくるものです。お気づきのように、恐怖があっても行動できた経験こそ貴重なものです。ぜひやりたいことを追求し、その上でハードルの低いことから、多少の不安があっても飛び込み、徐々にハードルを上げ、行動範囲を広げてみてください。心の境界線を破るのは行動の積み重ねです。ファイトあるMさんならできると信じております。
(鹿島 直之)

Sさんは、今年6月に心臓がチクチクしたことから恐ろしくなり、その後健康に過度に気をつけているなか、7月にも発作が生じました。経過からパニック障害と思われます。パニック発作は、恐怖や不安とともに身体や精神の症状が突然出現し、短時間でピークを迎えるものです。身体症状としては動悸などが多く、最初に発作が生じたときには心筋梗塞などを起こしたのではないかと大変驚いて救急車を呼ぶ方も多くいらっしゃいます。しかし、症状は10分以内にピークを迎え数十分で落ち着くので病院に到着する頃には症状はだいたい治まっているものです。

パニック障害は身体のメカニズムだけで発作が生じるのではなく心理的プロセスが介在します。特に発作が繰り返されると、また発作が生じるのではないかという「予期不安」が生じてきます。気にすれば気にするほど強まる予期不安は病気を長引かせる因子とも言われ、薬ではなかなか改善しません。そのため症状をなくすのではなく、症状との付き合い方を身につけ、その人らしい生活を送ることを目標とする森田療法が予期不安との付き合い方に有効になってくると言えます。

さてSさんは病院にかかるようになり症状は治まりましたが、薬なしでは生きていけないのではないかという心配がつのっていったのですね。そのような心配から、いきなり薬を中止すると、反動で不安や緊張が強く現れることがありますので、医師と相談しながら、徐々に減量・中止するほうが無難です。しかし最終的には、おっかなびっくり飲まずにやってみる決心も必要です。このサイトがきっかけになって、そのような決心をつけられたのは何よりです。
今のSさんの悩みは、吐いてしまうのではないか、という恐怖感とのことでした。これも予期不安の一種です。家族の前であまり食べないと心配をかけるのではないかと気にされており、発作のときにも母親に心配をかけまいと受診を躊躇していたことからも、Sさんの家族を思う気持ちが伝わってきます。しかし、人は時に調子が悪かったりすると食べられないときもあるものです。御本人が心配しているよりも家族はSさんの状態を受け入れてくれているのではないでしょうか。「一応は食事をする」「無理に全部食べなくていい」というSさんの方針は適切なものです。構えすぎずその調子でよいと思いますよ。
(矢野勝治)

Mさんは、現在、過呼吸を恐れ、外出することを躊躇されていらっしゃるようですね。文面から察するにパニック発作と、その予期不安に苛まれて、生活が萎縮しているのだと思われました。そして、このような状況の中で、何度も外出を試み、上手く結果を出せないことに意気阻喪しているように見受けられました。2年以上もこうような状況の中で、孤軍奮闘されているのだから、さぞかし辛い状況であったと思います。

ところで、Mさんは、精神科の治療機関に定期的にかかっていらっしゃいますか?
  向精神薬の服薬でパニック発作自体の軽減は可能です。そのため、規則的な服薬を是非心がけてください。発作の軽減が図られるだけでも、外出時の心理的負担を軽くさせてくれると思います。その上で、Mさんの生活自体をもう一度見直していきましょう。

現在、Mさんは、殆ど自宅内で生活しているのでしょうか?
そうだとすれば、自分の部屋が万年床になっている可能性はありませんか?現在、パソコンが普及し、自宅で情報を簡単に知ることが可能となりました。便利なことに越したことはありませんが、そのことで外出する機会を敢えて自らに課す必要も少なくなってしまいました。
つまり、自らが行動し、様々な体験をする機会も奪われていったように思います。そのため、Mさんには、自宅の中だけでもいいから、変化のある生活を心がけていくことをお勧めします。その際、3点を心がけていってください。

  • 1つ目は、今までもMさんが挑戦してこられた、朝決まった時刻に起床し、日の光を浴びることです。
  • 2つ目は、外出しなくても窓を開け、外気などを自宅に引き寄せることです。可能であれば、無理のない範囲で自宅周囲の散歩を試みてください。季節感を肌身で感じ取ることが、Mさんの生活感を取り戻す上で意外にも重要なのです。
  • 最後にパソコンから離れた生活を一日の半分は持つようにしてください。パソコンは情報を与えてくれますが、豊かな生活は与えてくれません。パソコンの前に座り込んで根を生やさないことです。これらは、不安を直ぐに解決する訳ではありません。しかし、森田療法の基本が生活の回復にあるならば、これらの3つをMAIさんの当座の目標にしていって欲しいと考えます。

一見地道ですが、地道に勝る近道はありません。是非頑張っていただきたいと願っています。
(樋之口潤一郎)

Mさんは、不安発作がまた出るのではという予期不安の中でスポーツ観戦にでかけたことを報告されています。

フォーラムでのやりとりに背中を押されて恐怖突入をされてきたとのこと。投稿を読んでMさんがとても素直な方なのだな、と感じました。

「素直」は、森田療法で治癒のために重視していることのひとつです。 それは、たとえば理解できなくても、先輩やよくなった人の真似をしたり、「あやかる」こと。やはり自分の殻に閉じこもって、自分の症状は特別だから、ほかの人とは違うから、と壁を作ってしまうと、変化のきっかけはつかみにくくなってしまうもの。
森田先生も「『思いきってぶつかる』とか『自分を投げ出す』とかいう話を聞いて、その苦しいことに同感・同情するとか、元気になり、強迫観念が直ったとかいうことを聞いて、自分もそのようになりたいとか思うのを『感じ』とか『素直』とかいうので、『あの人は、病気が軽いから、なんでもないけれども、自分は特別であるから、治らない』とか『自分は意志薄弱であるから、先生の診断が間違っている』とかいうのをヒネクレとか強情とかうのである。それで素直な人は、よくなった人の話を聞いて、自然にその気合につり込まれて、治るようになる」と仰っています。

一方で「選択肢」という表題に、「何を望み、何を選ぶのかは自分なのだ」という覚悟が読み取れました。
「すぐには自信にむすびつきませんが」とのこと、それでよいと思います。
自信はあとから自然に生まれるもの。ご自身が主観的にどのように評価したとしても、電車に乗って出掛けてみた」というのは変わらない「事実」です。
さらに一歩の後押しを先輩がされています。
これからもチャレンジを続け、「事実」と積み重ねてください。
(塩路理恵子)

Hさんは入院した時の経験を振り返り、自由に動けるようになってから精神的に不安定になったことや、新しく同室になった患者さんと思うように接することが出来なかったことについて書き込みをされています。そこで伝わってくるのは、せっかく森田療法を学んでいるのにどうしてうまくいかなかったのだろうという落胆と、ちゃんと対処できるようにもっと森田療法を学ぼうとする前向きな姿勢でした。
Hさんが書かれていることはとてもよくわかります。手術という大変な事態は何とか乗り切ったのに、なぜ点滴もはずれて自由になった頃から精神的に不安定になったのだろう・・・(もうストレスはないはずなのに)。新しい同室の患者さんとの関わりが嬉しい反面、負担となって予定前に退院してしまった。どうして不安感の中にいることが出来なかったのだろう・・・(ちゃんと森田療法を勉強したはずなのに)。うまくいかなかったことだけでなく、( )の中の気持ちが葛藤を生んでいるのではないでしょうか。確かに、客観的にみれば手術当初よりも自由に動けるようになった頃の方がストレスも少ないはず。個室よりも、同室の患者さんがいた方が退屈しないはずです。しかし、そこに「かくあるべし」の落とし穴があるのかもしれません。
手術当初は当然回復に向けて身体も心も精一杯です。他に目を向けるゆとりもなかったことでしょう。一人部屋の時も同じことです。話したくても話す相手もいなかったのですから。でも、自由に動けるようになったら、初めての入院生活について考えるゆとりが出来た。新しい患者さんがきたら、孤独から解放されて嬉しくなった。とても自然な心の動きですよね。ただ、そこで同時に生れたのが、「ちゃんとしなければ」というかくあるべしの構えだったのではないでしょうか。ちゃんとしようと思えば思うほど、眠れない事実や、同室の患者さんとの接し方が気になる。気になればなるほど、それを何とかしようとしてますますパニックになる・・・まさに“とらわれ”です。
Hさんも気づいておられるように、同室の患者さんに対しては、楽しくおしゃべりできなければいけないと考え、無理をしたことがとらわれを生んだわけです。つまり、「楽しくおしゃべりしたい」が「しなければならない」に転じた時、自分自身に縛りがかかってしまったのです。でも、対人的なことだけでなく今回の入院をめぐる一連のことは同じからくりで起きているのかもしれません。つまり、「ちゃんと出来なければいけない」という構え(かくあるべし)というからくりから。特に、繰り返しHさんが書かれている「森田療法を勉強してきた」というところにそのきっかけがあるようにも思えます。「森田を勉強してきたのだから大丈夫なはず」、あるいは「ちゃんと対処できなければいけない」という新たな「かくあるべし」を生んでいたと思うからです。

しかしそれも、成長したいという前向きな欲求があるからこそ生じるものです。悩みつつも、途中で入院生活の目的を思い出し、軌道修正が出来ているところからも、進歩は十分にみられます。どんな状況でも動揺せず、冷静沈着に対処できることが「ちゃんとしている」ことではありません。初めての入院と手術に動揺しながらも、本来の目的(治療やリハビリ)を思い出しながら、そこに力を注ぐことが出来るならば、立派に森田の姿勢が身についていると言えるでしょう。あまり頑張りすぎずに、今回の経験から得たことを生かしていけば、十分学びになると思います。
(久保田幹子)

Sさんは、10年来不安状態に苦しんでおられるとのことです。身内の方の不幸や環境の変化といったストレスをきっかけに、「胸がいつも重苦しく息苦しい感じが続く」という体の症状と、「気持ちもざわざわと不安で憂うつな、すべてが不安に映る」という心の症状が長期間にわたって持続していることから、全般性不安障害という診断に該当すると思います。従来、不安神経症と呼ばれていた状態は、最近では急性・発作性の不安(パニック発作)を主とするパニック障害と、慢性・持続性の不安を特徴とする全般性不安障害に区別されるようになりました。パニック発作を繰り返すうちに、全般性不安障害が共存するようになる人が25%程度いますが、パニック発作とは無関係に全般性不安障害になる方も少なくありません。Sさんの周囲には似た症状の人がいないということですが、米国の地域調査によれば、全般性不安障害の生涯有病率は一般人口中約5%という結果であり、決して少ないものではありません。精神科よりも内科などの一般診療科を受診する人が多いことも特徴のひとつです。全般性不安障害の際の不安は、特定の内容に固定しておらず、そのときそのときで変化します(浮動性不安と呼びます)。たとえば自分の健康不安や仕事の失敗への恐れ、事故に遭遇するかもしれないといった身近な不安から、地震や戦争が起こったらどうしようといったことまでが心配の種になることがあります。また自分のことだけでなく、身内の病気や死など、家族のこともしばしば心配の種になります。
Sさんは、これまで1度しか病院に行ったことがないといいますが、ことによると薬に対しても心配が強いのかも知れませんね。しかし、ある程度の期間、抗不安薬や抗うつ薬を服用することによって、不安や緊張、ことに胸苦しさや息苦しい感じなどの身体症状の改善が期待できますので、改めて精神科か心療内科を受診して薬もしっかり味方につけてはいかがでしょう?ただし、薬だけで不安を取り除こうとしてもうまくいきません。全般性不安障害の人は、元来心配性で完全主義的傾向を有する神経質性格の方が多いのです。そこで、何とか不安を除去しようと努めるのですが、いくら心配を打ち消そうとしても次々いろいろなことが気になってリラックスできないはずです。では回復の決め手は何でしょうか?結論を言えば、不安に対する姿勢を変化させることです。つまり、不安は無理に打ち消さなくとも、時間と共に変化していくこと(森田はこれを感情の法則と呼びました)を思い起こし、不安との闘いをやめて、日々の生活の充実を図ることです。1度しか病院に行かなくとも、10年間生活を続けてこられたという事実が、身体的には健康であることを示しています。電車、美容院、外食が苦手になっているということですが、もう一度不安のまま、生活全体を外向的にしていくよう努めてみるとよいと思います。それから、同様の悩みを抱えている方々との交流も支えになりますので、この体験フォーラムや生活の発見会を大いに活用されるといいでしょう。万が一それでも現状を打開できないということでしたら、一度慈恵医大第三病院を受診してください。
(中村 敬)

Mさん、睡眠剤を飲むことかなりお辛そうですね。睡眠剤を飲むとどんなことが辛いのでしょう?服薬した翌朝眠気が残ってしまうのでしょうか?あるいは服薬した翌日にふらついたりするのでしょうか?もしこのような副作用が辛いのであれば、睡眠薬といっても色々な種類がありますので主治医と相談して変更することも必要でしょう。

ただ「日々睡眠薬を飲むか飲まないかにとらわれている」ということはありませんか?睡眠をきちんと取らなければならないと思いそのことばかりにとらわれている状態を神経質性不眠と呼びます。今まで森田先生の本を読んで克服されてきたとのことですのでそれだけMさんには潜在的な「力」があると想像されます。今までの悩みを乗り越えてきた時のように今回も睡眠のことだけでなく、日中に不安なことがあったり悩みがあったりしていませんか?翌日を万全な体調で過ごしたいという構えが強ければ強いほど、その日睡眠をきっちりとりたいという意識も強まりますます眠れなくなってしまいます。つまり睡眠のことばかりに目を向けすぎず、日中起きている生活へ目を向けてみましょう。睡眠時間や睡眠の質のことだけでなく、一日全体をいかに充実させていくかを大事にしていきましょう。

睡眠についての森田療法的な具体的なアドバイスを示します。森田先生は「眠っても眠らなくても七、八時間以上床に尤いてゐてはいけない」と言っており、高良先生は「患者の夜の就床時間を七時間内外に一定し、それ以外の就床域は睡眠を厳禁する」と指導していました。つまり規則正しい睡眠スケジュールを確立することが大切です。
(舘野歩)

Yさん、こんにちは。久しぶりのフォーラムへの参加で近況を報告してくれていますネ。以前、この回答でYさんにコメントしたことを記憶しています。

6年間のパニック障害との付き合いを経て、現在はのびのびと仕事に、日常生活を送ってらっしゃる様子がしなやかな文章から伝わってきます。3月から新しい仕事に変わることとなり、様々な気持ちが交錯するにも関わらず、「こういう時には森田先生だったらどう仰るのかな?」と自らに語りかけ、「そのままで良い。しっかりと手足を動かしなさい・・・」と仰っているのではないかと考え、「不安は不安なままに、手足を動かす」ことを実践されているとのこと。学習と行動の連動が見事に実践されています。非常にすばらしいのではないでしょうか。
千変万化する日常のなか、その時々に応じて臨機応変に行動し、内なる希求である「より良く生きたい」という気持ちに従って行動されているように感じます。そして、そうした体験をフォーラムに綴ることで、「新しい参加者がYさんのコメントを参考にする」という、森田療法の循環が見事に起きているように思います。生きた森田療法の体験ほど、力強いメッセージはないと思います。皆さんの様々な体験でフォーラムがさらに生き生きとしたものになることを祈念します。
(川上正憲)

Mさんが2月からの職場復帰を前に、職場の人と話す時に失敗しないだろうか、上手くやっていけるだろうかと考えて不安な様子です。休職前には上司や先輩の足音が聞こえてくるだけで具合が悪くなったりミスが多くなってしまったとのことで、復職を前に強く不安を感じているようです。Sさんも書かれていますが、復職前には「また同じようになるのではないか」と誰しも不安になるものです。その不安は、「戻るからにはきちんとやりたい」という思いの裏返しでもあり、あってはいけないものではありません。「ミスがあってはならない」という考えから身動きがとれなくなるのではなく、現実的に仕事というものは、ミスを修正しながら進めていく試行錯誤がつきものです。例えば、自転車の練習で転ばずに上手になる人はいませんね。転びながら慣れていきバランスを取るのが上手くなっていきます。失敗しながらも進めていくことが大事なのです。
(矢野勝治)