不安神経症の部屋

Oさんは、完全欲が強く、不安を感じたり、気分が少しでも沈む感じが受け入れられず、日常生活は普通に送れているものの、内面と外見のギャップをどのように捉えたら良いのかわからない・・・と書かれています。ご家族にもなかなかお話が出来なかったようですが、このフォーラムに書き込み、共感的なコメントをもらうことで、自分だけではないと安心感を持てたことは大切な経験と思います。 同じ神経症に悩む者同士ということで得らえた共感も勿論大切ですが、実は、そうした違和感は神経症だから抱くものではなく、程度の差はあっても、多くの人が経験しているのではないかと思うからです。つまり、内面と外見(外面)が一致しないことがあるのは自然ということです。しかしOさんは、常に両者を一致させたい、一致していなければならない、と完全な状態を求めるがゆえに、そのズレがとても受け入れ難く、逆にそこに「とらわれ」てしまうのでしょう。傍から見ているとおそらく気付かないことにもかかわらず、自分がそれを許せない、ということなのでしょうね。

Oさん自身も書かれていますが、常に良い気分で、充実した気持ちでいることは現実的には不可能です。それは天気を毎日晴天に出来ないことと同じでしょう。例えば子どもの頃、楽しみにしていた遠足や運動会が雨で中止になった時、Oさんはどのように感じ、過ごしたでしょうか?当然、がっかりしたり、恨めしく思ったりしたことと思います。でもそれは、仕方がないことと受けとめながら、他の過ごし方を模索したのではないでしょうか。心の事実も、天気も同じです。そう感じること自体は自然なことであり、変える必要もない(変えられない)ことなのです。

森田は、「われわれは世の中の事実に勝つことは出来ない。事実に服従するよりほかに途(みち)はない」また「不快な考えを愉快に考えようとするのが間違いの元であります。ただ不快は不快である。それだけでよろしい」と述べています。調子が良い時は気分が良く、調子が悪いと不快というのも当然であり、それは心の事実です。調子が悪い時に原因を探ってしまうのは、不快感をすぐに解決したいためかもしれませんね。ただそこで大事なことは、不快な気分だけに注目するのではなく、外見を整えているという事実にも目を向けることです。事実は嘘をつきません。不快であろうとなかろうと、必要な日常を送っている事実に目を向け、それも平等に認めていくことが重要でしょう。森田は恐怖が無くなることではなく、欲求と恐怖の調和を回復と考えていました。内相を先に整えようとするのではなく、それも心の事実と捉え、外相(外見)を整え、それを評価していく中で自ずと調和が取れていくのではないでしょうか。
(久保田幹子)

Nさん、こんにちは。現在、赤ちゃんの育児をされているところなのですね。上のお子さんもいらっしゃるとなると、やること気にすることが多く、大変ですよね。「育児は、思い通りにならないことだらけ」というNさんの言葉に、日々のご苦労が詰まっていると感じます。本当にお疲れ様です。そんなお忙しいNさんですが、「それなりに出来ていても、ここが足りてない、とか、自分のやり方は間違っているかも知れない、等と、考えてしまいます」と書かれています。せっかく出来ていることがあるのに、足りない面ばかりに着目してしまうのは、なんだかもったいないですね。なぜそんな風に思ってしまうのでしょうね。

Nさんがつづられている、「自分の神経症を治すことばかり考えてしまう」、「治らないのが辛い」、「治すのを諦めきれない」という言葉からも、治りたい想いの強さと同時に、「今の自分ではいけない」という自己批判の想いを抱いているように感じます。では、Nさんは「治る」ということに関して、どんなイメージを持たれているでしょうか?Nさんの言葉から推測しますと、「死の恐怖を受け入れる」ことをイメージしてらっしゃるように思います。

森田が、死の恐怖について「死は恐ろしい。恐れまいとしても、無理である」と述べているように、死の恐怖は無くすことの出来ないものです。それと同時に、「無くせないなら、受け入れる」という簡単なものでもないのですよね。では、どうしたら良いか。ここで Nさんにご提案したいことは「死の恐怖を受け入れがたいまま、今できることに取り組んでいくこと」と、「足りないと思う一方で、できていることにも目を向けること」です。

実際に、Nさん自身がやれていること、沢山あるのではないでしょうか。赤ちゃんがアレルギーにならないよう、お掃除をサボらずされているのですね、素晴らしい!お子さん達に沢山話しかけているとのこと、素敵です。お子さんの笑顔が見れたら、それが何よりですよね。Nさんの今の気持ちのままに、出来ることに手をつけていかれてください。
(金子咲)

Eさんはご主人が定年退職され生活が激変してから、それまで落ち着いていた不安神経症と不眠がひどくなり、困っておられるとのことです。

森田先生は「心身過労の時などに、人は当然不眠や睡眠障害を起こすことがありがちである。普通の人はこれをこの時だけの苦痛とするが、神経質者は何でもかでもただちにこれを病的と考える」と書かれています(神経衰弱と強迫観念の根治法より)。睡眠不足から来る身体のしんどさに加えて、いろいろな心配が頭を駆け巡って、とても焦った状況にあるのではないでしょうか。焦りは不安を助長します。まずは焦りをいさめて、深呼吸をして、ひとつずつ進めていきましょう。

まずはご主人の退職と生活の変化...何十年来の生活のリズムが変わるのですから、なかなか数か月で慣れる簡単な変化ではないですね。特にご主人の頑固で短気な性格により気の休まる時がないと書かれているので、適応の仕方を考えなければならず、より一層しんどいでしょう。このことをよく認識して、自分の努力と貢献をねぎらいましょう。

第二に、睡眠については睡眠薬や安定剤を継続して飲むことに不安を感じて、量を自分で減らしたり、辛いのに飲まなかったりして、効果が不十分になってしまってはもったいないので、今のお薬を飲み続けることがどんなふうに不安なのか、今の内科の先生やこれまでかかられた精神科の医師や専門医にしっかり話して相談してみることをお勧めします。睡眠が足りず身体がしんどい場合には、食事の後に少し仮眠を取ったり、日中の休息と組みあわせてみるのも良いアイデアです。休息も含め、自分のための時間を作り出すこと(それぞれ別の時間を持つこと)は退職後の夫婦生活をよりストレスの少ないものにするために大切です。

第三に、自分がやっていることを一日の最後に振り返り、できたら手帳に書いてみることをお勧めします。家事とお仕事の教室を続けていらっしゃることはとても立派なことです。

それでも、あまりに身体への負担がつらいようであれば、この中から少し手を抜けることや減らせることを検討して、削ったり、ご主人に手渡していくことを考えていきましょう。

やみくもにやるやらないではなく、何をやることが必要で、自分がやらないとしたら誰がどんなふうにやれるか、家族としてどういう回し方ができそうかという検討がEさんだけに負担が偏らない、新しい生活リズムを考えるためにも必要なのです。

自分がこんな風に困難を感じるのは理由あることだと自分に温かい目を向けてねぎらい、体力を回復させ、余裕を回復していくことで、解決策も考えやすくなっていくはずです。
(矢野勝治)

Nさんは8年前にパニック障害を発症し、数年前までは、恐怖と闘いながら外出して、なんとか克服しようと頑張っていましたが、大きな発作を起こすたびに発作への恐怖が増していき、不安や緊張を感じることに対してとても敏感になり、最近では外出することへの恐怖が強くなっているということです。また、その中で、診察を待っている間に発作を起こしたことを契機に待つことに恐怖が強くなり、そのような場面では発作を頻発するようになってしまい、困っていらっしゃいます。

Nさんは8年もの間、パニックと付き合いながら生活されてきたのですね。本当に大変だったと思います。その中で、なんとか克服しようと頑張ってこられたのですね。

一般に、パニック発作の時に感じる恐怖というのは強烈なものなので、「その恐怖を無くしたい」という気持ちになることは自然なことだと思います。ただ、残念ながら、私たちは過去に戻ることが出来ないので、発作を起こしたことのない自分に戻ることはできません。つまり、色々な場面で、発作を起こしたことがある現在の自分というのは、発作を起こしたことのない昔の自分とはどうしても感じ方が異なるものなのです。そのため、発作の恐怖を知ってしまった今、「完全に発作への恐怖を無くす」ということは無理なことだと思います。

Nさんが今までパニック障害をなんとか克服しようと頑張っていらっしゃったと思いますが、この克服というのが「完全に発作への恐怖を無くす」ということを目指して頑張っていたのだとすると、もしかしたら、頑張る方向が違っていたのかもしれません。というのも、「完全に無くそう」とすると、注意がパニックを起こさないかと不安になっている自分の心身に向き、ますます恐怖心が強くなってしまうものだからです。

そうであるならば、まずは症状を克服すること(完全に恐怖を無くす)ではなく、不安な場面で、びくびくしながらも、なんとかやり過ごすことを目標にしてみてはいかがでしょうか。待っていることが恐怖ということですが、Nさんはどのように待っていらっしゃるでしょうか。

例えば、病院の待合室では、本や雑誌を読んだり、スマートフォンを見ていたり、音楽を聴いていたり、と何かしら行動しながら待っていらっしゃる方が多いと思います。もし、Nさんが今まで常に自分の心身に注意を向けて、ただ耐えて待っていらっしゃったとすれば、Nさんも不安ながらに、本を読んだり、スマートフォンを見たり、(もちろん他にやりたいことがあれば、なんでも構いません)と何かしら行動しながら、なんとかやりすごして待ってみるということをやってみてはいかがでしょうか。

今までなんとかパニックを克服しようと頑張ってきたNさんなら、なんとかやりすごす力も持っていると思います。是非とも頑張ってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)

Mさんは子供のころから不安の波があり、最近また不安の波が襲ってくること。怖い動画を見たことをきっかけに「考えすぎて頭がおかしくなったらどうしよう」という不安に襲われることを書きこまれています。以前からのご家庭での大変だった様子なども書かれています。

治療やカウンセリングを受けられているようだったら、よくご相談できるといいですね。不安の波があって対象も様々なご様子。まずは不安と事実の違い、つまり「〇〇が起こったらどうしよう」という不安と事実は異なるものだ、ということを頭でだけでよいので分けてみましょう(気持ちは納得できなくてもよいので)。(例えば「頭がおかしくなったらどうしよう」という不安と「頭がおかしくなる」ことは別、ということ)。そこから、焦りから自分を追いこむのではなく、今目の前のこと一つずつでよいので手をつけてみましょう。

さて、Mさんは「神経症の改善のためには忙しくした方がよいですか?」という質問を書かれています。必要であれば「不安のままに」「目的本位に」行動していくことは森田療法の基本です。そして行動に入る入り口として、「行動した方が良くなるなら」という願いがあるのはとても自然なことです。けれどもそれがあべこべになって「不安をなくすために」やみくもに忙しくすると、行動の目的が見えにくくなり、疲れを増してしまいます。

森田療法の病棟で勤務していた時に大先輩の先生が「『ためにする』作業にならないように」というアドバイスをされていました。それはどういう意味かというと、不安を紛らわせる『ためにする』作業にならないように、ということだったと思います。また、「症状を乗り越える『ために』」症状と関係のある作業ばかりしてしまうというやり方にならないようにということです。

更に「ためにする作業」がもったいないのは、頑張って行動をしたのに、結果として不安がなくなっていないと「やった意味がない」と感じられてしまい、自分で行ったことをおとしめてしまうことです。

Mさんも、「今は不安に怯えながらなんとか目の前のことをこなしている状況」とのこと、粘って行動しているのですね。「不安に怯えながらなんとか目の前のこと」ということは、それでよいと思います。そのときに「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーからあれもやらなきゃこれもやらなきゃと動こうとするのではなく、目の前のことや「今日せめてできること」一つでよいので、丁寧に手をつけてみてください。そして、すぐに不安はきえなくても、やったことを見つめて、認めていくことから積み重ねてみましょう。
(塩路理恵子)

Hさん、不安が出てきてさぞかしお辛いと思います。そんな中、体験フォーラムへようこそ。同じような症状の方がいると思うと、投稿しただけでも少し不安が和らいできて何よりです。

一般的な不安に対する対処として、不安をコントロールしたい、あるいは不安から気をそらすために様々なことをすることがあると思います。それでうまくいく人は良いのですが、概して以上のことをしていると不安はますます大きくなって追ってきてしまうパターンが多いです。森田療法では不安をコントロールしようとすればますます不安になると理解します。ではどうしたらよいのかと思うと思います。まず不安があるということをマイナスに捉えないことです。不安があるということはその裏側には何かしら「~したい」欲求が過大だから起こると理解します。例えば学生さんで「試験前悪い点を取ったらどうしよう」と思う人は実は「良い点を取りたい」気持ちが強いから不安になるわけです。

Hさんも、不安になってはいるものの、本当は何を求めているのかを見つめて見て下さい。森田療法では不安をコントロールするのではなく不安を抱えながら「~したい」欲求に向かって建設的な行動をするようにアドヴァイスをします。この治療目標を端的に表した言葉が「あるがまま」となります。ただ、「不安を受け入れなけれなければ」とか「『あるがまま』でいなければ」と意識するのは逆効果です。不安は不安として、例えて言えばバックに不安を入れてバックを肩にかけつつ、ご自身の「~したい」方向へ動いて見ることです。そうしていくうちに自然と不安との共存ができるようになっていくと思います。

また、精神科受診での投薬もお考えと書かれていたのでこの点にも補足を致します。受診してもらうお薬は、いわゆる安定剤と呼ばれる抗不安薬か、不安に効果のある抗うつ薬・SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)と言われるものかと思います。これらの服薬をするメリットは不安を急速に和らげられる点と思います。

デメリットとしては、特に抗不安薬は常用量でも依存の問題があります。つまりお薬の治療は即効性があるメリットはあっても切りにくいデメリットがあります。もう一つの薬の治療のデメリットは、不安は完全になくならないということです。効果はありますが、薬で不安を完全になくそうとしないことです。

患者さんも医師も不安を完全に薬で無くそうとするとますます投与量が増えますので注意が必要です。薬の不安に対する効果はある程度限定的とお考えになった方が良いと思います。今記した点をよくお考えになられて治療を選択して頂ければと思います。どうかお大事になさってください。
(舘野歩)

Rさん。こんにちは。

不安なことの予定が決まってしまっていると、どうにも気が重たくなりますね。仕事中もヒマになるとそのことばかり考えてしまったり、不安から逃れようとあれこれ対策を考えてもそれがかえって余計に不安を刺激してしまったり。さらに、コロナ禍の関係でしょうか、「久々の飛行機出張」というのも不安が高まりやすい条件になっているのでしょう。怖くても頻繁に乗っているとさすがに慣れてくるものがありますが、久しぶりだと、それは不安になりますね。

Hさんがコメントされているように、不安の強さはいつも同じではないということに気づくことは大切ですね。たとえば、ホラー映画を観た後は、とても怖くなりますが、何日か経つと、やっぱり怖いけれどさすがに観た直後ほどではなくなっている。ところが、それがいつまで経ってもMAXで怖いままだと感じる方は、きっと怖さを克服しようとして毎晩映画のDVDを繰り返し再生しているような状態だから、でしょう。

ところで、なぜ乗り物や外出が不安なのか、考えてみることは意外と大切なことかもしれません。もう少し詳しくお話を伺ってみないと分かりませんが、もしかしたら「安全・安心でいたい」という気持ちが強いからだったりしないでしょうか?もしそうだとすれば、その気持ちはけっして不安で嫌なばかりではなく、たとえばお仕事を順調にミスなくこなしたりする際にはとても重要な原動力になっているのだと思います。そう考えると、せっかくご自身の性格を活かしていい仕事をしているのに、その同じ性格に端を発する不安から仕事自体を向いていないと考えてしまうのは、まさに「角を矯めて牛を殺す」ようなことだと言えるのかもしれません。

同じことは、治療の方向性についても当てはまるのではないかと思います。お薬の副作用が心配になったり、森田療法的な姿勢でやっていけるのか不安になったり。できるだけ不安のない方法を選びたいと思うのは当然のことと思います。ですが、そこで、そもそもどうして治療を受けようとしているのかというところに立ち返ってみますと、それは「安心・安全に仕事や生活をしたい」からではないでしょうか。不安だけれど、「どの治療を受けるべきか」というところで長く立ち止まっていずに、どの道でもいいのでとりあえず一歩踏み出してみるとよいのではないかと思います。
(半田航平)

Pさんは世の中の悲しいニュースもあり、不安感が強くなりながらも、日々出来ることを続けていらっしゃいました。そして音楽を聞いてふと涙を流し、それを機に不安感が小さくなり、落ち着きが戻る経験をされたとのことでした。音楽のよさに改めて気づき、他の方の「音楽はいいですね」という言葉にもヒントを得て、皆様に共有していただきました。

このように後から理屈づけるのも無粋かもしれませんが、感動の涙を流す時には、自律神経のバランスが一時的に副交感神経優位の状態になり、ストレス状態にある脳を一時的にリセットさせる効果があるようです。でも演技など意識的に涙をコントロールして流してもその効果は薄いようです。

Pさんは意識的に涙を流そうとして流したわけではなく、ふと聞いた音楽に胸が熱くなり、涙が出て、不安な感情が流れたという体験でした。不安でいっぱいになりながらも音楽を味わってその場になりきったことが、結果的にご自身の不安から離れることにつながったのだと思います。以前に聞いたこと、普段から不安を浮かべたままと心がけていらっしゃったこともこの体験の理解に結びついたのだと思います。

そして、Pさんのコメントやその後の交流を拝見して、皆さんの温かなお人柄が表れていらっしゃるように思います。なにより他の方のコメントを自分なりに取り入れ、そこからさらに他の方と共有して、同じような動きが波及していくということが自然とつながっていらっしゃるのが素晴らしいと思います。

いいなと思ったことでも、自分とは状況が違うからなどと理由をつけて、なかなか取り入れられない方が多いと思います。一方で毎日花壇に水やりするように言われ、言葉通りに雨の日も水やりをするのはまた違います。「素直な者ほど治りが早い」と森田療法では言いますが今後も他の方の体験や言葉を、ぜひ実際に生かしていってください。自分なりにどう生かすかという工夫は、神経質の生かしどころだと思います。
(市川光)

Sさんは、パニック発作に悩まれているようですが、高速道路を運転したり、飛行機に乗ったりと、とても頑張っているようです。高速道路に乗る前も、飛行機に乗る前も、かなり緊張していたようですが、避けずに踏み込んだことが新たな経験や自信に繋がっていますね。こうした体験の積み重ねこそが重要です。

Sさんの書き込みや、他の方々からのコメントの中には、パニック発作のみならず、神経症に悩む人たちに共通して参考になる大事なポイントがあると思いました。Sさんは、発作が起きそうになった時、「諦めるなら今しかない」と行動(高速に乗ること)を諦めようとしましたが、「やけくそ」で乗ったところ発作がおさまったという貴重な経験を得ました。つまり、本来の目的(友人宅に行くこと)を諦めるのではなく、不安を無くすことを諦め、高速に乗るという目前の行動に踏み込んだのです。勿論、緊張もドキドキも経験したので、理想通りの形ではなかったかもしれませんが、結果、目的を果たすといった手ごたえを得ることは出来たのです。

 神経症に悩む方々は、どうしても不安や緊張を感じる自分は「弱い」「ダメ」な人間と捉えがちです。しかし不安や緊張は、安心・安全・完全な自分を求めるからこそ生じるものであり、切り離せないものです。 では、どうやってそうした感情と付き合えばよいのでしょう?「どうせ自分はその程度の人間なんだ・・・」と投げやりになることが良いのでしょうか?果たしてそれは、皆さんが求めている「回復」の形でしょうか。

Sさんは、緊張しつつも思い切って飛行機に乗り、結果娘さんと楽しい時間を過ごせたとのことでした。また、以前は「この症状さえなければ・・」という思いが強かったのが、「最近やっとこんな自分でも仕方ないと思えるようになってきた」とも書かれていました。「仕方ない」とは、どうしようもない、なす術がない・・・ということであり、状況を変えようとあがくことを、ある意味諦めることでもあります。「諦める」というと、理想を捨てる、断念するといったマイナスの意味に感じてしまうかもしれませんね。しかし、「諦める」の語源は、「明らめ」であり、「明瞭にこまかい所までよく見る」ということなのです。つまり、事実を明らかに見極めるということですね。私たち人間は完全ではありません。出来ることもあれば出来ないこともあります。限界もあります。そうした事実・現実をしっかり見極め、そのまま受け止めることが「諦める」の本来の意味なのです。

Sさんへのコメントの中に、「仕方ない、に行きあたってからが森田の本領発揮」といった言葉がありました。とても大事な姿勢ですね。生きている限り、不安を無くすことは不可能です。しかしその現実を見極めた時、その中で出来ることもある、と気づくのではないでしょうか。そしてそれを実践していくことが、人生を少しでもより良いものにしていくことに繋がると思うのです。Sさんの日々の歩みもそうであり、それを続けていくことが、“とらわれ”からの脱出であり、まさに回復への道のりだと思います。
(久保田幹子)

Pさん、こんにちは。新しい職場に転職され、心機一転、すっきりリセットしてやっていくはずが、不眠や漠然とした不安感に襲われるようになっているのですね。それでも、ここまで何とか1年勤めてこられたとのこと。よく粘ってらっしゃると思います。

さて、 Pさんは「なかなかスッキリといかないこと」に悩んでらっしゃいますが、なぜそこまでスッキリしたいのでしょうか?スッキリしないことでどうなることが不安でしょうか?

また仕事で失敗してダメなやつと思われるに違いない」、「もう続けられませんと言うべきか」と書かれていますが、Pさんの方で結論を出すのは、いささか早いような気がしてしまいます。「白黒つけたい」思考があると書かれている通り、Pさんのそうした傾向から、生活の色々な側面でスッキリすることを求める姿勢へ繋がっているのだと思います。

例えば、「家族にも言えない」、「困った時に誰にも相談できない」、「服薬に抵抗がある」と書かれていることについても、人に話すことの不安や、薬に頼ることの心配な気持ちを出来るだけ無くして、スッキリしようとする姿勢に通ずるのではないでしょうか。

こうしたスッキリを求める姿勢自体は悪いものではありません。しかし、中にはスッキリしたくてもなかなかそうはいかないこともありますよね。特に、睡眠などの身体の調子や気持ちは、自分の意志でスッキリさせようと思っても難しいということが、Pさん自身、痛感されているところだと思います。

ではどうしたら良いでしょうか。ここで、「不思議と仕事をしている時には回復してしまう」と書かれているPさんの経験が手がかりとなります。Pさんが仕事中に色々なことが気にならないのは、目の前の仕事に対して「現在になりきって」取り組んでらっしゃるからだと思います。

「なりきる」ということについて、森田は次のように説明しています。「われわれは人生の欲望に対して、常に念がけ、あこがれながら、その目的を見失わず、その現在の力のおよぶ限りのベストを尽くしている。これが『現在になりきる』ということの自然の状態である。しかもそのときには、自分で努力も苦痛も超越して、これを感じない、意識しないのであります。」というものです。

つまり、不眠や漠然とした不安があるまま、スッキリしないままに、ただ現在になりきって目の前の仕事に一つ一つ取り組んでいくことで、Pさんの出来ることが広がっていくのだと思います。「ダメな自分でも良い」ということがしっくりこなければ、「スッキリしないままでも案外ダメじゃない」くらいの感覚でやってみるのも一つかもしれません。
(金子咲)

Kさんはご主人にメニエール病の発作が起きることを極度に心配したり、初めての場所に出かけるときには数日前から強い不安を感じてパニックになってしまうとのことです。

メニエール病を発症したご主人よりも、Kさんが不安に圧倒されてしまわれているのですね。そして、初めての場所に対する不安は、昨年お父様が亡くなられ、お母様が一人暮らしが心配になったころに生じたと書かれていました。自分の大切な人にいろいろなことが次々と起こったのですね。

今の不安発作はご主人のメニエール病、お父様の死など今起きている危機に対する反応として起きているようです。他の方が指摘されていたように、Kさんの優しくも自分を後回しにして自己主張をしない感情の癖や、相手に心配をかけないように頑張ってしまう性格がこの不安発作の発症に関係してもいるようです。

今の状況と性格要因が相まって、常にパニックと不安の発作準備状態が起きていると考えられます。(これまでに対応したことがない状況が起きる→もともと相手に合わせて自己主張しない傾向→自分で何とかしようする→でもどうしたらよいかわからない・思うようにできない→心身ともに圧倒されて身体に不安症状(涙・吐き気・頭痛・震えなど)が出る)といったからくりがありそうです。

自分で何とかしようとすればするほど症状が強まり、症状が強まることで不安も募り、自信を消失する悪循環に陥ってしまっているのではないでしょうか。

自分を大事にする、自分が一人でできるホッとできることを見つけるなど、フォーラムの方々のアドバイスを一つ一つ実行されて行っているのはとてもすごいです。新しいことを試してみるのは勇気がいることですから!

森田療法では不安の背後には欲求があると考えます。発作準備状態を改善していくためには、今の心理的な負担と今の生活のあり方をとらえなおして抱え込みすぎない態度を改善し、不安に向かっているエネルギーを生活や自分のやりたいことに生かしていくことが大切です。

心理的な負担や葛藤を見つめるためには次のような質問が浮かびます。ご主人が発作を起こすと(ご主人が苦しい以外に)自分にとっては何が不安なのでしょう?お母様の一人暮らしについて浮かんでくるのはどんな気持ちですか?お母様の何が心配なのでしょう。お母様は実際にはなんとおっしゃっていますか。娘だから何かしないといけないと自動的に考えているところはないでしょうか。お母様や周りの気持ちや意図を気にせずに判断できるとしたら、自分自身はどうしたいですか?

もしできそうであれば、その中身を紙に書いて整理してみてください。そして自分一人で何とかしようとせずに机上に出してみましょう。紙に書くのが難しければ、ご主人や岡本財団の電話相談、専門家を相手に話しながら整理していくのもよいですね。一人でなんでも対処できないことが恥ずかしいことではありません。必要な時に必要なサービスを探して使っていけることが今の時代を生きていく成人にとってとても必要な力です。自分の率直な気持ちを見つめて、一つ一つ整理して行動していく中で、自分への自信や安心も必ず増えてきます。
(矢野勝治)

Mさんはパニック発作とその予期不安から広場恐怖があり、留守番が怖くてできずに困っていらっしゃいます。また、今までなったことのない過呼吸になるかもしれないという不安にもとらわれて、日常生活が不安だらけでとても悔しい思いをされています。

Mさん、発作の恐怖はありながら、パートが出来るようになっているとのこと、素晴らしいです。少しでもMさんの日常生活が広げられればと思い、コメントさせていただきます。

パニック発作は非常に強い恐怖を伴うものですが、その発作で死ぬことはないこと、ほうっておけば、時間とともに緩やかに回復していくという性質を持っています。まずはこの性質をしっかりと覚えておきましょう。

そもそも、留守番も含めて、1人の時というのは、発作の有無に関わらず、「何かがあったらどうしよう」と心細いものです。その状況で、「発作を起こしたらどうなってしまうのだろう」とより不安が強くなるのも当然でしょう。

また、過呼吸発作に関してはMさんにとって体験したことのない未知のものであり、未知であるがゆえにより恐怖が強いのだろうと思います。ちなみに過呼吸発作もパニック発作と同様に死ぬことはありません。

Mさんは発作の性質を頭では分かっていても、不安な場面にいると「どうしても逃げたい、安心したい」と場を離れてしまうようですね。ここは、頭ではなく、体で覚えていく必要があるのでしょう。つまり、その場になんとか踏みとどまってみるという体験です。

その場にいるときに、安心して過ごす必要はありません。心配だな、嫌だなという気持ちのまま、なんとか踏みとどまるのです。不快な感情を抱えたまま踏みとどまることは大変なことですが、そのときに、不安をなくすこと以外で、「今出来ること」に手を付けてみましょう。具体的には「たまった洗濯物をたたむ」「部屋を掃除する」「好きな本を読む」「夕飯の準備をする」などなどなんでも構いません。少しでも注意が不安から他の方向に向かえば、少し踏みとどまりやすくなると思います。

なんとか克服したいと思っていらっしゃるMさんなら、なんとか踏みとどまれるはずです。頑張って下さいね。応援しています。
(谷井一夫)