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現代人の悩みは多様化しています。しかしその悩みによく耳を傾けてみると、そこには森田療法でいう「とらわれ」と自己中心的で完全さを求める「生き方」があるようです。そしてそれらが「神経症的とらわれ」を作り、生きることの行き詰まりを引き起こします。それが現代人の多様な悩みの元にはあるようです。そしてその解決を最も明確に示しているのが森田療法だと考えています。21世紀には森田療法の果たす役割がさらに広がる予感がします。

ある人は「うとうとしているときでも目覚めているときでも、自分がビルの手すりを飛び越えて身投げする妄想に頻繁にとらわれます。こんな妄想にとらわれることが気持ち悪く、もしかすると、将来、何らかの苦悩に耐えられなくなったとき、本当に自殺してしまうのではないかと不安になります」という不安に悩んでいます。
それに対して別の人は「私はかつて、こんなに苦しい毎日が続くならいっそのこと死にたいと願っていたことがあります。…・しかし、いつも思い直してその場を立ち去ります。当時は「死にたい、死にたい」と殆ど口癖のようになっていました」。そして彼は名案(迷案?)を思いつきました。朝晩の通勤途上でお経を唱え始めたのです。そして次にはお経の繰り言が止まらなくなったそうです。しかし人が深刻に悩む時に、時に滑稽にうつることがあります。そして滑稽にうつることが自分にも分かってくるとその悩みの力は減じてきたということです。つまり恐怖に駆られた行動に対して、なんてばかばかしいことをしているのだろう、と思えるようになれば自分に対して客観的、批判的に見られる心が育ってきたということではないでしょうか。
つまりこのような人は完全主義者でないでしょうか。自分自身をしっかりとコントロ−ルしなくてはという欲求が強いと、それを失う恐怖も強いのです。それを失ったときに、自分は人前で取り乱すのではないか、思わぬことをしてしまうのではないか、自殺してしまうのではないか、などと恐れるものです。まず自分の足元をしっかり固めて今の生活をやり抜くこと、そして自然な心の流れに任せれば、そのような強迫観念も消えていくと思います。

多くの親御さんが子供さんの問題で相談にまいります。しかしその問題の多くは単純ではありません。多くの場合、子供の問題であると共に、相談に来た親御さんの生き方の問題でもあります。つまりそこで親御さんがお子さんにとらわれているのです。そして子供の問題は、時に親御さんが自分の生き方の不自然さ、「こうあるべきだ」と自分と子供を縛っていたことに気づいたときに、転換点を迎えます。
子育て、そして思春期の子供の問題は、現代の日本の最も重大で、深刻な問題のひとつです。しかし私は、この問題は子供だけの問題でなく、われわれ大人の問題として理解しなくてはならない点も多々あると考えています。子供の行動は大人のそれをいわば極端にして映し出したものとも考えられるからです。
このような考えると森田療法もこの問題に寄与できることは多そうです。

全てに興味をなくし、完全自殺マニュアルに惹かれてしまうようなうつ病は、体重の減少、不眠が続いたら要注意です。それと共に「死んでしまいたい」と考え、そこから抜けられないようでしたら、早急に専門家を訪れ、診断と適切な治療を必要とします。あまり辛いときに、無理して自分だけで乗り切ろうとしないことが肝心です。それと共に「こころを閉じないこと」。家族、友人そして専門家のサポ−トを必要とします。その上で、適宜森田療法の持つ知恵を生かしていくと回復に役に立つと私は考えています。森田療法は以前にも書きましたが、うつ病の回復期、慢性期などには非常に役に立つものです。しかし急性期(気分の落ち込みがひどいとき)は、薬物療法と休息が大切です。

「うつ」のひどいときは、休養、薬物療法が最も大切です。しかしうつが回復期に入りますと、ただやすんでいるだけでは不十分です。もっと積極的な治療法が必要です。その指針として森田療法は非常に有効です。「うつ」に陥る方はしばしば完全主義者です。そしてこの回復期に完全主義が頭をもたげます。
まず焦らないこと、60%主義でぼちぼち感覚で、自然を感じる感性を大切に、頭でっかちになることに要注意、自分の出来ることと出来ないことをはっきりと区分けしていくことです。そして自分に見合ったやり方で生活に取り組んでいけばよいと思います。

「小さい時から自分に自信がなくて、死にたいような気分になることが多い」と悩んでいる方が、精神科に行きたくとも、薬づけにされるのも怖いし、と悩まれています。精神科は怖いところではありません。そして「生きることの行き詰まり」を相談できるところも増えてきました。死にたいという悩みは、強く、完全に生きたいという気持ちの行き詰まりです。あるいは裏返しです。私たちが悩み出すと、悩みが悩みを生み、次第に身動きが取れなくなってきます。そのような時に必要なことは「変化を引き起こす」ことです。

不安にとらわれると、それしか考えられません。不安の存在が心の全てを占め、これさえなければ自分の人生は楽になるのに、バラ色になるのにと考えます。それがまた自分の不安を強め、生きることもつらくなります。不安から逃げようと思えば思うほど、不安は強まります。その背後に余りに完全に、自分の思うままにいきようとする完全主義が存在します。
不安と向き合い、不安を受け止め、不安に踏み込むことが今までと違う不安の態度を作ります。それがまた前向きの自分の人生を生きようとする気持ちになります。森田療法はこのような不安への対処の知恵をふんだんに含んだ治療法であり、生き方の指針です。

人格障害に森田療法は効くのか。難しい問題です。私は次のように考えます。森田療法は我に執着し、自己中心的な欲望ゆえに悩む人たちの解決法です。世界と自分を思うように支配したいがゆえに私たちは苦しむのです。その欲望の限界に気づき、その修正を試みたいと考え、それを自らの課題と出来る人は森田療法の適応となり、効果を上げることが出来ます。簡単に言えば、自分の問題を人のせいにしないで、自分の生き方と関連して理解し、その解決を求める人たちに森田療法は最も有効です。このような人は、一般には人を巻きこまず、人を非難するよりも内省的となり、それゆえ生きていくのが苦しくなる人たちです。ここでは診断はあまり問題となりません。その人の問題意識が重要なのです。

病的だと思える強い不安を感じながら、日々消耗していくという悩みを訴えてられている方がおられます。このような時こそこのフォ−ラムが役に立つと思います。いろいろな人の悩みやそのレスポンスを読むことから、自分の悩みが次第にはっきりしてくると思います。そこで自分の悩みをもっと具体的にここで発言してみたらよいと思います。私たちは自分の悩みを解決しようとするときに、自分の悩みがどのようなものなのか、を知る必要があります。自分の悩みを的確に表現できることはすでに悩みの解決の入り口に入っていると私は考えています。

重要なことは、自然な現象を自分の適応に好ましくないと思い、それを取り除こうとすることそのものが神経症を作ります。つまり自分で自分の症状を作り出さないことが大切となります。
医者に遠慮なく自分の疑問をぶっつけて聞いてみることがうまい医者の使い方です。
これは治療を受けている方にはぜひともおすすめいたします。

どうやらうつ病らしいということでその対処に苦慮していることはよくあります。また微妙な問題です。
不眠もあり、体調が悪い場合は、まず内科、できれば心療内科の受診を勧めます。

うつ、無気力、気分の落ち込み、気分の変動の悩みがこのコ−ナ−には寄せられています。うつを考える場合、まず私は完全主義者の挫折ということを考えます。すべてを完全にと思うと行き詰まります。そして完全に出来ない自分がイヤになり、落ち込んでしまいます。そこでは「かくあるべし」が自分を縛っています。 また何でも完全にやろうとすると、白か黒か、オ−ル・オア・ナッシングのパタ−ンに陥りがちです。どうせうまくできないなら、何もしない方がよいという考え方になっていないかどうか、チェックが必要です。何ごとも60点で、出来る範囲からぼちぼちという発想の転換が出来ると、だいぶ楽になるものです。そうなると「うつ」も変化する、流れていく経験につながっていきます。