その他の部屋

こんにちはGqさん。その後、生活の方は如何でしょうか?文面を拝見させていただいて、改めてGqさんにとって森田療法が生活の道標となっているように感じました。ところでGqさんは生活の中で様々な不安だけでなく片付けることにも強い困難を感じていらっしゃるようですね。もしかしたら物事を押し進め、次に進むことが苦手なのかもしれません。
物事を押し進める際、多かれ少なかれ人は不安やためらいを感じるといいます。しかし、これらの気持ちの解決を待って全ての生活の手を止めてしまったのでは、発展するはずの生活も彩りを失いかねません。
これに対して森田療法では臨機応変な生活や身軽に動く生活の重要性を説いています。しかしこの生活を押し進めていく上でさらに大切なことは「何かを得ようと思うならば何かを捨てなくてはいけない」という事実であろうと思います。この事実を避けないこと、延いてはこの「捨てる」という気持ちの際に起こる「ためらい」を避けないことが重要なのだと思います。この気持ちと向き合うことで臨機応変かつ身軽な生活が、始めて可能になるのだと思います。
最初は、上手く物事は進まないかもしれません。特に、捨てきれぬ思いが勝り先に進めないこともあるかと思います。けれど、ここは是非、彩のある生活を説いた森田療法を糸口に粘り強く生活の手を緩めず頑張っていただきたいと願っています。そしてGqさんのお部屋が少しでも快適なものになることを心より願っています。
(樋之口 潤一郎)

Tyさんは、定年退職後のさまざまな問題を契機に二十年近く服薬を続けてこられたとのこと。
「楽天的性格だと思っていた」とおっしゃるだけに、しっかり歩んで凝られた人生の中で落とし穴にはまってしまったように苦しい思いでおられることとお察しします。
「この病気は一生治らないのか」と書かれていますが、これは「この苦しみは一生続くのだろうか」と考えておられるということかもしれませんね。
文面からだけではどのような症状に悩まれているのか、どのような薬を服用されているのかはわからないのですが、例えば抗うつ薬を服用されている場合はある程度の期間服用を継続することが必要になります。主治医の先生と相談されながら取り組まれてください。
仕事と家庭内のことで板ばさみになり神経をすり減らす思いをされたとのこと。
これは、仕事のことも奥様との関係もこれを切り捨てたり、悩みを見ないことにしなかったからこそ、生まれた苦しみだったのではないでしょうか。
果たして今の苦しみはこれまでの自分の足で歩んでこられた歴史を否定するものでしょうか。
北西憲二先生は著書の中で森田先生が行き着いたところは「死はこれを恐れざるを得ない、欲望はこれを諦めることはできない」ということだと書かれています。
また森田先生は生きる上での煩悶の中にこそ「生の欲望」を見出しています。
Tyさんがご年長の方だとしたら、こうしてパソコンに向かい、書き込みをするというのもなかなかないことであり、そこからも「なんとか乗り越えよう」と考えておられるエネルギーを感じます。
長い時間人生を歩むにつれ、さまざまな「失うこと」に出会われるでしょうし、生活する上での苦い思いも抱えてこられたのですね。
それを「楽天的に」扱うのではなく、むやみに悲観するのでもなく、悩みを悩みとして、事実を事実として受け止め、そして今日一日を大切にしていただけたら、と思います。
そしてそのプロセスを私たち後から歩むものに伝えていただけたら心強く思います。
(塩路 理恵子)

Md様、自暴自棄になるという不安、とてもつらそうですね。
人間関係や仕事のことで悩み、自暴自棄になるのではないかと不安に思うことは人間誰しも起こることだと思います。しかしこのような悩みや不安を排除しようとしたりするとますます悩みは増え、不安は大きくなってしまいます。そして人間関係や仕事を避けているとますますひきこもった生活になってしまいます。
人間誰しもある悩みや不安を排除しようとせずに、悩みをしっかりとみつめ、不安と向き合って見ましょう。すると今まで悩みや不安から逃げていた自分とは違った一面が見えてくる可能性があります。最初は悩みや不安と向き合うことが怖いかもしれませんが是非実行してみてください。
(舘野 歩)

新しいことや苦手なことを前にすると、どうしても「自信がない」「こんなに不安な状態ではとても出来ない」と尻込みをしてしまいがちです。そんな時、Gqさんの頑張りに励まされる方も非常に多いことでしょう。「やらねばならない」と思うと、どうしても力が入ってしまうものですが、そんな時こそ「小さな一歩から」踏み出すことが大切です。求職活動で行き詰っていたGqさんの「一つ一つ目の前のことを丁寧にという基本の言葉が頭に浮かび・・・何ヶ月ぶりにゴミを捨てました」という言葉は重要ですね。踏み出すきっかけは、案外生活のそこここにあるものです。
そうしてとりあえず行動することによって、考えているだけでは見えなかったことが色々と見えてくるはずです。Gqさんの「予期不安に突然襲われて身がすくみ、やっていることを放り出して逃げ出したくなることがあります。それにとらわれているとパニックになるのかもしれません」という言葉にもあるように、行動することによってそれまで避けていた感情を実感するので、一時は辛いかもしれませんが、しっかり体験することによって自分の状態を客観的に見ることも出来るようになるのです。避けていればとりあえずは安泰かもしれません。しかし、先が見えないことはもっと苦しいはずです。体験を通して思うようにいかない自分を知ることは勿論苦しいことですが、たとえ完全ではなくても何かを「やった」という手ごたえは、先が見えない中を一歩一歩進んでいく支えになるでしょう。
Gqさんはこうも書いています。「今現在、大きな激しい流れの中に身を置いている実感があります。怖いけど身を任せていればいいんですよね」。一言で、不安とあるがままに付き合うといっても確かになかなか思うようにはいかないものです。しかし、こんな経験はないでしょうか?海水浴の最中に大波にのまれて焦った経験が。そんな時、当然苦しいし怖いから必死に這い上がろうとあがいてしまいがちですが、ジタバタあがけばもっと波にのまれてしまいます。逆に波にさからわずにちょっと力を抜いて身を任せてみると、自然な浮力で海面に浮き上がっていきます。これは抑うつの気分についても応用できる姿勢です。皆さんもおそらく日常生活の他のことでは同じような経験をしているはずです。とりあえず、一旦身を任せること、そしてそこで見えてきたものを頼りに次の行動を決めることが、方向性を見誤らないコツではないでしょうか。丁度海面に顔が出てから進む方向を見定めるように。
(久保田 幹子)

Gqさんは、保育士の資格試験の問題を紹介してくれました。保育士さんにも母親の「うつ」について基本的な知識が求められているのですね。この問題の正解は、やはり4(会社を休職して子どもは保育所に通えるよう配慮する)です。Gqさんも言うように、この事例は1ヶ月前からの変調、つまり急性の時期で症状の程度は中等度以上のようです。うつ病の療養には規則正しい服薬と休息が二本柱です。またうつ病の人には叱咤激励してはいけないこともよく言われています。しかし、「私は森田療法で対処しよう!と決めて、_を覚悟で2(家事を時間通りにてきぱきとこなすよう指導する)に_した」とおっしゃるGqさんの心意気もまたよし、です。
たしかにうつ病のどん底の時期(極期)には、何かをすることによって調子がよくなるということはまずありません。この時期にはゆっくりと休息を取ること、それが可能になるよう環境を整えることが最優先です。しかし、うつ病の治療に際して医師は「休息」ばかりを強調しすぎたきらいがあります。いつまでも休息だけでは十分でないということが、ようやく気づかれてきました。回復期にはいったら、手のつけやすいことからぼつぼつ活動を再開することが必要です。回復の前期には、まだ休息に軸足をおいて活動は調子の比較的よいときに試みてみるというやり方がいいでしょう。しかし回復の後期(大体本来の60〜70%くらいまでよくなった頃)になったら、生活を規則正しく整え、少しテキパキと活動してみることが勧められます。ですからGqさんが選んだ2は、この時期であれば○でいいのです。さらに本来の状態まで回復して安定した後ならば、責任ある仕事を担うことが、最終的に自尊感情の回復につながるということも十分あり得ます。また医師は治療中に、時として患者さんを励ますこともないわけではありません(タイミングが難しいのですが)。
いずれにしてもうつ病の方が適切な療養生活を送るには、回復の時期を考慮して徐々に休息から活動に移行していくことがポイントになるのです。Maさんが全部○と言ったのも、こうしたことを考えての上でしょう(子どもの保育所を休ませるという選択肢はあまり推奨できませんが、そうせざるを得ない状況もことによるとあるかも知れませんね)。
(中村 敬)

Gqさんは感情に流されずに行動するよう頑張っておられるようです。一方で、以前お父さんに受けた暴力的な支配や躾、現在も残る拒絶感、さらには社会の権威的な体制や行為に対する過敏さや反発する気持ちがあると書かれています。
そんななか、お父さんがアルコール依存症のように飲酒しているとのことです。大変心配されている一方で、お父さんのことは見守るしかなく、お父さんの不安や心配や飲酒のことを自分が言うことは、お父さんの自己評価を下げることになるのではないかと気にされているようです。しかし、大切なのはお父さんの身体を心配する気持ちです。家族として感じる当然の心配だと思います。お父さんの体が心配であるという気持ちを伝えてよいのではないでしょうか。
また、高齢者や治療意欲のない方の入院森田療法について質問されています。入院森田療法において年齢の制限はありませんが、高齢の方ですと体力に応じて作業内容を考えなければならないと思います。治療意欲のない方は、不安と付き合うという治療の合意が難しいため、入院生活が苦痛になり治療的意味合いが乏しくなる印象です。
まずは、一度専門の先生に診てもらってはいかがでしょうか。
(矢野 勝治)

Wtさん、こんにちは。人前での行動に伴う不安、それに伴う動悸や手の震え、僕にも経験があります。というより、全くそのような不安を感じた経験がない、という人はほとんどいないのではないでしょうか。人から注目される場に置かれた場合、責任感の強い、真面目な人ほど、きちんと振舞いたい、という欲求が強いあまりに不安も高まってきます。Wtさんの不安感も自然なものなのではないかと想像いたします。では、そのような不安を克服するにはどのようにしたらいいのか?
Ymさんのおっしゃったように、実際の経験をつむこと、これ以外にはないと存じます。怖くても水に入らなければいつまでたっても泳げるようにならないように、不安をもたらす状況に身を置かなければ改善は望めません。不安をもたらす状況で、不安感を受け止めつつ必要な事に注意を向けていく、この経験が大切です。日常生活では様々な不安はつきものです。不安をもたらす状況から逃げていれば不安はかえって強まり、いつまでもつきまとわれることになります。もともとは普通の程度であった不安が病的なものになり、ついには、神経症の症状を生むことにもなりかねません。逆に不安をもたらす状況に踏みとどまり、やるべきことに注意をむけていく経験を積むことで、不安は和らいできます。
Gqさんのおっしゃったように、積極的な姿勢も大切です。十分な準備をしたり、人前で話す目的をしっかりと考えておき、意識することも重要です。その姿勢によって不安を強めていたエネルギーが正常な、実りのある方向へ生かされるのです。逆に消極的な姿勢、ろくに準備もせず、自分のしなければならない話の内容より、不安や症状のことを気にしてばかりいれば症状が出て当たり前です。森田療法では、症状や不安感よりも行動する姿勢を重視します。不安も持ちつつ取り組む行動の積み重ねによって不安や症状も和らいでくるのです。しかし、まずは行動です。Wtさん、不安でいいのです。今のお気持ちで取り組んでみてください。
(鹿島 直之)

こんにちはYcさん。お忙しそうですが、以前に比べてお仕事などは順調なように見受けられます。ただ文面を拝見して気がつくのは、やはりYcさんが頑張りすぎてしまい疲れを貯めやすい生活スタイルに陥りやすいという点でした。きっと頑張りすぎる背景にはYcさんの「もっと良い仕事をしたい」という思いがあったからに他ならないと思います。でも「よりよくありたい」という思いがいつしか「こうあらねばならない」という思いに変化していたとしたら、それは疲労を溜め込む生活スタイルへの黄色信号だと思ってよいでしょう。
そこで大切なのがタイトルにもある気分転換なのだと思います。しかし気分転換と一言で言っても具体的にどういうものがあるのかといわれると中々難しいですね。でも何も気分転換を大袈裟に考える必要は無いと思います。むしろ仕事のことを忘れる時間を少しでも持つようにするといった程度からスタートするのが良いと思います。その際、思い切ってパソコンから離れた時間を作ってみてはどうでしょうか?
確かにパソコンは趣味としても有用な手段です。しかし、仕事でずっと使用していたとなればテクノストレスを家に持ち込んでしまっているのと同じことになってしまいます。森田療法では、「気分の転換は行動から」とよく言っています。パソコンの手をとめて「ふらっと散歩するもよし」「ストレッチをするもよし」、一つの動きをやめて他の行動を何気なく行なってみる・・・これだけでも!気分転換になるものです。私の友人などは瞑想で気分転換を図っているようです。
ちなみに私の場合の気分転換は夜のちょっとしたドライブです。これだけでも随分と気分転換になっているように思います。是非「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということを念頭に置きながらYcさんの中にあたらしい気分転換の方法が宿ることを願っています。
(樋之口 潤一郎)

Spさん。
ご主人との関係に悩んでおられるとのこと。ご自身にとって大切なことだからこその悩みが「変な」悩みだなんていうことがあるものでしょうか?
具体的な状況や問題はわからないので、ここでは一般的にいえる人との関わりについてお話ししたいと思います。
親子、夫婦、友達・・人と人との関係の中でも「悪循環のとらわれ」は起こります。
(家族の中で起こる悪循環については北西憲二先生の著書などに詳しく書かれています)
相手の人との関係を大切に思い、なんとかよい関係を保ちたいと思えばこそ「相手はどんな気持ちなのだろう」と不安に感じるものですね。
もちろん状況によってはしっかり「何が不安なのか」「本当は何を求めているのか」を話し合うことも必要です。
しかし、不安を消すために相手の人の心を性急に確かめ、白黒をつけようとしてしまうと、相手の一挙一動に敏感になり、ますます不安が不安を呼んでしまうこともままあるものです。
そんなときはいったん不安をそのまま抱えて、その日のご主人の生活(どんな仕事をしたのか、どのくらい疲れているのか、だとしたらこんなものが食べたいんじゃないか・・など)や、自分の生活(不安にとらわれているときは生活に目が向かなくなってしまいがちです。最近忘れていた好きなことはありませんか?)に目を向け、取り組んでみるのも一つのやりかたです。
案外そのほうが話し合うタイミングも分かりやすくなるかもしれません。
また文面からは過去のつらい経験をお持ちになっているのかもしれませんが、「つらい経験をなんとか生き延びてきた今の自分がどう生きるか」、Maさんのような人生の先輩の言葉も励みに、取り組んでみてください。
(塩路 理恵子)

Spさん。うつ病が長引かれていてさぞかしおつらいことと思います。うつ病の急性期(わかりやすく言うと症状が始まったばかりで抑うつ気分があったり行動や思考の抑制がかかっている時期)治療は休息と薬物療法の併用が一般的です。しかし急性期を脱してうつが長引いてしまっている時には休息だけでは逆に治療が停滞してしまうこともあります。
うつ病の中で森田療法による効果が期待できるのは、1)うつ病の急性期(抑うつ気分などの症状がつらい時期)を脱しているがうつ病が長引いてしまっていて、2)神経質性格がうつ病の自然回復を妨げている場合です。うつ病は本来自然回復する病ですが、神経質性格の方は、「うつを完全に消し去りたい」「常に万全な体調でなければならない」といった「かくあるべし」を自らに課してしまい、うつ病の自然回復を遅らせてしまうことが多いのです。特に「うつ病」の回復期であれば、現状のうつを受け入れつつ、現状でできることを少しずつ行っていくことが大事になってきます。詳しくは中村敬著「うつはがんばらないで治す」(講談社マガジンハウス)を参照してみてください。もしご自身に思い当たることがあれば慈恵医大第三病院精神神経科を受診してみてください。
(舘野 歩先生)

Tmさんは「やりたいことがあってもなかなかやる気が出てこない・・・週に一度ずつ起きられない。しかしこの1年半、毎日朝起きて会社に行っているということ自体が18年ぶりの出来事で、うつと大うつの狭間で働いては引きこもり、人と会っては引きこもっていた私にとっては奇跡に近い出来事ではあるのですが・・」と書いています。
十代から気分変調症に悩まれてきたようですが、ご自分でも「雑談してはいけない、遊んでいてはいけない、休んではいけない・・さもなければ首を切られる、と知らぬ間に感じて恐怖してしまっている・・」と振り返っているように、とても“頑張る”タイプなのでしょう(だったのでしょう)。
抑うつを繰り返す方には、元来完全主義的で何事もきちんとこなそうとする責任感の強い人が多いようです。それだけに、人並み以上に頑張って仕事に取り組み、やがて疲れてダウンをしてしまうのです。しかしそうした事実も「ふがいない」と自分の責任と考えてしまうため、抑うつが軽減すると、遅れを取り戻そうとまた必死に頑張って自分を疲れさせてしまうのです。まるで毎日全力疾走で人生を送ろうとしているかのように・・。ではダウンしないためにはどうしたらよいのでしょうか?気分の波と上手に付き合うためには長続きする方法、すなわち「力加減」を模索することが重要になります。しかし「力加減」とひとことで言ってもそれはわかりづらいものです。ダウンしてみて始めて、力みすぎていた自分に気付くこともあるでしょう。これは自分なりの試行錯誤から初めてわかるものです。Tmさんも「6割、ほどほど、いい加減・・」などと言い聞かせながらその加減を探っているようですね。
こうしたTmさんの試みは同じ悩みを持つ人の参考になるはずです。万全であろうとするがゆえに、苦手なことには取り組まないという姿勢も生活の幅を狭めることになり、さらに万全への構えを強めることになります。また100%であらねばならないと考えれば、ダウンしたことに落胆して起き上がれなくなってしまいます。実際は転んでみないと何が悪かったのかはわからないものです。転んでしまったら、またゆっくり起き上がり、出来る範囲で歩いていけばよいのです。人生は短距離走ではなく、マラソンです。「転ばないようにするのではなく、転んだ時にどう起きるか」を生活の中で具体的に探ることが、実は転ばない術を学ぶことになるのです。
(久保田幹子 先生)

Ym さんは書きました。「躁うつ病ですので寛解時には、何事も無かったかのように振舞えますので今までは病相を自分でも蓋をして見ないようにしてきましたが、ようやくこの年齢となって、自分を深く見つめ、病を乗り越えて将来を建設的に考える必要性を痛感するに至り・・・」

長年うつ病を反復してこられたとのこと、ご苦労が多かったことでしょうね。
Ym さんのように、多くの人はいったんうつ病から回復すると、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」かのように、従来どおり「何事も無かったかのように」過ごそうとします(回復すればそうすることもできます)。辛い時期はなるべく忘れてしまいたいのが人情でもありますね。
しかしうつ病の予防ということを考えるとき、どこかで「熱さ」を忘れずにいたほうがいいのです。反復性のうつ病は、神経症以上に身体の病気に近いものです。したがって抗うつ薬や気分安定薬(炭酸リチウムなど)などの薬が主な治療の手立てであり、実際気分安定薬がよく効いて長年うつ病相が予防されている方も数多くいます。先ずは根気よく服薬を続けることが大切です。それと共に、yamatack さんは「今までは病相を自分でも蓋をして見ないようにしてきましたが、ようやく・・・自分を深く見つめ」る心境になられた由、心の転換点にたどり着いたのかもしれませんね。せっかくの機会ですから、寛解時の生活にどこか「うつ」を呼び込むようなところがなかったか、かかりつけの医師と共に吟味してみてはいかがでしょう。
たとえば病気によって休んだ分を取り戻そうとして、回復するたびに仕事にのめりこみ、やがて過労してうつ病に陥るというパターンの人がいます。また異動や昇進のたびにうつ病に陥る人もいますが、そのような人は新しい業務も直ちに、これまでと同様の高いレベルでこなさなければいけないといった「かくあるべし」の強い方に多いようです。「急がば回れ」というように、時間をかけてゆっくり慣れていくように心がけることが大切ですね。いずれにしても、ふだんの生活を改めて見つめなおし、抽象的な心構えではなく具体的な対策を講じていくことが再発予防の力になるはずです。またうつ病の始まりのころの症状(朝早く目覚める、集中力の減退など)を記憶しておき、そのようなサインが2,3日続くようなら早めに受診するといった対処もお勧めします。
(中村 敬)