その他の部屋

Kさん、はじめして。Kさんは、7年前から向精神薬を服薬されているようですね。服薬しながら、なんとかやってこられたのですから、かなりご苦労されながら頑張られてきたのだと思います。

しかし、診断が「うつではないが、うつっぽい」ということだと、Kさんも少々心もとない気持ちになってしまったのではないでしょうか? 我々の外来にも「つらい」「憂うつ」などいわゆる「抑うつ感」を主訴で来院される患者さんが多くなっています。

しかし、実際話を良く伺ってみると、うつ病の「うつ」というより、困難な場面に直面した際、個人が感じる苦悩であることが多いように思います。神経症セミナーの講和に共感したとすれば、おそらくKさんも、何らかの生活上の困難に悩まれていたのではないかと推察します。Kさんは実際どのようなことに困っていたのでしょうか? このことを「うつ」になったと一括りにせず、きちんと見つめていくことがとても大切であると思います。辛くなって逃げ場所だけを求めてしまうと、自分が何に悩んでいるのかがぼやけてくるものです。

だから、こんな時こそ、同じ悩みを持っているもの同士が、この体験フォーラムを通じて具体的な言葉で自分達の体験を語っていくことが大切なのだと思います。現代の社会では、一人になることはいとも簡単ですが、人との繋がりを作ることは難しいように思います。しかし、人は他人に語ることで、自分の悩みをはじめて整理できるように思います。Kさんが御自身の悩みを向き合い、より良い生活への一歩になることを心より願っています。
(樋之口潤一郎)

Gさんは、うつ病と診断されて通院中、「人前で話すと赤ら顔になる症状と、自分の行動や発言に自信が持てず、人に失礼な言動をしたのではないか、この行動は良かったのかなど、後で心配し後悔することがしょっちゅうあります」と書き込んでおられます。

まず気になるのは、うつの状態がどうなのかな、ということです。
それというのも、うつの症状としても、対人過敏が現れることもあるからです。 自分に自信が持てない、突然涙が出てきて悲しい気持ちになることもあるとのこと、うつの状態と治療については、担当の先生とよく相談されてください。

その上で、うつになりやすい人の特徴のひとつとして、人との関係をとても大切に考えるということがあります。
自分の言動に自信がもてないとのこと、「人に一切不快な思いをさせてはいけない」「すべての人と良い関係でなければならない」と構えてしまっているのかもしれませんね。

そこで、自分が主観的にどのように感じるか、ではなく、「何を伝えるか」「相手の話を聞く」など、その場で必要なことのやり取りに立ち戻ってみましょう。「『今の自分』のままで相手に必要なことを伝える」するとよいでしょう。 「頭がすっきりして、スムーズに物事を進められるべきだ」というあるべき姿を設定してしまって、それと今の状態のギャップを感じてしまっているのかもしれません。

こういう状態では「○○すべきなのにできなかった」という過去への後悔や、「これから○○をしなければならない。どうしよう」という先への不安にとらわれてしまいがちです。今、足元の「今日できること」「苦しい中でも今日やったこと」の「事実」を取り戻しておきましょう。日記や行動の記録を付けるのもよいと思います。

うつ病の森田療法については、北西憲二先生や中村敬先生の著書をお読みいただけるとよいと思います。また、白揚社から「森田療法でよむうつ」という本も出ていますから、参考にされてください。中村先生の提唱しているうつ病の「養生」という考え方?まず病にかかっているという事実を受け入れること、回復期にはうつの状態に応じて活動と休息のバランスをはかる、「○○たい」を実行に移すなどーも、Gさんの参考になると思います。
(塩路理恵子)

Jさんは、25年もの間、強迫性障害とうつ状態に苦しみ、完全欲へのとらわれと仕事中の緩急の使い方が下手なために自己退職を繰り返していた、とのことでした。国家資格を取りながらも11年間の空白期間があったようですし、さぞじれったい思いだったことでしょう。

森田療法は20歳ごろに知り、本も読んで理論は理解されたようですが、行動になかなか起こせなかったと書かれています。確かに、「(頭では)わかっているが、やめられない」というのが強迫性障害の苦しいところですね。
しかし、長期にわたって症状や仕事上の挫折などに苦しみながらも、社会復帰を諦めずにいたこと、そして数えきれない失敗を繰り返すうちに今年ようやく手ごたえをつかまれたとのこと、本当に感慨深く読ませていただきました。既に、新しい道に向かって踏み出そうとされているようですが、Jさんの書き込みを読んで、是非強迫性障害に悩む他の方々にもこの経験を生かしてほしいと思い、取り上げさせていただきました。

先に述べたように、強迫性障害は目前の不安(その症状によって不安の内容は異なりますが)を何とか解決しなければ先に進めない・・・、あるいは、万全にしなければ大変なことになる・・・という思いから、“完全”な状態に執着し、不安を排除するための行為に翻弄されることになります。しかし、強迫行為によって不安がなくなるのは一時であり、またすぐに同じような不安に追い立てられます。まさにエネルギーと時間の無駄遣いといっても過言ではありません。しかし、こうした事実をどこかでわかりながらも、どうしてもこれまでのやり方(“完全”を追い求める行為)を手放すことが出来ず、不安や不快感も、また自由な生活も両方手に入れられるのではないか・・・と非現実的な願いを抱いてしまうのです。言い換えれば、自分がこだわっている“完全”をどうしても諦めることが出来ない・・・ということでしょう。

Jさんも、そうした事実を体験的に理解するのに25年要したということかもしれません。
大切なのは、どうしたら強迫性障害の堂々巡りから脱することが出来るのか?ということです。これは、症状に悩む皆さんが切に求めている答えでしょう。Jさんの言葉にそのヒントがあるように思います。それは「自らの挫折体験のたゆみない分析の結果、やっと悟れたという心境です」という一文です。

強迫性障害の方は、先に述べたように不快な感情や不安を徹底的に排除しようとします。つまり、感じないようにしようとするわけです。しかし必死の努力を重ねても、結局のところは同じ不快感や不安にさいなまれる、あるいは強迫行為をしてしまったことへの自己嫌悪、費やした時間やエネルギーへの徒労感が待っているのです。まさに、目前の不快感を排除しようとしたことが、新たな不快感を生んでいるというわけです。つまり、その事実を知ること、具体的には、このやり方(不安をなくそうとする方法)をしても、結局嫌な思いをする・・・というその不快感を味わうことによって、ようやくこれまでのやり方を諦めることが出来るのではないでしょうか。実際、Jさんが挫折体験の分析から学んだことがそういう感覚だったかどうかはわからないことですが、結局のところ、安心を求めているところに出口はないように思います。現実にはあり得ない幻を追い求めているようなものですから・・。
感じたくないと思っている感情や、見たくないと思っている事実をしっかり見ることから、自分がないがしろにしてきたことや本当に大事にしたいものが見えてくるのではないでしょうか?
長年苦しんだからこそわかる感覚を、これから目指す道(ナース)に是非生かして欲しい・・・・とJさんに応援メッセージを送ります。
(久保田幹子)

先月のことになりますが、Sさんは上司への日報を転載され、それを巡ってMさんとのやりとりがなされました。思うところがあるので、それについてコメントを記すことにします。

Sさんの報告は簡潔にして要を得ており、たしかに上司の方がその日の様子を知るには必要にして十分なものでしょう。しかもSさんは、それまで10年間日記を、多いときには1日に2ページも書き続けてこられたとのこと、その持続力には頭が下がります。日記を記すということには、それだけで治療的な意味があります。自分の状態を客観視し、行動を整える手助けになるものです。それだけに、上司への日報のために日記の習慣が途絶えたのだとしたら、もったいない気がするのです。上司への報告はもう少し間隔をおいて、日記を再開されてもいいように思うのです。

ところで、森田療法で実施する日記指導には、いくつかのポイントがあります。なるべく愚痴や症状のことは書かず、1日の行動を中心に記載すること。またできれば、行動を通して観察したこと、気付いたことや印象も記してみること。1日1ページ位を目安にすること。1日の行動が概ね終わった夜に、大体30分以内で記すこと、などです。なぜそのような枠組みを設けるかというと、症状や愚痴ばかりを書いていると、症状への注意が固定したり、せいぜい不満のはけ口にしかならなくなるからです。また、長時間にわたり延々と記載すれば、かなりのエネルギーを日記に費やすことになり、他の行動がおろそかになりかねないからです。

せっかく日記をつける習慣をお持ちだったのですから、どうせなら上記のようなやり方で、再開されてみてはいかがでしょう。しばらくの間、そのようなやり方を実行されてから、その結果をまた書き込んでいただけると、多くの人の参考になるはずです。
(中村 敬)

この体験フォーラムでうつ病に対する森田療法についてはよく取り上げられていると思います。森田療法とは少し離れるかもしれませんが、躁病について述べます。

躁病とは、気分爽快で、多弁(たくさんしゃべる)、多動(過活動になる)、注意や集中力が散漫になり、不眠で食欲亢進している状態が少なくとも一週間持続した状態を指します。このような躁病とうつ病を繰り返すことを躁うつ病と言います。専門的には双極性障害と呼ばれ躁病とうつ病を繰り返すことを双極性障害Ι型と呼ばれています。このような躁病は周りから見ても明らかだと思います。ところが軽い躁病ですとご自身や周りもあまり気づかないことがあります。軽い躁病とは先程挙げた躁病の症状より軽度で、特に睡眠、食欲が保たれていて、日常生活や社会生活が損なわれていない場合があります。このような軽い躁病とうつ病を繰り返すことを双極性障害ΙΙ型と呼ばれて我々精神科医の中でも注目されています。というのも軽い躁病はご自身も気分爽快で調子が良いととらえることが多く、精神科医も軽い躁病を気をつけて問診しないと気づかずにいる場合もあります。

この双極性障害の場合は抗うつ薬ではなく、リーマスという気分安定薬が効果的です。躁病の際には精神療法は困難ですが、軽い躁病の時は少し行動にブレーキをかけることをこころがけると良いでしょう。軽い躁病の時にアドヴァイスが入りにくいときは躁病が落ち着いた時に振り返ることをお勧めします。
(舘野 歩)

Sさんはなかなか社会復帰が出来ない、森田療法で回復のヒントがあれば・・と考えておられるようです。先月、「うつ病について」川上先生もコメントを載せていますが、Sさんは社会復帰が出来ない、と悩んでおられるようなので、社会復帰に関して、いくつかコメントさせていただきます。

一般的に、うつの方の場合、社会生活に戻っていく際には、軟着陸をすすめています。軟着陸には様々な方法があると思いますが、smatさんの場合のように勤務時間を少しずつ伸ばしていくようなやり方が多いと思います。会社での不安感については具体的な記載はない為、どのようなものかは分かりませんが、うつの方が職場に戻った際に感じる不安の中で、最も多いのは「周囲の目」です。どうしても「周りの人は自分を厳しく見ているのではないか、もう自分は会社にいないものと思われているのではないか、自分は会社でやっていけないのではないだろうか」などと想像しがちです。その為に、「休んだ分取り戻さなくては」とか「認められる為にはもっと頑張らなくては」などと考え、必要以上に頑張って生活リズムを壊したり、「そんなにたくさんの事は出来ない」とはじめから手をつける事をやめてしまったりしがちです。実際は、ある程度、周囲の反応が事実だったとしても、マイペースでやっていけばそのうち周囲も以前と同じ普通の雰囲気に戻ってくるものです。

森田療法では「今を生きる」事を強調しています。森田先生も達磨大使の言葉を引用して、「前を謀らず後ろを慮らず」とおっしゃっています。人は誰しも、ついつい過去を振り返ったり、先の事を考えたりするものです。だから、頭に浮かんだ先々の不安はそのままにして、目の前の事に手をつける事が大切です。最初から通常業務の全てをやりきる、と考えると途方に暮れてしまい、手が出せない事が多いと思います。しかし、何か一つでも、出来そうな事はないでしょうか。もしあるのであれば、目の前にある事をまずはひとつ手をつけてみてはいかがでしょうか。その一つが次の呼び水になって、もう一つ…となってくればしめたものです。
(谷井一夫)

皆さん、こんにちは。今回はSさん、 SMさんから「うつ病」についてのコメントがありましたので、うつ病について回答したいと思います。

まず、うつ病の頻度についてですが、平成14年度厚生労働科学研究費による疫学調査の結果、我が国におけるうつ病の頻度は、欧米よりは低いものの、これまでの生涯に15~30人に1人、過去12ヶ月間には約50人に1人がうつ病に罹患していると推定されています。

うつ病の治療は薬物療法、休息、環境調整、および認知療法、森田療法などの精神療法などがあります。うつ病は一般に「心の風邪」といったキャッチフレーズにより多くの方々への理解が以前より深まっていると思われます。しかし、実際のうつ病は「標準的な治療を行っても反応しない、または部分的な軽快にとどまる病態」が存在し、その割合はうつ病全体の20~30%に相当し“難治性うつ病”と呼ばれています。こうした報告からもうつ病治療の実際は山あり、谷ありであり、簡単なものではないことがご理解いただけると思います。根気強い治療への姿勢が必要と言えます。

森田療法においても、北西憲二先生、中村敬先生によって“うつ病に対する森田療法”が確立されています。中村敬先生は、うつ病の森田療法について次のように述べています。“うつ病に対する「養生法」として森田療法を位置づける。「あるがまま」という森田療法の立脚点が基本的な指針として役に立つ。「あるがままの養生法」とは先ず病に罹っているという現実を受け入れることである。そして回復期には徐々に休息から活動に移行し、「生の欲望」を無理なく発揮して心身の健康な働きを助長していくことである”と述べていらっしゃいます。
ここでの「養生」とは中井久夫先生の述べる養生(自然回復力のある疾患において、できるだけ有害な要素を除き、疾病過程および回復過程自体から悪循環を発生しないようにしつつ、その疾患をベストフォームにおいて経過させること)を前提にしています。詳細は北西先生、中村先生のご著書を参考にしていただければと思います。

森田療法は創始から90年の時を経ていますが、パニック障害、社会不安障害、強迫性障害などの不安障害のみならず、うつ病に対しても大変に有効な治療方法として確立しています。また、森田療法には病気の治療といった側面のみならず、人生を歩んでいく上での多くの示唆に富む教訓が含まれています。森田療法をあらゆる側面から知り尽くすことで、我々の人生が実り多きものになることは間違いないと言えましょう。
(川上正憲)

Aさんがうつ病で以前は休職していたようですが、その後少しずつ症状も軽快しスーパーの仕事にも復職したものの、時に自分で飛ばしすぎたと感じたりして未だペースがつかめない様子です。

これまでの経過を伺うと、ペン習字やパソコン、運動などといろいろ行なわれていますが、Aさんは自分の状態が万全でないと物事に取り組めない不安がありませんか、「完全にしなくては」と考えてしまう傾向がありませんか。うつの方のなかに「全てを完璧に」と自分で自分のハードルを上げてしまう方を良く見受けます。何でも完全にやろうとすると、100か0かのオール・オア・ナッシングのパターンに陥りがちです。完全に出来ない自分が嫌になり、落ち込んで「完全にできないぐらいならしないほうがよい」と何もやらなくなったりします。「何ごとも60点でいいんだ」「出来る範囲からぼちぼちと」という発想の転換が出来るとだいぶ楽になるものです。そうなると気分が流れてうつも変化する経験につながっていきます。日常のちょっとしたことをひとつひとつ積み上げていくことが大事になってきますが、完全主義者はしばしばそれが苦手なようです。

具合が悪いと親に無理を言ってしまう一方で、年老いて障害もある親御さんにこれ以上頼れないと感じている様子です。時に頼らざるを得ない状況にもなっているため、今すぐには難しいかもしれませんが、思い切って親との距離をとることはAさんにとって大きな一歩になるかもしれません。離れることで、結局は自分のことは自分でしか処理は出来ないと考えられるようになっていき、親との関係も建設的になっていくと思いますよ。

森田療法は、自分の生き方と関連して理解し、その解決を求める人達に新しい見方を示してくれます。頑張ってください。
(矢野勝治)

Yさんは、二人の小学生のお子さんを持ち、お子さんの反抗期に悩んでおられるとのこと。 短い書き込みで詳細はわかりませんので、これまでお会いした神経質のお母さんたちのことも併せてお書きしたいと思います。

神経質のお母さんは、真面目で「こうあるべき」からなかなか外れない方が多いようです。
私がお会いしたあるお母さんは、「私は聞き分けもよくて先生や親に、宿題を出し遅れたこともない。だから男の子が乱暴な言葉を使ったり、だらしなかったり、宿題をやらなかったり・・我が子ながら信じられない」とため息をついていました。

そして「こうするべきなのにどうしてしないの!」と息子さんの行動にいらいらしてしまい、反抗期に入った息子さんの反発を受け・・という「親子の悪循環」ともいうような状況になっていました。それでも自分を頼ってくる息子さんの姿に、自分が母親で息子は可愛そうだ、と嘆いておられましたが(一体何人のお母さんからこの言葉を聞いたことでしょう・・。)、息子さんとぶつかりながら少しずつ、「思うようにならない」息子さんと付き合い、「まあ、いいかという言葉がよく出てくるようになった」と語るようになっていきました。「もう、ママもしょうがないなあ、って息子によく言われるんです」と話すそのお母さんはとても表情も柔らかくなっていたのが印象的でした。

Yさんは、相談できる場をお持ちでしょうか。
「背景には自分自身(母親)の心の問題も大きく関係があるようで」と感じられているとしたら、相談する場を持ち、ご自身の不安の問題とお子さんの問題を分けて整理する必要もあるかもしれません。そうした場ではお子さんとの関係のことにも耳を傾けてくれるはずです。

また、「私の問題だから」と抱えてしまわず、ご主人や先生にもお話しをしていってください。このフォーラムや、身近にも子育ての先輩がたくさんおられるはずです。
一方で「自分の不安を解決してからでないと、子供の問題を解決できない」と考えてしまっているところもないでしょうか。お子さんが自分でも持て余してしまうような気持ちを抱えているのは、今、です。「悩みや不安を抱えた不完全な今の自分」でお子さんに必要なことを精一杯伝えるようにしてみてください。お子さんにとっても一番必要なことは「きちんと向き合われている」と感じられること。
最後に、神経質のお母さんだからこそ、できることがあります。
例えば、甘えていいのかな、と思ったときに叱られて子供心に感じる悲しさやいたたまれない気持ち・・そんな繊細な種類の傷付きをキャッチしてあげられるのは、「神経質のお母さん」ならではだと思うのです。
子育てにも「神経質を生かして」、お子さんと泣いたり笑ったり、大切な時間を過ごしていってください。
(塩路理恵子)

最近、その他のグループにあまり書き込みがないようです。Mさんが言うように、便りがないのは元気な証拠かもしれませんね。とはいえ、先日のNHKスペシャルの反響の大きさ、昨今の不況なども考え合わせると、うつ病、特に慢性化したうつ病からどのように復帰するか・・・ということが、皆さんの悩みになっているように思われます。

うつ病にせよ、神経症にせよ、おそらく皆さんが悩んでいるのは不安や抑うつ気分がずっと持続する・・・ということでしょう。どうしたらこれが無くなるのか、どうしたら調子の良い日が続くのか・・・と日々葛藤されていることと思います。

三寒四温とは言いますが、今年の3月は特に寒暖の差が激しかったように思います。桜も開花宣言から満開まで二週間もかかってしまったほどです。きっと、さくら祭りなどを企画していた町内会などは、天気予報を見てはヤキモキしていたことでしょう。しかし、一斉に桜が咲き始めれば、皆さんそれなりに都合をつけて花見をし、待たされた分、春の訪れを感じる喜びも大きくなっていると思います。また、暖冬が続いていた最近では期待できなかったことですが、入学式も満開の桜で彩られました。
私たちは、こうした季節の変化や、期待どおりにならない自然を受け止めながら、そのつど柔軟に対処しているにもかかわらず、どうして不安や抑うつなどの気分にはあらがってしまうのでしょうか?どこかで、自分の中の気持ちなのだから、自分でコントロールできるはず・・・と思っているのかもしれません。

同時に、そこで期待しているのは、不安や落ち込みが全くない状態が持続することなのです。確かに、不安や落ち込みは不快なものです。しかし、それが一切なく、常に同じ気持ちであったとしたらどうなるでしょう?嫌な思いはしなくて済むかもしれませんが、同時に喜びや楽しさを感じることもなくなってしまうのではないでしょうか?全てのものが平凡で色褪せてしまうように・・。

先ほども書いたように、長い冬が過ぎて、春が訪れるこの季節だからこそ、感じる喜びがあるはずです。桜も、ほんの短い間しか咲かないからこそ、その美しさが際立つのではないでしょうか。
変化は、さまざまな感情を生みだします。不安や落ち込みに苦しんでいる時には、これが一切ない状態を切望してしまうかもしれません。しかし、日々生じる変化を受け止めることは出来ているのです。不安だけが特別と思ってしまうと、逆に発想の転換も、行動の転換も難しくなります。気分を一定にすることにエネルギーを注ぐのではなく、その変化の中で、自分なりに何を感じ、どのように過ごすか・・・が大切なのではないでしょうか。
(久保田幹子)

この番部を私は見逃してしまったのですが、メールを拝見すると、医師の技量、診断の困難さ、薬の多剤併用の問題、英国での心理療法など盛り沢山の内容だったようですね。放映直後に外来を受診した幾人かの患者さんが、番組を見たと言っていました。ほとんどの方は、心理療法に関心を向ける前に、今飲んでいる薬が多すぎないか、いつまで飲み続けなければいけないのかと心配されていました。きっと番組を見た多くの通院中の方々が不安を抱いたのではないでしょうか。

でもこうして薬についての疑問をぶつけてこられる方はいいのです。医師を怒らせてはいけないという考えから、こっそり薬を減らして飲んでいる方も少なくないのではないかと思います。すると医師は、期待していたような効果が現れないことから、もっと薬の量を増やしてみようと考えるでしょう。その結果、患者さんは益々不安になり、処方された薬の大半は飲まずに棄ててしまう、すると医師は・・・といった悪循環が起こりかねないのです。

それから、うつ病が治りにくくなっている背景には、うつ病という診断の幅が広がり、多様化したということがあります。典型的なうつ病には、休息と抗うつ薬が治療の柱になりますが、もっと心理的要因の大きなうつ状態も「うつ病」という診断に一括りにされるようになってきました。けれども心理的要因が主であるようなうつ状態は、単に薬と休息だけではなかなか改善に向かいません。森田療法や認知行動療法のような心理的治療も重視されなくてはならないのです。こうしたことに、ようやく精神科医も目を向けるようになってきました。Mさんもご存知のように、森田療法に携わる医師は、近年この療法をうつ病の治療に生かそうと努めてきました。その根拠と実際の治療については、北西先生と私が編集した「森田療法で読むうつ」(白揚社)に詳しく論じられています。このフォーラムをご覧になった方、特にうつ病の経過が長引いている方にご一読いただけば幸いです。
(中村 敬)

Gさん、今まで人の顔色に敏感で自分を抑えてこられて大変でしたね。書き込みの文章から判断してコメントいたしますので見当違いであればごめんなさい。しかし書き込みの文章から私が想像できることを書きますね。

結婚後同居の気苦労もあり気分変調症と診断され薬を飲むも副作用がでてこれもまた大変でしたね。でも苦しい中「なんとか元気になりたいです」と結んでおられるところに前向きなGさんを見て取れます。

結婚後同居する前まではある意味Gさんが自分を抑えてきてそれが周りから見るととても心象も良く自分を抑えることでやってこられたことの方が多かったのではないでしょうか。ところが結婚後同居するとなると今までのように自分を抑えるといったことだけでは自分に逃げ場がなくなってしまうのではないのでしょうか?ご自身が自分を抑えていらっしゃると思っていても相手方はそれに気づかないでいるかもしれません。

ですから同居の気苦労の部分を具体的に整理した上でよく配偶者と話しあうことが重要ではないでしょうか?もちろん自分を抑えて周りとうまくあわせてこられたことはGさんの長所です。ですからこれを急に全面的に変えることを推奨しているわけではありません。今まで10我慢していたうちの一つか二つでも思い切って言ってみてはいかがでしょう。少しだけでも話してみると案外夫婦関係が円滑になっていくきっかけになり気持ちも変化していくかもしれませんよ。
(舘野歩)