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「復職にむけてのモチベーションについて」 '11.12
これまでにもうつ病からの回復、職場復帰の心構えに関するコメントはありましたが、復職にむけて壁にぶつかる方は多いと思いますので、再度取り上げたいと思います。
Jさんは、抑うつ状態(人間関係、ノルマのきつさが原因)で一か月間会社を休み、心身の回復と共に復職をしたそうですが、上司から言うことなすこと否定され、会社に行く気力がなくなってしまったそうです。「会社にはなんとしてでも行くこと、とありますが、具体的に行けない場合はどうすればいいのでしょうか」と書き込まれています。
この書き込みだけでは、「具体的に会社に行かれない場合」の詳細がわかりませんが、少なくとも上司の対応がきっかけになっているとは自覚されているようです。つまり、上司の対応によって、会社に行く気力が萎えてしまった。それゆえ、行かれないということでしょうか。勿論、その後生じた不調から行かれないということもあると思いますが。
復職をする際にはどうしても「今度こそは失敗しないように」「休んだ分の遅れを取り戻さなければ」などと、ある種の力みや気負いを抱いてしまうものです。それは、自然な感情でもあるわけですが、そうした姿勢が逆に休職を招いたとも考えられるため、ここでどのような姿勢を心がけるかがポイントになります。「焦りは禁物」と言いますが、やはり周囲や上司の評価は気になってしまうからです。
Jさんが「言うことなすこと否定され・・」と落胆した背景には、やはり「認めてもらいたい」という強い願望があったからでしょう。それだけに、上司の評価に過敏になってしまった部分もあるかもしれませんね。
会社に行かれなくなってしまった場合どうするか・・・というのは、個々人によっても対応は変わってくる部分はありますが、まず行かれない事実をきちんと会社に伝え、周囲の理解を得られるように努めることは必要でしょう。無責任な休み方をして、自分の評価をおとしめてしまったら元も子もありませんから。その上で、自宅での毎日の生活が崩れないように心がけることでしょう。会社に行くか、行かないかだけが健康のバロメーターではありません。様々な気分に振り回されずに行動出来る姿勢を、自宅で培うつもりで過ごしてみることです。
上司や同僚などの評価を得ることだけが復職の目的ではないはずです。特に、休んでいたという事実があるわけですから、すぐに期待通りの反応が返って来ないのも致し方ないことです。あくまでも「自分」のための復職であることを忘れずに、自分なりの生活の仕方や行動についての小目標を立ててみましょう。そして、周囲の反応や、それに伴う自分の気分に一喜一憂したり、振り回されないように、行動した事実に目を向けていきましょう。最初に抑うつ状態に陥った原因も人間関係やノルマということでしたから、今の行き詰まりはご自身の価値基準を他者の評価から自分の実感や評価に転換するために必要なものなのかもしれません。
(久保田幹子)
「トランペット奏者の憂うつ」 '11.11
Eさんは、大学のジャズ部に所属するトランペット奏者なのですね。若いころ、ジャズといえば日野皓正のトランペットがすぐにも思い浮かびましたし、今でもその楽器に特別の憧れを抱いているのが私たちの年代です。Eさんは、指の故障で別の楽器を断念し、一からトランペットの練習を始めて人前で演奏できるほどに上達されたということですから、大変な努力を続けてこられたのだろうと思います。しかも、数か月にわたる虚無感と憂うつからようやく脱したということですから、これから仲間と演奏活動に打ち込もうという意気込みも盛んであったことでしょう。そんな矢先、顎の痛みに気を取られるようになり、悪化することが不安で練習も学業もままならない状態に陥ってしまったとのこと、さぞやつらい日々を送っていらっしゃることと拝察します。
このような経緯を拝見すると、Eさんがトランペットに特別の思いをかけていることが想像できます。「今度こそ故障せずに、演奏を続けたい」「好きなジャズの演奏に打ち込む、生き生きとした自分でありたい」という思いは、挫折を乗り越えてきたEさんにとっては当然の願いであるはずです。けれども私たちは、「こうありたい」という希求が強ければ強いほど、なんらかの理由でそれが「だめになったらどうしよう」という不安もまた強く抱くものです。Eさんが顎の調子を気にするようになったのには、このような人間心理の両面性ー"欲求と恐れがコインの裏と表のようにあること"ーが窺われます。さらに私たちは、身体の一部分の感覚に注意を向けると、その感覚はより強く感じられ、さらに注意がそこにとらわれるという一種の悪循環に陥ることがしばしばあります。Eさんは、顎を気にしているうちに痛みを覚えたということですが、そのような注意と痛みの悪循環が介在してはいないでしょうか? 文面を読む限り、Eさんの場合は痛みそのものよりも、「さらに悪化したらどうしよう」という不安が練習や学業の妨げになっているようです。痛み→故障→演奏不能に陥るという予期不安に駆られ、常に顎の状態に注意を傾ける結果、上記の悪循環がいっそう助長されている可能性があります。またもしかすると、そのような恐れによって吹奏のさいに不自然な力が入り、さらに痛みを増しているのかも知れません。
Eさん。もしそうだとすれば、痛みがなくなるまで練習を休むのではなく、「悪化の不安」は「演奏を続けたい」という願いの裏返しとみなしてそのままにおき、顎を気にかけながらも無理のない範囲で練習を続けた方が良いと思います。また一度、トランペットを演奏する仲間や先輩に、不自然な力が入っていないかどうか、いまの吹き方を見てもらうといいのではないでしょうか。ことによると、トランペットの練習中にそのような痛みを覚える時期があるものかも知れません。いずれにしても一人で悩んでいるだけでなく、思い切って相談してみることが解決の糸口になるのではないでしょうか。
ここまで書いた今、Eさんが生き生きと演奏活動を続けていらっしゃる様子が私の目に浮かんできます。
(中村敬)
「1人で頑張り過ぎない」 '11.10
Mさんは3年前頃から強烈な不安感・抑うつ感・イライラ・ソワソワ感などが出てきて、一時は改善されSSRIと抗不安薬を内服も中止しましたが、再び症状が出現して悩んでいらっしゃいます。
確かにMさんはかなり神経質な一面もあるようなので、自分の症状にとらわれているというように考えて、『自分の症状(不安・焦燥感)ばかり考えて、不安感が高まり、さらに「もっと悪くなったら仕事や家庭を失うのでは」といった予期不安も高まり…』といった悪循環はあると思います。しかし、うつ病の症状としてMさんのように強い焦燥感(イライラ・ソワソワ・ザワザワ感)を伴う場合には、まず一番大切なのは休養と薬物療法です。
また、Mさんはこのようなかなり辛い状況の中でも、自分でなんとかしようという思いが強く、今まで非常に頑張ってこられたのだと思います。それ故に薬物療法を使用することを「薬に逃げる」という表現をされているのだと思いますし、「病気のことは職場では絶対に話せない」とおっしゃっているのだと思います。
まずは現状を主治医によく話してみてください。その上で、Mさんがどういう状態で、今どういう治療が必要なのかを相談する事が最も大切だと思います。また、一概には言えませんが、職場の上司などに自分の病状を知ってもらう事も大切な場合があります。
Mさんは決して弱い人間ではありません。むしろ1人でなんとかしようと頑張りすぎてしまっているのです。とにかくまずは今の状態を1人で抱え込んでしまわずに、主治医、家族、職場の上司、など色々な人に頼る必要があると思います。
(谷井一夫)
「物事は多面性を有しています。あらゆる角度から冷静に見てきましょう」 '11.09
Mさん。こんにちは。会社のことで悩んでいらっしゃるようですね。
多くの人が働いている職場では様々な問題があることと思います。大事なことはこの「多くの人」の中の1人に御自分も入っているという点です。御自身も書かれていらっしゃるように、会社の上司、同僚などの問題もあると思いますが、同時に貴方自身の問題もそこにあるのかもしれないということでしょう。貴方自身に全く問題がないということもあるかもしれません。これまでの職場ではいかがだったでしょうか。仮に以前の職場でも現在と同様のことが起きているとしたら、なおのこと上司、同僚だけの問題ではなく、貴方自身も自らのことを振り返る必要性があるかもしれません。物事は基本的に「絶対的」ということはなく、様々な側面を有しています。「相対的」に考えることが望ましいように思います。特に対人関係は「自分がいて相手がいる」、この相互の関係で成り立っているのです。ですから「相手の問題もあるだろうし、自分の問題もあるのではないか」、と冷静に振り返ることが大事(平等)だと思われます。人間、自分の何かを変化させていくことはそんなに簡単ではありません。少しでも変化できれば、それは素晴らしいことです。
ですから、貴方の場合、今回の苦悩を契機に「御自分を振り返る」という変化がなされれば、それだけでも大きな変化です。人間、欲張りですから多くのものを一度に手に入れたいと考えがちです。しかし、そんな簡単に多くのことを一度に手に入れることは難しいですし、出来ないものです。少しばかりの変化に感謝して、また次の努力を重ねていく必要があります。常に感謝しつつ、次に進んでいくことも大事になりますね。悩みつつ、努力しつつ一生懸命に取り組んでいきましょう。参考になれば幸いです。
(川上正憲)
「妊娠・出産・育児期の神経症症状」 '11.08
Kさん、御出産おめでとうございます。お子さんもお元気そうですね。
一方で、koukumiさんは妊娠中より恐怖症に悩まされ感覚がおかしく、離人症ではないかと思い、また音に対する強迫観念にも困られています。不安感が強く、そのため大好きな子育ても家事も楽しめなくなっているとのことです。妊娠・出産・育児の時期は、いずれも女性にとっては大きな変化が生じます。妊娠することでホルモンバランスが変わり、つわりや体重増加など心の持ちようではコントロール出来ないことが生じてきます。
Kさんは幻聴が聞こえてしまったら、赤ちゃんどころではなく、母親としてやっていけなくなるのではないかと考えられているのではありませんか。Kさんは出産後2週間なのに実家が好きではないことから自宅に帰ってきたとのこと、まだこの時期だと自分のことだけでも大変だと思います。母親としてきちんとやっていきたい思い、また3人の子を抱えて病気にもなっていられない状況が、不安への意識を強めているのではないでしょうか。
「出産しても治っていないのでこれから頑張っていかないといけないなと思う」一方で「不安でいっぱいになり頭がボーッとする」とのことです。Mさんも言われていますがそんな時には出来ることからやっていくことだと思います。そして赤ちゃんからいろいろ教わるとよいのではないでしょうか。お腹が空けば泣く、ウンチをすれば泣く、眠たければ泣く。赤ちゃんは観念にとらわれず素直に行動しています。そのため症状にとらわれている方にとって赤ちゃんは、自分の中にある純な心を気付かせてくれる良い対象となります。また、時には実家も含めて周りからサポートを得てやっていくこともひとつの方法です。
不安とともに楽しめないと聞くと、うつ病も考えられますが、現在は動いている分感覚が少しずつ戻りつつあるとのことですので、今後も症状が長引くようであればうつの鑑別も含めて受診して相談されるのがよいかもしれません。
これから日々成長していく我が子を傍で見れる一番素敵な時です。家事に育児に暫くは大変な時期だと思いますが、頑張って下さい。
(矢野勝治)
「堂々としなくてよい」 '11.07
こんにちは、Sさん。現在、視線恐怖などで悩まれているようですね。このような状況で、パートとして勤務を維持されているのですから、相当苦しい中を頑張っていると思います。特にSさんの文面から察するに、症状をお持ちであってもお仕事の流れは滞らせていないように見受けられました。
この姿勢はSさんの生活をより良くする上でとても大切な点であると思います。
というのも、症状がある時ほど、仕事の手順を少しでも覚え、そのスキルを磨いていくことが、結果的にSさんに自信を与える最大の近道でもあるからです。ただ、Sさんの文面をみて少し気がかりなところもありました。それは、最後に綴られた「普通」という言葉です。自分が診療に携わっている患者さんの中にも、「普通になりたい」と述べる方がいらっしゃいます。しかし、最近そのやり取りの中から、「普通になりたい」という言葉が、患者さんにとって決して「普通」を意味していないということに私自身気づくようになりました。「普通」と語るその内容は、意外にも「失敗をせず、人から後ろ指をさされない振る舞い」を指し示していることが多いように思います。
もし、そうだとすると、かなり高いハードルを常に自分に課していることになります。さながら自分に「スーパーマン」を知らず知らずのうちに求めてしまっていたのかもしれません。ですからSさんは、堂々とする必要は全くないのです。むしろ「堂々としよう」とすることから、物事を始めたら「緊張する自分は全で駄目だ」ということになります。自分を否定することからは何も生まれません。むしろ目が合わせられないとしたら、その状況の中で何ができるのかを考えていくことが大切だと思います。その部分に、Sさんの持ち味である粘り強さを発揮していって欲しいと思います。今は苦しい現状でしょうが、少しでもSさんの生活が好転されることを心より願っています。
(樋之口潤一郎)
「思考のぐるぐる回り」 '11.06
Sさんは「私の症状で一番悩んでいるのが、思考が止まらない・・です。グルグルとめどなく自然と浮かんでくるのです、どうしても止められないのです、」と書き込んでいます。
森田先生は、「およそ強迫観念の心理は、我心の自然発動に対して、これに反抗しようとする精神葛藤である」と語っておられます。たとえば、ちょっとびっくりしてしまうような例えですが、盗心でも、起こるままに解放すればよい、というのです。これはもちろん盗みたい気分に任せて盗む、ということではありません(あるがままと気分本位の違いですね)。少し長いですが引用してみましょう。
「例えば、いま私が金が欲しくて、盗心が起こる。その心を否定しようとせずに、そのまま自由に解放しておく時には、いろいろな考えが起こる。百円くらいのはした金は盗んでもしかたがない。しかし一万円となるとちょっとおっくうで薄気味が悪い。・・結局は盗んで罪を恐れる苦労をするよりも、我慢したほうが得だとか、さまざまに考えている間に『心は万境に従って転ず』で、いつの間にか、その盗心も流れ去って安楽な気持ちになっているという風である」。つまり、思考をねじ伏せることなくそのままにしておけば、自然にあちこちに変化し流れていくということです。
例えば「認知をコントロールする」という治療を行っているとき、自分の認知や思考のパターンを知り、他のより適応的な視点を持つという意味ではとても有効な治療法です。しかし神経質の人が生真面目に取り組み過ぎて「これは自動思考なのか」「思考って何だろう」「今浮かんだのは強迫観念か否か・・」など、思考のコントロールにとらわれてしまい、「思考のぐるぐる回り」に陥ってしまうことがままあります。
森田療法に生真面目に取り組んでいる方の中にも、ときに森田療法の言葉や考え方にとらわれてしまうことあります。
そのようなときにも、「思考はそのままに浮かばせておく」森田療法のアプローチによって、とらわれから離れることができるでしょう。
(塩路理恵子)
「今、あるものを認めていく」 '11.05
MYさんは、看護師として働きながら、4人の男の子の育児に忙しい毎日だったそうですが、突然のめまいと嘔吐で3日間入院した後、仕事に行くのが怖くなりうつ病の診断を受けたとのことです。友達の励ましもあって休まず仕事を頑張っているものの、時々とてつもない不安感におそわれる、など症状は続いているそうです。そんなMYさんが、被災地の子供や老人のために本を送ったという書き込みをされていました。「苦しんでいる方がほっとしたり癒されたりしたらいいなー」という言葉に、MYさんの優しさが伝わってきます。
症状に悩んでいると、どうしても自分の境遇を悲観的に捉えてしまいがちですが、今回の震災を考えてみると、日常生活がまた違った意味で価値あるものに思えてくるのではないでしょうか。実際、被災者の方が「あたり前に生活出来ていることが、いかに幸せなことだったのかと思います」と話されていましたが、非常に重みのある言葉でした。失って改めてわかる有難みとは言いますが、私たちはいつの間にか今あるものの価値、あるいは今手元にある幸せを忘れ、理想を追い求めがちなのかもしれませんね。MYさんは「(絵本を)選びながら被災した方のことを考えていたら自分の悩みってなんだかつまらないことのように思えました」と記していましたが、悩みを比較することは出来ないものの、こうした視点の転換は自分を振り返るうえで重要ではないでしょうか。どうしても、神経質性格の方は、理想を基準にして自分を評価しがちです。
しかし、それではいつも引き算の捉え方になってしまいます。
理想を掲げることは自分を向上させるうえで大切ですが、今の自分、今あるものをしっかり認め、そこを出発点に積み上げる姿勢を忘れてしまうと、自分を否定するのみになってしまいます。ご自身の症状も辛い中、こうして被災者のことを考え、また被災者のために今、自分が出来ることを実行したMYさん。今度は、その思いやりをご自身にも向けてあげたらどうでしょうか。症状を抱えながらも、患者さんの看護をしている自分、辛くても休まずに仕事をしている自分、そして何より4人の子育てを頑張っている自分・・・。今出来ていること、今の自分にあるものをそのまま認めてあげましょう。そうすれば、もう少し自分を追い詰めずに過ごせるようになるかもしれません。
(久保田幹子)
「双極II型障害について」 '11.04
Sさんは書きました。「今まで真の自分だと思っていたのが、躁状態だったことがわかり、今は、どう自分を保てばよいのか、自分という人間がわからなくなっている状態がつづいています」。それだけに「しっかりとした自分を持ちたい」と切望されているのですね。
Sさんは高校時代から、調子が良い時が真の自分であると思い、調子が悪い時を克服するため努力されていたということでした。それが軽い躁うつの波だと分かったということですから、おそらく精神科医から、うつと軽躁の病期を反復するタイプの気分障害(双極II型障害と呼ばれます)だと診断されたのでしょうね。躁病期が軽い状態に留まっていると本人も周囲の人もなかなかそれと気づかず、むしろそのような「元気な時期」が本来の自分だと思いがちです。けれどもやはり躁状態ですから、知らず知らずのうちに活動過多になって過労を招き、それが次のうつの呼び水になりやすいのです。特にSさんのように、軽躁の時期に「うつの時期を克服しよう」と思うと、往々にして「失地を回復しよう」という方向に努力を傾けることになり、無理な頑張りになってしまうことが多く見られます。Sさんが、これまでに軽い躁の時期があったと気づかれたのなら、その時期の生活を今までとは違った仕方で過ごすことが気分の安定化に寄与するはずです。たとえば軽躁期には「今までの分を取り返そう」とする代わりに、やりたいことの半分くらいに抑えて急に行動を広げすぎないこと、生活リズムを一定に保ち、睡眠上足に注意すること、行動に無理がないかどうかをモニターするために簡単な日記をつけたり、家族の意見に耳を傾けること、などを意識されておくといいと思います。気分安定薬(躁うつの波をなだらかにする働きのある薬)も力になってくれるはずです。
それとともに、気分の波がある自分をそのまま認めてあげることも大切です。自然には四季の変化があるように、人間にも気分の変動があり、気分障害と診断されない人でも1年を通してゆるやかな気分の変動があるものです。一般に私たち日本人は農耕民族の伝統を受け継いでいるからか、春〜秋にはよく働き、農閑期の冬場には活動を少なめにするというリズムが刻まれているようです。Sさんの場合はそのような振幅が大きいのだと考えればいいでしょう。気分の波に抗い「しっかりした、上動の自分」を目指すより、気分の波に合わせて行動を調節できるような「融通無碍の自分」であればいいのです。波に応じてバランスを調節できる巧みなサーフライダーをイメージしてみてください。
(中村敬)