その他の部屋

文面を拝見する限り、Aさんは、現在とても強い不安・焦燥感に悩まれているようですね。この辛さは、相当なもので、私の想像をはるかに超えていると考えます。

私は、Aさんの「体を動かすのが非常に億劫で重く」と「じっとしていられない」という下りから、強い「うつ」があると判断します。一般に「うつ」は心理的エネルギーの低下から、意欲の減退が主症状であるかの様に言われますが、実際はそうではありません。「うつ」の本質は、億劫感などで示される「意欲の減退」と「何とか現状を打開したいのにどうにもできない」などの「不安・焦燥感」で板挟みになった状態を指します。そういう視点から見ると、Aさんの心の板挟みは、まさに「うつ」そのものです。そして診断は、怒りや不満をため込むなど鬱屈心情で彩られる抑うつ神経症というより、生気的エネルギーの低下に伴う「うつ病」と考えた方が良いと思います。

ちなみに、この時期の治療の手立ては、何と言っても休息に尽きます。ただし不安・焦燥感は得てして休息の邪魔をするため、この症状の軽減のために抗うつ薬や安定剤などの内服は欠かせないと思います。ところで、森田療法は確かに行動を促す治療法ですが、それは行動によって外界へ注意が向き、不安と距離が取れることで生活が好転するという治療的狙いがあります。勿論、Aさんに安易に行動を促すことは、現時点では禁忌です。ただ、この状態に森田療法の解釈を敢えて用いるとすれば、内服という行動によって不安・焦燥感と距離がとれ、しっかり休息に打ち込めるようになるという理解が出来るかもしれません。ただどちらにしても、どっぷりと休息に徹してください。そしてこれが、Aさんの今できる最善の取り組みであり、仕事でもあるのです。

確りとした休息がとれるようになれば、徐々に「あれをしたい」などの活動欲が芽生えてくると思います。それまではじっと待つことです。もしかしたらAさんは、待つことが出来ず、色々な行動を求めすぎたが故に、「うつ」に陥ったようにも感じます。だから、今は待つという新しい体験の最中として、この時期をとらえ直していただければと思います。今は苦しみの渦中のですが、必ず回復しますから、是非この時期を粘っていただければと思います。
(樋之口潤一郎)

Cさんは、「緊張すると下痢になりまた騒いでしまいそうになり不思議な不気味な怖い感覚になり、その場を逃げ出してしまいます。今度運転免許の更新がありなんとか更新したいのですが耐えられるかどうか自信がありません。」と書き込まれています。

過敏性腸症候群と広場恐怖に悩んでおられるのですね。
腸の動きは自律神経が支配している部分であり、自分で意識してコントロールはできないもの。意識することでかえって緊張が募り、交感神経が優位に働くことになってしまいます。
「体調が崩れることへの恐怖」の裏には「体調を整えていい結果を出したい」という「生の欲望」があるはず。今でいえば「免許を更新したい」という気持ちがそれにあたるでしょう。

ところが、「順調にものごとを進めるためには体調はすっきりしているべき」という「かくあるべし」になってしまうと、自然な不安や不調を排除しようとすることで「とらわれ」に陥ってしまいます。そして「体調が悪くならないように」と生活を狭めることで、かえって生活も不規則になり、心身のバランスが乱れてしまいます。
自信はないままでいいので、「おっかなびっくりその場にいる」ことを目指してみてください。「まず目的地につけばいい」「一時間講義を受ける」など小さく区切ってみるのもよいでしょう。身体の症状はつらいものですが、「消す」のではなく「付き合い」ながら、目的に目を向けながら一日ずつ過ごしていきましょう。
(塩路理恵子)

Aさん、ずっと対人恐怖と抑うつに悩まれてきたのですね。生活の発見会の活動を通して対人恐怖だけでなく鬱も改善してきていて何よりです。
復習の要素が強そうですが、森田先生の「感情の法則」をもう一度記載します。

第一、感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである。
第二、感情はその衝動を満足すれば、急に静まり消失するものである。
第三、感情は同一の感覚に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである。
第四、感情は、その刺激が継続して起こるときと、注意をこれに集注する時とに、ますます強くなるものである。
第五、感情は、新しい経験によって、これを体得し、その反芻によって、ますます養成される。

森田療法というと目的本位の行動をする治療と思われがちですが、このように感情の法則を挙げていて、行動するなかでの感情体験を大事にしている事がわかります。対人恐怖は集団での経験、鬱に関しては先程述べた森田先生の感情の法則に従って心の自然に任せられるようになったのが大きいですね。

治療過程ですが、緊張しつつも集団の場にいられるようになり、鬱ともうまく付き合えるようになったので、自己の事から家庭や会社や地域で起こる様々なことで悩むようになっているのですね。これは治療の過程としては進展していることを意味しています。今まで自己の症状や内面に向いていた注意が外界へ転換したと思います。つまり症状で悩んでいたことから現実的なことで悩むようになっているわけです。森田先生は、ここでの課題を神経質性格の陶冶(神経質性格をより良く生かすという意味)と言っています。他の人との間で御自身の完全主義が出てしまってはいませんか?他人へ自分の思いどおりにコントロールしようとしてしまっていませんか?もし対人的な悩みの中で、他人を自分のお脳通り100%動いてくれることを期待せず、せいぜい6割ぐらい意図で動いてくれれば良いくらいに思ってみてください。
(舘野歩)

発達障害の可能性があることを主治医に聞いて悩んでいるとのことですね。発達障害は「障害」という名前はついているので驚いてしまわれたのかと思いますが、一つの発達の特性と考えられます。Aさんがご指摘の通り、最近になり発達障害の概念が精神科医のなかでも広まってきたため診断されやすくなってきました。

 4年半診察した医師が発達障害の可能性があると考えた理由を聞かれたでしょうか。発達障害は発達のアンバランスがあるということです。つまり、得意な部分と苦手な部分の差が大きいという事です。病名を受け入れることも必要なのかもしれないですが、受け入れられなくても、主治医に理由を聞くことで自分の特徴、例えば自分がどういうことが苦手でどういうことが得意なのかという自分の強みと弱点を知る機会になります。前の主治医に戻るのは難しいかもしれませんので、もし気になりずっと悩んでいるのであれば今の主治医にも意見を聞いてみたらどうでしょうか。たとえ、その主治医に発達障害の可能性があると言われても、自分の特徴を知り、仕事など目の前の事に生かしていけばいいのではないでしょうか。得意・不得意の凸凹も一つの個性と考え、自分の強みを生かしていけばいいのです。

 ご自身で森田療法を学び、不安との付き合い方を学ぶのは継続して頂いて良いかと思います。ただ医療機関で専門的な診察・カウンセリングを受ける場合は、発達のアンバランスの程度によって治療も変わってくる可能性がありますので、担当医との相談で森田療法を受けるのか、別のカウンセリングの方が有効か聞いてみてください。発達障害だからといって森田療法を学んではいけないという訳ではありませんので安心してください。
(石山菜奈子)

Mさんが対人場面での緊張で困っています。
高良武久先生は、対人緊張について、
「大勢の人の前で話をするなんてことは、だいたい嫌なのは当たり前ですね。みんなの視線を浴びてやるんだからドキドキしますね。ドキドキしなければ、つまり、それぐらいある程度緊張しなければ、頭は活発に働かないんですね。また、身体も活発に働きませんね。ある相撲さんは「ドキドキした方がやっぱりいい相撲が取れる」と言うのを聞いたことがあるけど、ドキドキするから心臓のめぐりが良くなるわけですね。それで筋肉の働きが活発になるわけですね。ドキドキしていいんだね。脈が速くも強くもならなければ、筋肉の力も発揮出来ません。興奮する事情の下では筋肉の力を必要とし、頭も敏活に動かなければならない。それがためには血圧も高くなり、脈拍も多くなるんですね。必要上そういう風になるんですね。だからドキドキするということだけを問題にしているとマイナスになりますね。人前で緊張したり、赤くなったりする気持ちがあってはならないと思うと、これはマイナスになりますね。それは当り前なのだから、それを受け入れてやっていけば本当に楽になることがあるわけですね。それぐらい頭の働きが活発になりますからね。みんな必要上人間に与えられた、生理的反応や心理的反応としてそのままやっていくことですね。」

また、自信については、
「神経質の人は何事も自信がないからやらない。自信を問題にする人が多いですね。やったこともないことを自信を持ってやろうなんて出来ません。はじめから自信なんてものはない。練習してだんだん出来るようになって自信が出来るんですね。自信がないからといって、逃げておればいつまでも自信が出来ないですね。だからどこまでも逃げないで、自分で多少無理と思われることもやらなければ進歩しないですね。やっていくうちにやればやれるんだと体得していく。そうして自分の能力、あるいは生活範囲が広くたくましくなっていくわけですね。」
・・・と書かれています。
気になりながら避けずに進むことで道が開けてきます。頑張って下さい。
(矢野勝治)

Kさんは傷病手当があと数カ月で切れる瀬戸際におられるとのこと。一児の父としてこれでよいのか4年間悩まれているとのことです。何度も長欠を繰り返していると、社内の周りからの眼も厳しくなり、出社してもその場に居づらさを感じることもあるかもしれません。
Kさんの場合はいかがでしょうか。

大企業に勤められているというKさん。きっととても優秀な面もお持ちなのでしょうね。そんなKさんがそこまで恐れ、逃げたくなることはどんなことなのだろうと思います。プレゼンや雑談では、何が恐いのでしょう。実際にプレゼンを組み立てられないことでしょうか。それとも、プレゼンや雑談は「こうすべき」という思いがあって、それに達しないために苦しくなってしまうのでしょうか。どこか弱みを見せることへの躊躇などがあるのかとも思われます。また、お子さんのことを大分気にされているようですが、お子さんについては何が心配なのでしょう。そういったことを具体的に考えてみることがとても大切だと思います。傷つかないようにしようとその場を回避し続けて、かえってより自分に自信をなくしているKさんがいますよね。

今35歳。これからまた同じ10年を送って、同じ思いを抱えていたいですか?お子さんにとってどんなお父さんでありたいのでしょう?
これまで何かに依存したり、回避して生きてきたとおっしゃるKさんにとって、「避けたいこと」を直視するのはとんでもなく大変なことかもしれません。しかし、今がそれを始めるチャンスだと思います。 まずは10月中旬までの3か月間をどう過ごすかですね。今の状態で転職しても、また同じことが起きるように思います。まずは自分の状況を改めて捉えなおして、今の状態を繰り返さないためには何が必要か、具体的に整理していくことが大切です。会社に決まった復職プログラムがあればその内容を確認するなど、復職に具体的に何が必要とされているのかを明確にすることもKさんの悩みを具体的にする大切な一歩だと思います。主体はKさんですが、主治医や他にも関わっている専門職がいれば、その人たちも力になってくれるのではないでしょうか。

夜寝る前の眠剤を飲むときが一番の楽しみとのこと。まずはそれでいいと思います。一日が大変であればあるほど、一日が終わることにホッとする人は多いものです。大変だと思いますが、自分と家族にとって必要な一歩を歩まれることを応援しています。
(今村祐子)

Hさん、だんなさんは家と仕事でずっと我慢の生活から死にたいくらい辛いとおっしゃていて大変ですね。体験フォーラムへ投稿しなんとか糸口を見つけようとされたのですね。

しかし家と仕事でずっと我慢の生活であれば誰しも辛くなりますよね。環境自体をすぐに変えられなくても、まずお互い夫婦が理解しあうことが第一歩のような気がします。例えばお忙しいご自身へ酷かもしれませんが、平日は仕事とお子さんのことですぐ寝てしまっても土日でお子さんが寝た後、ご夫婦のお時間を取ったりしてはいかがでしょうか?

あるいは認知症で言葉が出なく、失禁もする父と一緒もそれはストレスでしょう。言葉が出なく失禁もあるとなると家族だけで面倒を見るもの大変だと思います。ご本人嫌がるかもしれませんが、介護保険の申請をされていますか?家族だけでなく公的な支援を受けることで皆様のご負担は減るのではと思いました。
ただお互い時間をとって建設的な話ができれば良いですが、お互い主張し合うか黙るかの両極端になりそうなときもあるでしょう。そこで森田先生が行った方法を紹介します。Hさんは夫婦での喧嘩ではありませんが、森田は夫婦喧嘩のやり方を形外会で説いています。
それは第一に、「日々の細かいことをひとつひとつ小出しにせず、日記帳へ書きつけること。すぐに口から出さず書きつけてから話すと時間とともに感情は次第に消失する。」と述べています。第二に、「書きつけることにより、自分の感情を表現すれば、主観の気分が客観的の記述に置き換えられ、しだいに感情の落着くに従って自分を第三者として見、理知的の批判ができるようになる。」と述べています。お互いのコミュニケーション、言葉で難しければお互いの思いを書いて交換してみてはいかがでしょうか?
(舘野歩)

こんにちは、Kさん。私も過去数回、岡本記念財団のセミナーで講演の機会を頂きましたが、会場の皆さんは熱心な方が非常に多かったという印象を持っています。勿論Kさんも、回復を切に願い奮闘されている熱心な方の一人であると思います。Kさんが仰通り、神経質者と一口に言っても、やはり人間が異なればそれぞれの個性や人生があるものです。だから私も森田療法を行う上で、まず患者さんそれぞれの生活の様子を具に聞くことを大切にしています。

ところでKさんは、職場の同僚から色々な面で頼りにされているようですね。恐らく頼りにされることは、周囲から認められることを意味しますから、Kさんに大きな喜びを与えたのではないでしょうか。そしてKさんは、この喜びを励みに、より一層仲間の相談役となり、カウンセラー的な振る舞いにもなっていったのだと思います。けれども一方で、Kさんは相手への同情の余り、自分の状況をどこかで犠牲にしているようにも見受けられます。意外にも、この心労は大きいもので、それが帰宅後のぐったりくる疲れに表れていると思います。

確かに知人の先生がアドバイスされたように、ずうずうしくなれるに越したことはありません。でもKさんは、そうなれないから悩まれているようにも思うのです。であるとしたら、まず良き相談役を続けるために、Kさんがご自身のためにどんな行動を心がけていったよいのかとう視点から考えてみてはいかがでしょうか? 自己犠牲の余り心労と苛立ちを募らせている状況下では、決して良い形で相手の相談に乗ってあげることは出来ません。相談に乗る上で大切なのは、何よりも心のゆとりと自分のペースをある程度担保することなのです。つまり、相手の思惑を気にしつつも、自分の状況を伝え理解してもらう取り組みが重要なのです。そしてこの取り組みがKさんの恐怖突入でもあるといえるでしょう。もしかしたら、Kさんが「今は自分の勉強をしたいから、後の時間で相談にのりたいと思うけど、どうかな?」などと、ご自身の状況をしっかり伝え相手に提案することは、相談役の最大の務めであるかもしれません。

最後に、相談役になる際、相手に見返りを期待してはいけません。何故なら、自己犠牲を払う背後には「これだけ私は相談に乗ったのだから、その分きちんと期待に応えて欲しい」という思いが隠されているからです。このことを意識することは、お節介な相談役にならないコツとも言えるでしょう。色々苦労は尽きないと思います。素敵な相談役として奮闘されることを願っています。
(谷井一夫)

Nさんは、「虫たちのことが好きで、気になります」と書き込まれています。「外に落ちているごみに小さな虫がついていてもしそのごみが捨てられてしまっては虫たちがかわいそうだと思い誰かがごみを拾う前にごみを拾ってきてしまいます」とのこと。
書き込みを読んで、「堤中納言物語」の「虫愛づる姫君」を思い出しました。(ちなみに「風の谷のナウシカ」のナウシカのモデルはこの姫君だそうです)物語の姫君は美しく教養もあって気高いけれど、髪も整えずお歯黒を付けず眉もゲジゲジ眉のまま、平仮名を書かず、可憐なものを愛さず毛虫を愛する風変わりな姫君です。

Nさんは虫が好きで、虫たちが捨てられたりしないようにと動いているのですね。 けれども、一緒に暮らしているご家族や、大家さんはいらっしゃらないでしょうか?ご家族は困っておられないでしょうか?
屋外でガムテープやセロテープを使っている人に違う方法にしてほしいと話しかけてしまうとのことですが、相手の人の反応はどうでしょうか?
自身の目に入る虫を救うことに完璧主義になり、周りの人の声が入らない状態になってしまっていないでしょうか。虫を愛でるあまりに、人間としてのご自身の生活が障害されてしまっては、やはり困ってしまいますよね。
残念ながらすべての虫を救おうというのも、生きとし生けるものが自然の中で生きている以上、不可能なことでしょう。

さて、虫愛ずる姫君の物語は、右馬の佐という殿方の働きかけに変化の予感を感じさせて、終わっています。 Nさんが、人間らしい生活や周りの人の生活と共存しながら、「虫が好き」という個性を生かしていけるようになるといいですね。
(塩路理恵子)

Hさんは、10年以上も抑うつ症状に悩まれているとのことでした。3か月ほどの休職歴があるとのことですが、数年前から海外勤務をされていると書かれており、おそらく抑うつ症状を抱えながら、企業人として奮闘されてきたのではないかと推察します。季節性があり、冬場は良いもののそれ以外の時期は症状が出るということですから、かなり長い期間抑うつ感が持続されているのだと思います。ご自身のリズムはある程度理解されているようですが、一年のおおかたをスッキリしない気分で過ごすことはさぞ辛いことと思います。

Hさんは、これまで数種類の抗うつ剤を試し、座禅、積極思考、ジョギングなどに取り組んだり、逆に真面目な生活から逸脱することを試みたりと、症状を消すために様々な方法を取り入れてきたようですが、いずれも効果はなかったそうです。Hさん自身も「真面目に取り組んだ10年余り」と書かれていますが、折角の苦労があまり実を結ばなかったは、「症状を消すための活動」というところかもしれません。
 確かに抑うつ気分や、それに伴う身体症状は生活をする上で辛いものですし、何とかならないものかと考えるのも自然なことです。しかし、天候を思い通りに出来ないのと同じように、気分も思い通りにはならないものであり、それとどう付き合っていくか・・・が重要になります。つまり、気分そのものはどうにもならないので、それはそれとして受け止めつつ、そんな自分なりに何が出来るのか・・・というところに「考える力」を使って工夫していくのです。こうしたアドバイスはHさんもどこかで聞かれたことがあるかもしれませんし、理屈はそうであっても、実際すっきりしない気分と付き合うのはしんどい・・ということなのかもしれません。

Hさんもそうであるように、抑うつ症状が慢性化しやすいタイプの方は、真面目で根気強い方、別の言い方をすれば頑固なところがあるように思います。それだけに、気分はどうにもならないと頭では理解しても、なかなか諦められず、結局工夫する方向は症状を消すことに向いてしまうのでしょう。色々な試みを尽くした今だからこそ、森田療法の考えがHさんの心に響き、希望に繋がっているのかもしれません。
一生懸命頑張っていた方向には出口がなかったということが実感できた今、まさに気分を何とかすることを手放し、スッキリしない自分なりに少しでも出来ることに手を出してみましょう。日記も、自分を知る意味で、また日々の生活を実感する意味で役立つと思います。「日記の開始は書籍などで勉強してからで良いでしょうか」と書かれていましたが、これもまた万全にしてから・・・という真面目なHさんの表れかもしれません。日記の書き方も、またその意味も人によって様々で良いのです。スッキリしないままに、とりあえず手を出してみる、良いチャンスなのではないでしょうか。
(久保田幹子)

38歳で管理職に昇進されたとのこと、それまで会社の中で努力されてきたんですね。昇進後うつ病になられる方は多くいらっしゃいます。そしてうつ病がほぼ治ってきた状態であるのに不安などの神経症症状が前景にでて、復職に支障が出てくる方、まさにAさんのような方もまた多いです。それには以下のような原因が考えられます。

1.「〜せねばならない」という考えからが強く、それができずに不安になる
2.しばらく休んでいたのだから、その分を挽回しなくてはと自分を追い詰める
Aさんも当てはまっていたでしょうか?

現在は抑うつもあるとのことなので主治医の先生と相談しながらやって頂きたいのですが、うつ病の回復期には以下のような事をすることをお勧めします。

1.生活にリズムをつける
2.不安は回復したい気持ちの裏返し、不安を受け入れる
3.自分の力の60%程度でやる
さらに産業医の先生がいらっしゃるのであれば、
4.上手くいっていたリハビリ出社と休職に至った時の仕事の違いについて話し合う
5.抑うつに至りやすいきっかけを捉える(これは主治医の先生とでも)

現在抑うつが出ているのであれば薬についても再度相談する必要がありますね。通常、一度うつ病になられた方は再発予防のために抗うつ剤をしばらく飲み続ける事が多いです。良くなった後も飲み続けた方がいいかなども含め主治医の先生と話し合っておく必要がありますね。

現在は近所の目が気になり日中は家にいらっしゃるとのこと。抑うつの状態にもよりますが、リハビリで図書館に行くなど思い切って行動してみてはどうでしょうか。行動することで抑うつが軽減する事がありますし、自信にもなります。
しかし、1人で自主リハビリするのは難しいという方もいらっしゃいます。そういった方には復職のためのデイケア、入院森田療法などもあります。両者共に紹介状を持って適応になるかどうかの医師の判断が必要ですが、効果はありますので、どうか1人で悩まず、まずは主治医の先生に相談してみてください。
(石山菜奈子)