その他の部屋

Eさんは、SNSでの人間関係に依存してしまい、SNSがやめられないことを書き込まれています。

苦しい状況ですね。SNSやネットが身近なものになり、依存の問題も多くなっています。

依存をする、ということは、「一つのことで不安を消そうとする」ことにとらわれている状態、とも言えます。

また、「眠るために」「いやなことを思い出さないために」など、本来の目的とことなる「ために」で、そのものを使っているときは注意が必要でしょう。

SNSなどの場合は、やはりそれから離れる時間を持つこと、電源を切ること、なども必要です。インタビューで、試合前に実家にスマホを送ったと話していた若いスポーツ選手がいましたが、物理的に離れる時間を持つ工夫も大切でしょう

「抜けようとしても抜けられない」依存の状態の背後には「今の自分が受け入れられない」ことも多く見られます。森田先生はしばしば「なりきる」ということを書いていますが、その一つが「弱さになりきる」という言葉があります。自分が弱い人間だと思い定め、そこを出発点にしていくことです。それは等身大の自分を受け入れそれを出発点にしていくことでもあります。

もうひとつ意識を向けてみたいことは、「減らさなければならない」「やめなければ」と意識するために、そこに意識が向いてしまい、ますますそこから抜けられなくなってしまうこともある点です。依存しているものとの関係だけでなく、「リアルの人間関係は人間不信」とのことですが、少しでもものごとを通して人と接点を持ってみること、人との関わりだけでなく、仕事、家事、好きなものなど何か「自分以外のもの」に注意を向けてみましょう。

「依存」=「不安を消すこと」に向けていたエネルギーを生活を取り戻したり、豊かにする側に向けることができれば、森田療法を生かせる部分があることでしょう。

一方、依存の問題は自分だけで克服するのが難しい場合も多いので、その場合は、依存の問題に専門的に取り組んでいる医療機関や相談機関に相談してみてください。
(塩路理恵子)

Yさんは突然の気分の落ち込みに悩まれ、日々奮闘されているように察します。気分が落ち込むのですから、当然うつ病などの診断が考えられると思います。一人目のお子さんが出産された後から状態を崩された訳ですが、Yさんが状態を崩す上で、明確な理由はありましたか?

というのも、出産は喜ばしい出来事だけで済まされない人生の一大事だからです。特に仕事で心労を募らせながら家庭を支えておられたとしたら、出産という出来事は妻や子供に気を配るという心理的負担を与え、当然、心労を倍加させることで抑うつ症状の出現に繋がりかねません。しかし、一方でこのような人生の変化は、自分の仕事を含めた日頃の取り組み方を見直す好機でもあります。

自身の特徴を見直す上で、まず大切なことは睡眠を削らないことです。これは、疲労を緩和する上で、欠かせない処方箋でもあります。現在内服されているものでも構いませんし、必要に応じて幾つかの抗うつ剤を再度試しても良いかもしれません。その上で、熟睡感を一つの目安にして、内服薬の選択をしていただければと思います。次に時間を目安に生活を心がける事です。特に何かに取り組んでいれば、その切り上げ時をより意識することです。特に休み下手な方ほど、「あともう少し」という思いのあまり、切り上げ時を先送ってしまう傾向が強いものです。これも、心にゆとりを持つ上で大切な行動処方箋です。さらに奥様と育児のことや今後の生活についてお互いの考えを分かち合い、相談し合う関係を大切にしてください。特にうつ病に陥る方の多くは、一人で悩み、一人で奮闘し、一人で解決するという姿勢が強く、このことが却って抑うつ症状を悪化させてしまうからです。

最後に、環境要因があまり明確でないにも関わらず、気分の落ち込みがやってくる場合には、躁うつ病に適応のある気分安定薬などの内服を検討することも一考に値するでしょう。しかし、この時も「うつ」に抗い、頑張らねばと焦らない事です。その時は「うつ」に応じて、何を敢えてやらないのかを思い切って吟味することが、心の負担の軽減の上で大切になります。

まだまだ悩みの渦中ゆえ苦しいところですが、少しでも光明がやどることを心より願っています。
(樋之口潤一郎)

Sさん、せっかく不安神経症を克服されたのに様々な痛みの症状が続き辛いですね。病院で色々検査してなんでもなかったのですね。ストレスから体の痛みが出ることはしばしばあります。これはかつて疼痛性障害と呼ばれていましたが、現在米国の精神科診断基準DSM5では身体症状症(疼痛が主のもの)にあたります。

診断基準を示しますと、

A.一つまたはそれ以上の、苦痛を伴う、または日常生活に意味のある混乱を引き起こす身体症状

B.身体症状、またはそれに伴う健康への懸念に関連した過度な思考、感情、または行動で、以下のうち少なくとも一つによって顕在化する。

(1)自分の症状の深刻さについての不釣り合いかつ持続する思考

(2)健康または症状についての持続する強い不安

(3)これらの症状または健康への懸念に費やされる過度の時間と労力

C.身体症状はどれひとつとして持続的に存在していないかもしれないが、症状のある状態は持続している(典型的には六ヶ月以上)。

となっています。DSM5は精神疾患の分類なので心の病気かと言われれば答えは「はい」になります。

次に治療の話しに移ります。疼痛が主症状ですとまずペインクリニックへいかれる患者さんも多いと思います。疼痛の比較的急性期では様々な薬が出されると思います。精神科領域の薬も補助的に使用されます。セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)と呼ばれるものでデュロキセチン(商品名:サインバルタ)が良く使用されます。

ストレスから来る疼痛では特に慢性期に入ると薬物療法だけでなく心理的アプローチが必要になるわけです。森田療法の創設者森田正馬は心と体を分けて考えませんでした。森田は心身一元論の立場を取ります。つまり痛みの原因を身体か心かということを追求しません。あくまで痛みへの「とらわれ」からの脱却に治療の目標を置きます。そういった意味では不安神経症を克服された体験が生きてくると思います。痛みにばかり注意が向きそのことばかり考える「精神交互作用」に陥っていませんか?また「痛みがある」現状と「痛みのない理想の自分」とのギャップになやむ「思想の矛盾」の機制が働いていませんか?残念ながらある程度の痛みはあるかもしれません。ただこれをなくそうとすればするほど「とらわれ」、結果として痛みを増強させていると思われます。ある程度の痛みがあるとお辛いと思いますが、痛みが全くなくなるまで動かないのでは無く、現状のなかでできることをしていきましょう。
(舘野歩)

Nさん、感情の発散が苦手で辛そうですね。まずは森田療法創設者森田正馬の著書「神経質の本態と療法」の中で「感情の法則」について述べます。

第一に、「感情はそのまま放任し、または自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひとり昇りひと降りしてついに消失する」と述べています。また森田は「例えば苦痛があった際、これを自然に放任してこれに堪え忍んでいれば程なく次第に消失するので、もし怒って喧嘩をしようと思う時は三日考えてはじめて実行するのがよい」とも述べています。

第二に、感情はその衝動を満足すれば急に静まり消失すると述べています。しかし実際には常に感情に耐え衝動を自制することを練習する方が得策と提案しています。なぜなら、飢えたときに食べれば苦痛が消えるので一時の快を得られても、その結果理性的自責感が起こりかえって後悔してしまうからであると述べています。

第三に、感情は同一の感覚に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものであると述べています。つまり寒さや暑さにこれに慣れるとともに感じなくなると例を挙げています。

以上は感情の消失する場合の条件を挙げましたが、なおこれに種々の条件が加わったときに感情は持続します。

第四、感情はその刺激が継続して起こる時と注意をこれに集中する時とにますます強くなるものである。例えば喧嘩なども次第に激しくなるのは怒りの刺激が継続して加わるためであろうとも述べています。

第五に、感情は新しい経験によりこれを体得し、その反復によってますます養成される。例えば、私たちが努力と成功の経験を反復することによって、はじめて勇気と自信を養成するのは努力による苦痛に慣れるとともに、一方には成功による快楽を体得するためであると述べています。

以上1920年代に書かれた内容と思えないほど現代にも通じると思いますのでご参考にして下さい。

また唯一の手段として、文章を書いて発散されているのですね。森田療法では日記を用いた治療をします。せっかく文章を書いているのであれば、感情面だけでなく、その日にした行動面も書いてみてはいかがでしょうか。そして時間を置いてもう一回読むようにしてみましょう。すると、発散したときの感情や行動を振り返るようにすることにより、自らの感情を見つめ、自覚できるようになっていきます。
(舘野歩)

Nさんは、感情の発散が苦手で、感情を持て余すことが多いので、どのように対処したら良いかと書き込まれていました。かつて、ご自身の診断名に疑問を持たれ、それを探索しているうちにとらわれてしまったり、自分の意志がスムースに伝わらずにイライラして人間関係が難しいと感じられたこともあるようですので、完璧を求める傾向が基盤にあるのかもしれません。

感情といっても様々なものがありますが、どのような感情を持て余しやすいのでしょうか?

人間は感情の動物と言われますが、生活していると様々な感情を体験します。それは、喜び、嬉しさ、ワクワク…など心地よい感情から、怒り、憎しみ、悲しみ、悔しさ…など不快な感情まで様々です。森田療法では、不安も含め感情そのものは自然なものと理解し、感情に対する態度を重視します。すなわち、感情自体には責任はなく、そこでどう振る舞うかを自分の責任と考えるのです。そう考えるならば、先に述べた快・不快に関わらず、感情に振り回されるか否かが問題ということですね。

また森田は、感情について「これをそのままに放任すれば、時を経るに従って自然に消失する」と説明しています。つまりどんな感情もずっと同じ強さで持続することはなく、一瞬高まったとしても、山なりの曲線を描くように時間と共に消失すると述べたのです。これは怒り・不安などの不快な感情のみならず、喜びなどの心地よい感情も同じですね。

Nさんが持て余している感情がどのようなものかわかりませんが、おそらく怒り、悔しさなどどちらかというと不快な感情なのではないかと思います。そうした感情は誰しも抱えづらいものですが、その感情のままに行動をしてしまうと、結局もっと後味の悪い思いをすることになってしまいます。では、どう付き合えば良いのでしょうか。

まずは自分の気持ちを眺めてみること、そしてそれを自然な反応として認めてあげることです。つまり、「(私は)今、頭にきているなあ」とか「イライラしているなあ」とか、ただそのまま眺めるのです。その上で、「じゃあ、どうしようか…?」と考えてみたらどうでしょう(そこでの振る舞い方を考えるということ)。

感情の発散とは、それを感じ取るというよりも、吐き出す姿勢になってしまいます。勿論、一旦は吐き出さないと落ち着かない時もあるでしょうし、自分の気持ちを眺める余裕がない時もあるでしょう。その時には、Nさんが試しておられるように文章に書くことはとても良い方法です。森田療法には「日記療法」というアプローチがあります。これは不安や症状だけでなく、その日の行動、考えたり感じたことを記載するものですが、自分自身の感情、あるいは自分自身の特徴を知る機会になります。日記を通して自分自身を知ることによって、自分の感情やそれとの付き合い方も見えてくると思います。
(久保田 幹子)

Kさんは主治医から「軽い発達障害から森田神経症になったのでは」と言われたのですね。発達障害と聞き驚かれたかもしれませんが、最近では診断できる医師も増えており特別な疾患ではありません。また近年障害というより一つの特性と捉えています。さらに、発達障害のない方より、発達障害の方の方が不安障害(神経症)のリスクが高いとも言われています。Kさんの場合も、軽い発達障害により同僚や上司からの叱責が増え、そのために不安を感じやすくなっている可能性があります。

たとえ発達障害だとしても、神経症の部分に対して森田療法の考え方は役に立ちます。Kさんが好きな言葉である「感情は感じたまま、今やるべきことをする」は森田療法の大事な考え方ですし、発達障害からくる神経症だとしても、この考え方は適応できます。

ミスを連発してしまったり注意力が弱いという症状に関しては、薬物療法が有効な場合がありますので主治医の先生と相談してみてください。

またピントがずれてしまうことに対しては、「なるべく細かく具体的に指示を出していただけますか」と上司に話すことによってずれが解消していく可能性があります。上司が当たり前と思っていることが、Kさんにとっては当たり前ではないのでピントがずれてしまうのだと考えられます。細かく具体的に指示を出してもらう事で、2者間の「当たり前」についてのずれが解消されます。さらに、口頭ではなく紙で指示をもらえると良いかと思います。「人の話をすぐに理解できない」特性がある方でも、「紙に書いてもらえばわかる」方が多いからです。悩みを相談する姿勢で上司に話してみてはいかがでしょうか。
(石山 菜奈子)

Mさんは、就活のための自己分析で、自分の性格に腹を立てたり、落ち込んだりしていると書かれています。早くと思えば思うほど焦りますよね。
 自己嫌悪を感じるのは、それだけ「こうありたい」という理想があるから。それを早く実現しようとしたときに焦りが生じてきます。逆に言うと、早く実現しようとする気持ち自体はとても前向きな気持ちですが、それが強すぎると、やらなきゃいけないことに手がつかないといった悪循環を生じてきます。自己嫌悪は自分が磨かれていくためにとっても必要な気持ち。でもそれだけになって、足が進まなくなっているとすると、とてももったいないですね。どうしたらよいでしょう。
 まずやらなきゃいけないのにできていないことがあるという事実をよく実感してください。なんだかいい方法がある気がして、ついつい焦ってしまい、空回りするというのはよくあるパターンです。ここを抜けていくためには、 自分の今のやり方がうまくいっていないことを自分が実感することが前提としてとても必要です。そうすると、できることから手を付けていくしかないことに気付きます。のろのろでもやり始めると、やらなきゃいけないことは少しずつ(でも着実に)減っていきます。
 また理想の高い人は、できていないと言いつつ、実際にはかなり動いていても、自分の理想との差だけを見て、自分にダメ出しをし続けている場合があります。Mさんはそんなことはないですか?そのような点も併せて考えていってみてくださいね。
(今村祐子)

Aさんが、(頼りにしている母親が高齢になり、病気が発覚し、母親がいなくなってしまうことを考えると怖くてたまらない)(親離れ出来ていない)と困っています。

Aさんは「少しでも(母親に)恩返しを」と思っていますが、お母様はそれを希望されていますでしょうか。親は子が生まれて来てくれただけで、また可愛い赤ん坊の時期に一緒に居れただけで子からの恩返しは充分と感じるという文章を読んだことがあります。お母様は、自分がいなくなることをAさんが思い悩むのではなく、Aさんが自分らしく生きていくことを望まれているのではないでしょうか?

身近な方が亡くなる喪失体験について相談されることがありますが、その際には「前略おふくろ様」の話をしています。郷里から遠く離れていても(実体が傍にいなくても)心のなかには母親が居て、頑張れるものです。亡くなった人の思いや考え方も同様で、生きている間に関わった人の心のなかで生き続けていくもので、何かに困ったら(お母さんだったらなんと言ってくれるだろう)と考えたりするものです。それはお母さんに限らず、お世話になった小学校の恩師だったり尊敬する先輩だったり、心の中にはいろいろな人が生きていて実体は見えなくても心の支えになってくれているのではないでしょうか。
(矢野勝治)

Tさんはうつ病を再発され、死にたくなるくらいしんどい中、就職活動をされています。比較的気分がましな時でも、マイナスなことばかり考えてしまうということのようです。Tさん、かなりしんどい中で就職活動を続けていらっしゃるようですね。

一般にうつ病は初発の時と再発の時では原因や症状などが違う場合があります。また、何かしらの問題に対して今までの対処方法で立ちいかなくなったときにうつ状態を発症することも多いようです。元々Tさんは「良い加減さ」をお持ちだったとのことですが、年とともにおかしくなってきたということは、Nさんがおっしゃるように、ご自身の立場や環境、ご家族や周りの環境などの変化があったのでしょうか。

いずれにしても、「死にたくなる」くらいしんどい時は、なんとかしようともがいても、いたずらにエネルギーを消費して、かえってうつが悪化することがあります。これは溺れている人が焦ってバタバタとしていると、体力を消耗してしまうのと似ています。溺れたときはまずは力を抜いて、その場で浮かび、身を任せることが大切です。Tさんの現在の状態では「強靭な精神を作る」という目標をおくよりは、まずは、しっかりと心身の休息をはかることが一番大切だと思います。心身のエネルギーが不足している時は焦って「なんとかしなくては」となりやすいのですが、そんな時こそ「急がば回れ」で、まずはその回復が第一優先です。

Tさん、主治医の先生とも相談されていると思いますが、まずはしっかりと薬を使うこと、就職活動を少しお休みして、休息がとれる環境を作り、休息をとるようにしていって下さいね。
(谷井一夫)

iさんは、文面を拝見するに、強い無力感、喪失感、そして罪悪感に駆られ、かなり大変な状態であると察します。恐らく、判断力にも精彩を欠き、作業効率が低下しているのではないでしょうか。私は、これらの症状から、iさんには「うつ」があるのではないかとかと考えます。

「うつ」の原因の一つとして、まず50年にも及ぶ東京生活を手放し、故郷での生活に戻らざるを得なかった無念が大きく関与していると思います。その大きさを考えると、東京生活の喪失は、iさんにとって相当な心理的苦痛だったことでしょう。東京生活に戻れない後悔が大きければ大きいほど、「後悔しないためにも、新生活に慣れ、母の介護にも速やかに対応しなくてはならない」などと焦りを募らせていったと思います。さらに文面からiさんは人一倍責任感が強い性格の持ち主であると考えます。その分、「きちんとやらねば」と思いを強め、焦る気持ちを加速させていったと言えます。そして、このような心理的文脈で作り出された焦燥感が、頭の中を常にグルグルと駆け巡りながら、心の余裕が奪われていったのではないかと推察します。

私は、iさんが50年間もの長い間、東京で培った価値観や習慣を、故郷に帰ったからと言ってすぐに変えることは難しいと考えます。むしろ、すぐに慣れないことの方が自然だと感じます。その前提に立って、「うつ」の回復について考えてみたいと思います。

まず、「うつ」の治療では心理的休息が必須と言われていますが、強い焦燥感が心理的休息を阻害している場合には、抗うつ剤や安定剤、そして眠剤などの向精神薬の内服を一時的であっても使用することをお勧めします。焦燥感の緩和が図れれば、質の良い睡眠が作り出され、心理的休息が促進されるでしょう。その上で、iさんの場合、一日ゴロゴロと休息することは文面から控えた方が良いと思います。というのも、何もしないことは、却って焦燥感を煽り、無力感を強めると、私は考えるからです。そうであるとするならば、まず早寝を心がけ、日中は軽めの散歩から始めるよう心がけていきましょう。このような生活の基本事項が徐々に形作られてきたら、次に家事などに目を向けて体を動かしていってください。その上で、重要なことは、焦燥感を軽くすることを目的に行動するのではなく、あくまで一日一日の生活のリズムを大切にする点に着目して行動することです。

さらにお母様の介護は当座、弟家族に必ず任せる事です。必ず守るべきは、お母様の健康ではなく、iさんご自身の健康であることを忘れないでください。Iさんが健康になり、心理的余裕が確保されなければ、お母様へのより良い介護が可能になるはずがありません。このような視点も、焦燥感を軽減する取り組みであると捉えてください。
今は苦しい状態であると思いますが、この暗闇から少しでも回復することを心より願っております。
(樋之口潤一郎)

Aさん、だいぶうつは回復してきてなによりですね。しかし「今家族への甘えから強い態度に出たり、不安や疲労感が強いときは思うように家事が出来ず、家族に迷惑をかけていることに悩んでいる」のですね。
御自身はご家族へ強い態度に出ているとのことですが、森田は「夫婦喧嘩のやりかた」を形外会で述べています。

「第一に、口論をすれば、互いに相手の欠点を挙げ・自分の不平を言い募るから、腹立ちは加速度的に増悪するが、自分の感情を発表せずに保持していれば、時間とともに感情はしだいに消失するものである」

「第二には、書きつけることによって自分の感情を表現すれば、主観的の気分が客観的の記述に置き換えられ、しだいに感情の落着くに従って自分を第三者として見、理知的の批判が出来るようになる」

是非参考にされて下さい。

今まで書いたことの総論としては、森田は「感情の法則」を挙げています。「私の神経質に対する精神療法の着眼点はむしろ感情の上にあって、論理、意識などに重きを置かない」としています。
そのなかでAさんに参考になりそうなものを挙げます。「感情はこれをそのままに放任し、もしくはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、一昇り一降りして、ついには消失するものである」と述べています。つまり一時の感情も時間を味方につけ引いてくるのを経験できると良いですね。
また、「感情は同一の感覚に触れるにしたがって、鈍くなり不感となるものである。」とも述べています。ある程度同じ感情は触れていて長くなることはないということを意味しています。
最後に「感情は新しい経験をすることによって体得し、その反復によってますますその情を養成するものである。たとえば飲食することによって、はじめてその味わいを知り、実行によって、はじめてその趣味を解することができるようなものである。我々が努力と成功との経験を反復することによって、はじめて勇気と自信を養成するのは、努力によりる苦痛に慣れるとともに、一方で成功による快楽を体得するからである。」とも述べています。ただ苦痛の感情を味わうだけでなくそのときに必要なことを達成する喜びも大事と言うことを説いています。

また、「不安や疲労感の強い時は思うように家事が出来ず」とありますね。うつの回復過程からかもしれませんが、まだ不安や気分に振り回されている印象があります。感情はコントロール出来ませんが行動はコントロール出来ます。もしうつが本来の状態に比べて60〜70%くらいまで回復してきたら、生活リズムを規則正しくして生活を整えて行く、「外相を整える」ことが大事になってきます。

Aさんは症状は回復しているとお書きになっているので60から70%くらいまでは回復しているとの過程で話を進めますね。森田は「外相整えば内相熟す」と述べています。これは気分は気分としてほおっておき、自己コントロール出来る行動を変えて行こうと言う発想です。すると内面も次第に落ち着いてくることを説いています。ちなみに最近のうつ病に対する認知行動療法の中で「行動活性化」という治療法がありますが、ここでも似たようなことを言っています。1920年前後に森田が言ったことが最近の欧米の治療にも取り入れられているのはまことに興味深いです。Aさんもこれをお読みになり実践できそうなところからやってみて下さい。
(舘野歩)

Yさんは断薬をしたいが、ある程度のところからなかなかやめられない、離脱症状にどのくらい時間がかかるか教えて欲しいと書かれていました。

Yさんの悩みやこれまでの処方など、詳しいことがわからないので、ここでは薬に対して多くの方が感じる不安や抵抗感について少しコメントをしてみたいと思います。
一般的に精神的な悩みに対しても必要に応じてお薬を使っていきますが、それに対して患者さんは様々な気持ちを抱きます。実際、お薬によって不安や抑うつ気分が和らいだり、睡眠が整って、生活が楽になることは多いと思いますが、同時に、薬そのものについての不安(副作用など)や、薬をずっと飲み続けなければいけないのではないかといった不安も抱きがちです。

そうした時に良く見受けられるのが、自己判断で薬をやめてしまうことです。しかし、ある程度の期間服用した薬を突然やめてしまうと、反動(リバウンド)が生じて症状や不安が強まったり、離脱症状が強く表れてしまうことがあります。そうなると、「自分は薬が無いとやっていかれないんだ」と落胆し、逆に薬に対する葛藤を強めることになってしまいますし、いつのまにか闘う相手が薬にすり替わってしまいます。
お薬を飲み続けることに抵抗を感じるのは自然なことですが、薬を早くやめることにこだわってしまうと、本来の治療の目的がずれてしまいますね。

森田療法では、不安や症状に振り回されず、それと付き合いつつ目前の行動に踏み込むことを促していくわけですが、薬はそうした過程で補助輪のような役割を担います。つまり、不安や症状と付き合う姿勢が培われていけば、補助輪は徐々に不要になってくるのです。まずは薬を上手に味方にしながら、不安と付き合いつつ生活を拡げ、不安に振り回されない姿勢を身につけていくこと、そのためにも自分なりに出来た事実は認めていくことが重要です。それは決して薬だけのおかげではないのです。

そして、薬を減らしたいと思った時には、薬に対する不安や抵抗感も含め、薬をめぐる様々な気持ちを治療者に率直に伝えてみてください。もしかすると薬に対する気持ちの中にも「こうあるべき」といった構えが隠れているかもしれません。そうだとするならば、薬をめぐる話し合いも、治療の前進に繋がっていくのではないでしょうか。
(久保田幹子)