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「主治医を変えようと思ったら」 '19.12
CさんはPTSDと診断されているようですが、困っていることが他にもあるようです。また、主治医に疑心感があって、病院を変えたい、ということで悩んでいらっしゃいます。
一般に精神科では科の特性もあって、主治医を変えたい、と話される患者さんは少なくないように思います。主治医と患者さんというのも人と人ですから、シンプルに「相性があまり良くない」「なんとなく合わない」という場合もあると思います。ただ、主治医を変えたいのにはそれだけではなく、それなりの理由があることが多いと思います。
主治医を変える前に、まずはCさん自身が率直に今の診断や治療について疑問に思っていることを尋ねてみてはいかがでしょうか。今の主治医に「そんなこと聞いていいのか」などと考えて、少し聞きにくい部分もあるかもしれませんが、その話題が出たことがきっかけとなって、治療がうまくいくようになっていくこともあります
また、主治医と話がうまくかみ合わないから、主治医を変えたいという場合もあります。この場合、治療目標(何をどのように良くしていきたいのか)が主治医と患者さんで異なってしまっている、ということがよくみられます。お互いに目指している所が違えばうまくかみ合わないですよね。
Cさんももう一度、具体的にどのようなことに困っていて、それに対してどのように対処していくと良いのか、何を治療目標にしていくのか、など色々と相談してみてはいかがでしょうか。すぐには解決できないことも多いと思いますが、一緒に考えようとしてくれる先生ならば、解決の糸口がみつかるかもしれません。
それでもダメだったら、病院を変える前に、他の治療機関にセカンドオピニオンを受けるという手もあります。Cさんの治療がうまくいくことを願っています。
(谷井一夫)
「フォーラムの存在意義」 '19.11
こんにちは、Eさん。Eさんの幼少からの生い立ちを拝見する限り、その苦労は私の想像を超えているでしょう。それだけ、壮絶で大変だったと思います。このような中をEさんは生き抜いてこられたのだから、正にサバイバーなのだと思います。
Eさんは広義の意味で「うつ」ですが、その根底には、単なる心理的疲労ではなく、自分だけではどうにも解決できない無力感があると思います。そうだとしたら、今の自分を「あるがまま」に受け入れることは至難の技であって、「受け入れられない」と感じる方がむしろ自然であると考えます。
でも、Eさんは変化を求め当フォーラムの門を叩かれました。このことは、Eさんの中に無力に駆られながらも、心の何処かで「より良く生きたい」という思いを有しているからに他ならないと考えます。
無力感を抱く方は、しばしば幼少から孤軍奮闘を強いられたにも関わらず、何ら好転することのなかった悲しい過去を有しています。つまり、自分の苦しみを打ち明け、他者に受け止めてもらった体験が圧倒的に少ないのです。だからこそ、このフォーラムを通じて、色々な方の奮闘記に触れることから始めてみて下さい。悩みは違えども、他の方の奮闘の様子を知る事は、Eさんにわずかばかりであっても生きる勇気を与えることに繋がると思います。
その上で、是非フォーラムの中で、Eさんの日々の苦しみを参加者に投げ掛けてみて下さい。色々な意見を頂けると思います。一人で悩み混むとどんな方でも良い考えには行きつきません。むしろ、自身の困った状況を相談し、他人から意見をもらうことで初めて、自分の考えが整理され、解決の糸口が見出されるものです。
そして、回復の糸口は必ず、現在の生活をどのように送るかにかかっています。決して過去を振り返り、当時の親子関係の修復などではありません。是非、手の届く範囲で構いません。まずは気持ち良いという感覚を拠り所に、自然に触れ体を良く動かすことから始めてみて下さい。フォーラムの皆さんから生活の知恵を伝授していただくことも一考に値するでしょう。
日常生活が少しずつ豊かになることは、過去の事実に対する捉え方を変化させることに繋がっていくと思います。当然、その道のりは険しいものですが、このような不断の取り組みが、本当の意味で自分をあるがままに受け入れることを可能にさせるのではないかと考えます。
大変でしょうが、お体に自愛し第一歩を踏み出していただければと思います。
(樋之口潤一郎)
「これまで積み重ねてきたことにもとづく、今できること」 '19.10
Mさんは、数年前から、「長年の緊張や頑張りのツケが心と身体に出てきたのか、更に人間関係のつまづきが大きなきっかけとなって、目眩や動悸が始まり、今も背中を中心とする身体の痛みや不安緊張感が抜けません。」と書き込まれ、さらに年齢を重ねるに従って体力、気力が落ち、どうなっていくのかが不安であることを書かれています。
書き込みを拝読し、長年仕事をし、ご主人との死別、震災、介護などを経験され、退職後も介護の他に趣味やボランティアに取り組まれるなど、誠実に、懸命に生きてこられたことが伝わってきます。
人間関係のつまずきが大きなきっかけとなったとのこと、「人との絆を大切に精一杯生きてきた」からこそ、人との関わりのことが大きな影響があったのではないでしょうか。その人にとって大切なものこそ、大きな影響を持つものですよね。
「症状がありながらも一日を充実させていく、楽しく過ごしていくという生活」 をアドバイスしていただいたこと、わかってはいるけれどなかなか難しい、とも書かれています。たしかにわかっていても、実際には難しいことですね。そのアドバイスを少し具体的にご自身の生活に「落とし込んで」みましょう。小さく、具体的なことに区切って考えるということです。そして「これまでと同じように」をかくあるべしとせず、それに関連した「今できること」を試行錯誤していきます。
これまでの趣味が何であったかは書かれていませんが、例えば山登りが趣味だったとします。今までと同じような山登りはできなくても、ハイキングならできるだろうか、とか、紅葉のきれいな季節ですから近くの公園に行ってみようか、外出がきついようだったら山に関する本を読んでみる、字を読むのもしんどかったら画集や写真集、テレビ番組、画面は刺激が強くてきついようだったらラジオや音楽・・といった具合です。
このとき、例えば本でも、手に取って開いてみて、つらいようだったら閉じてしまって、読み進められるようだったら続けて、というようにしていきます。そうすることで外にあるものと自分の行動や注意のバランスが取れていきます。
そして、対処をすることで減らせるだろう不安と、今すぐには変えられないものと分けてみましょう。使える制度やサポートなどは活用できるようにし、とりあえず今変えられない不安はそのままにしておきます。
Mさんには、これまで積み重ねてきたものがたくさんあるはず。「これまで積み重ねてきたもの」に基づく「今の自分にできること」に手を付けていってみましょう。
(塩路理恵子)
「パニック障害とうつの違い」 '19.09
M様、こんにちは。
パニック障害(以下パニック症)は、不安症群の中の一部になります。パニック症は、繰り返される予期しないパニック発作に適応される診断です。パニック発作は突然、激しい恐怖、または強烈な不快感の高まりが数分以内にピークに達し、その時間には動悸、発汗、息切れ感、胸痛、めまいなどが起こるものです。
不安に対して、森田療法では不安の裏側に何かしらの過大な欲求(森田療法では生の欲望と呼びます)があると読み替えます。欲求が強いから不安が強まるわけです。逆に欲求が少ない人は、不安にもならないわけです。学生が、試験前に「大変だ、できない」と騒いでいる人ほど、実際は良い点を取っていることを間近にした方も多いのではないでしょうか。欲求が過大であるからこその不安なので、この不安を排除しようとすることがますます症状を悪化させてしまいます。
特にパニック発作の場合、パニック発作は数分以内にピークに達し、その後なだらかに下降することを体験できるかどうかがカギになります。パニック発作の予期不安から注意が心窩部に向き、注意と不安が交互に作用して、動悸が多くなっているとの悪循環を理解することも大事になります。
森田療法では、不安を排除することをまずやめるように伝えます。ただ不安を排除することをやめるだけでなく、不安の裏側に潜んでいる本来の欲求に従って行動することを促します。それがある意味、「気分本位」でなく「目的本位」に動きましょうという言葉に通じます。行動が広がって来た後に発症前の生活を振り返り、完全主義的な生活スタイルを緩めることが治療後半のテーマになります。
うつに対しての森田療法は、うつの症状が強い初期段階では不安症群に対するアプローチとは異なります。うつ病の米国DSM5診断基準を照らすと、
(1)抑うつ気分(憂鬱な気持ち)、または
(2)興味または喜びの喪失のうち、少なくとも一つは存在し、
(3)体重の変化、
(4)ほとんど毎日の不眠か過眠、
(5)ほとんど毎日のいらいら、または行動の抑制がかかる、
(6)ほとんど毎日の疲労感、
(7)集中力の低下、
(8)死にたい気持ち、
のうち5つが同じ二週間に存在していることが基準になっています。
回復の過程は個人差がありますが、以上の症状が少しずつ階段を上がるように回復していきます。我々は患者さんに「今どのくらいの回復度合いですか」と訪ね、%で表現してもらうようにしています。
症状がでそろっているいわゆる「極期の過ごし方」は、「果報は寝て待て」が大事になります。簡単に言うと家でごろごろしていて良いわけです。30%前後から50%くらい、「回復前期」の時は、「毎日の中での変動が目立つ」のですが、「どん底を過ぎれば必ず回復が訪れる」と思っていて下さい。この時期は「疲労感」を主な基準として、疲労感が強い時は休息し、軽い時は手をつけやすいところから手をつけていきましょう。これが「臨機応変」という対応です。
また「感じから出発する」のが大事です。何かしたい気持ちがあれば、それを少しずつ行動に移して、疲れたらまた休んで良い訳です。本来の状態の60〜70%くらいまで回復してきたら、生活リズムを規則正しくして生活を整えて行く、「外相を整える」ことが大事になってきます。
ただ、実際にはパニック症とうつを合併していて、急性期で休息をした方が良いのか、あるいは休まず建設的な行動をした方が良いのか迷うケースもあります。このあたりは実際の診察をしないとなんとも言えませんが、目安として、
(1)憂鬱な気持ちはあっても行動がおっくうではない、
(2)特に仕事以外の趣味や遊びへは動くことができる、
(3)睡眠、食欲はある程度薬剤調整で取れている、
ような場合はただ休息をしていても治療は難しいかもしれません。ただ最終的には、医師のうつに対する評価があって「〜したい」方向への行動をしていくことが大事かと思います。お大事になさってください。
(舘野歩)
「生きる意味はあとからついてくる」 '19.08
Nさん、こんにちは。
末期大腸癌の告知から1ヶ月でのお父様の死、それはあまりに突然で不条理な出来事。誰にとっても親の死はいつか訪れる避けられないことではありますが、あまりに突然であり、私の想像を超えています。
“生きている意味とは何か”、“何のために生きているのか”、Nさんのこの問いに私がお答えすることはなかなか難しい。でも、Nさんにとって生きるヒントになればと、書かせていただきます。
Nさんにとって、お父様の死はけっして忘れることはないでしょう。お父様が亡くなってまだ2ヶ月、お母様、ご兄弟は悲しいし寂しいけど苦しくないとおっしゃられているとのことですが、本当にそうであるかもわかりません。もっと早く癌を見つけることができれば、もっとよい病院を探すことができたら、と後悔することは自然なことだと思います。それだけNさんにとってお父様は大切な存在なのだと思います。
しかし、いくら考えてもお父様が亡くなったという事実は変わりません。私の外来に訪れる方の中にも近しい人を亡くし鬱になった、虚しい、生きられない、というお悩みを持ってこられる方たちがいます。私は無力であるけれど、その気持ちを聴かせていただきます。そうする中で、何がきっかけかは人それぞれですが、数年の時を経てだんだんと自分の人生を取り戻されていかれます。再び前を向いて生き始めた人たちに共通する点があるのだと思います。
それは、故人を想いながらも、今自分がやるべきことを成す、ということです。ただただ故人を想い、過去の世界に身も心も置いていては抜け出せません。今成すべきことは、仕事かもしれないし、家事かもしれないし、趣味かもしれない。人それぞれでありますが、まず一歩を踏み出すことです。亡くなったお父様も、Nさんの充実した人生を望んでいるのではないでしょうか。
過去という事実は変わらないけれども、自分が納得できる今この瞬間を生きれば、過去の見え方は変わる。そう私は思います。
お父様の死は、Nさんの苦しみは、いつか力に変わるかもしれない。時間がかかると思いますが、主治医の先生ともお話しながら、その一歩を踏み出す時が来ることを願っています。きっと、生きる意味はあとからついてくるのだと思います。
(鈴木優一)
「自分の癖を知る」 '19.07
Yさんは、ADHDの傾向があると診断されており、特に不注意性が高いと感じられているとのことです。最近お薬も処方してもらったそうですが、効果はまだ実感できないそうです。対人恐怖・パニック症・強迫性障害を併発しているのではないかと書かれていますが、Yさんの現在の悩みは主に“不注意によるミスの多さ”のようですね。
ADHD傾向の診断というのは、心理検査などを受けられた結果でしょうか?お薬の効果が感じられないのであれば、併発していると感じている症状も含め、主治医に率直に相談を続けることも必要でしょう。
書き込みをみると、単価の高い商品を扱うため小さなミスも許されないのに、ミスを連発してしまうとのことです。不注意傾向はあるのかもしれませんが、それだけに「ミスをしてはいけない」と相当緊張して仕事に取り組んでいるのではないでしょうか。併発している症状の詳細がわからないので、はっきりしたことは言えませんが、不注意傾向があると自覚されている方は、自分は不注意だから信じられないと考え、過度に確認をしてしまったり、自己評価も下がりやすいと思われます。そうした結果、対人緊張や強迫的な行動が出てしまうのかもしれません。
逆に、もともと完璧主義で融通がきかないために不注意なミスをしてしまう場合もあります。つまり「失敗をしてはいけない」「完全にこなさなければならない」と身構えてしまう結果、過度に緊張して視野が狭まり、本当に大事なところには目が行き届かずにミスをしてしまうというものです。
周りからの信頼も軒並み下がってしまい、併発している症状も悪化の一途をたどっている・・・ということですから、今は「ミスをしてはいけない」→「過度の緊張、気負い」→「視野の狭まり(注意がいきわたらない)」→「(結果的に)ミスが増える」→「(今度こそ)ミスをしてはいけない」といった連鎖(悪循環)になっているように思います。
原因がADHDなのかどうかははっきりわかりませんが、まずは自分が「〜であらねばならない」という考え方をしていないか、どんな時にどんなミスが多いのか・・・など、自分の癖を観察してみるのも良いかもしれません。自分の癖を知ることによって、具体的な対処の方法も見えてくるかもしれないからです(メモを取る、チェックリストを作る、周囲にダブルチェックを頼むなど)。ミスをしてはいけないと力んでしまうのは、決して得策ではないのです。症状のカミングアウトはしないにしても、自分の癖を知ることで周囲の助けを得ることも出来るかもしれません。率直に仕事に向き合おうとする姿勢が見えれば、周囲はYさんのことを理解してくれるのではないでしょうか。
人間は機械ではないのですから、ミスはつきものです。大事なのはそれをどうフォローしようとしているか、その姿勢ではないでしょうか。どうか八方塞がりの状況に風穴を開けるつもりで、粘ってみてください。
(久保田幹子)
「身体症状のある自分になりきる」 '19.06
Mさんはフリーターであることを気にしていますが、症状を持ちながらも今できることをされており、素晴らしいと思います。
最近は「心臓をチクっと刺されるようにドキッとする」「発作的に体が辛くなる」ことがあるようですね。救急車で運ばれたとのことなのでその時はかなり強い不安を覚えられたことだと思います。
森田先生は「心悸亢進でも自ら進んで心悸亢進を起こそうとすれば発作は起こらない」と言っています。つまり、起こったらどうしよう、起こってはならないと思うからこそ注意が集中し、症状が強まるという悪循環があるので、症状をなくそうとしない姿勢になれば症状が起ききにくくなるという事です。森田先生は心悸亢進だけでなく不眠についても同様に伝えていました。「どのように眠れなかったか報告しなさい」と言うことで不眠を治していました。
また森田療法では「なりきる」という言葉をよく使いますが、身体症状のある自分であっても「自分になりきる」で進んで行けばよいのです。身体症状がある完ぺきではない自分になりきることにより、そのままの自分からスタートするという事になります。身体的には異常がなく、Mさんは倒れたとしてもまた起き上がることができる回復力をお持ちです。この回復力があれば進んでいけます。
また仕事についてですが、日々働いているとどうしても「生きるために働いているだけで仕方ない」という気持ちになりがちです。しかし同じ働くなら少しでも楽しく働けないかと考えてみると良いと思います。
少しでも工夫できることがあるか、仕事で楽しい瞬間があるか問いかけてみて下さい。仕事自体に面白さが見出されると症状を忘れる瞬間が出てくるかもしれませんね。
(大久保菜奈)
「専門機関にかかるかどうか」 '19.05
Sさんは恋人との別れの危機を契機に自分が神経質であることに気づき、自分の神経質が深刻化して様々な人に迷惑をかけることを考えると怖くなったとのことです。専門機関に行くか体験フォーラムのいろいろな方のお話を聞いて決めたいと書かれています。
神経質は屁理屈や頑固さが強固に出た場合、家族や周りをへきえきとさせてしまうことがあります。しかし、神経質をうまく活かせない場合に一番損をするのはやはり本人ですよね。思いが深まっていくと、自分をよりさらけ出して付き合うことになるわけですから、恋愛を通して気づくことはたくさんありますし、いい思いも嫌な思いも強烈なかたちで来ます。同じことを繰り返したくない思いから、危機の後にしっかり自分を「変えておこう」と思うのは物事を鋭く感じ、反省心が強く、物事を万全に整えておこうとする神経質の人ではより起こりやすい心の動きかもしれません。
もちろん専門機関に行くのもいいですが、Sさんは心許せる友達やこの人ならと思うような自分の周りの人に今回のことや自分の性格について話をされていますか?弱みを見せることや相手に迷惑をかけては良くないといった気持ちが強いと、ついつい自分の真なる悩みについて身近な人に語ることを避けてしまうこともあるかもしれません。
まずは自分のコミュニティの中の安心できる人に話をしたり、その中で解決できない問題に突き当たった時に専門家への相談を模索するのでもよいのかと思います。身近にいるからこそSさんについて感じている率直な気持ちを話してくれる人や、Sさんと似たような体験をしている人もいるかもしれません。
そして、いくら神経質が時に面倒を引き起こすと言っても、すべての非が神経質者にあるわけではありません。自己反省が強まると、自分の変えるべきところが多く、相手の非は極めて少ない(時にはまるでない)ように思えるときもあるかもしれませんが、実際には相互作用です。別れの危機によって自分と相手の反応を振り返ることができるSさんはただ独りよがりで一方的に周りをへきえきとさせてしまう人とは違うのではないかと思います。
友人に相談する場合でも専門家に相談される場合でも、その相互作用のありようを見ていけると、より役立つ自己・他者理解が広がっていくのではないかと思います。
(矢野勝治)
「何度言っても変わらないのならば、伝え方を変えてみる」 '19.04
Mさんはお子さん(5歳の男の子)が言うことを聞かず、注意するとずっといじけてしまい会話にならない事を悩んでいらっしゃいます。また、そのお子さんがもともと話を聞けないという事もあり、発達障害の心配もされているようです。その中で、ご自分も内向的で自信がなくて、この先子供を育てて行けるのか不安に感じられ、ご自身が不安障害や、対人恐怖症な所がある事も気づかれたようです。
まずは、お子さんが本当に発達障害かもしれない、と思われるのであれば、まずは医療機関にご相談してみるのも一つの手です。
ただ、そもそも子育てはとても難しく大変ですよね。子育てに答えはないですし、「ちゃんと子育てできるのかな」と親なら誰しも不安になるものです。Mさんのお子さんは5歳ということですが、イヤイヤ期や反抗期が終ったら、言うこと聞いてくれるのかなと思いきや、現実はそうではなく、だんだん自我が芽生えて、自己主張が激しくなったり、わがままで頑固になったりしてきますよね。本当にお疲れ様です。
子供を思う親としては自分の子供を「ちゃんとしつけなくてはいけない」と感じますよね。ただ、これが強すぎると親の「子育てはこうしなくてはいけない」という「かくあるべし」とも言えます。この「かくあるべし」にお子さんを当てはめようとすると親子共々苦しくなってきます。
実際、5歳の男の子は、朝から晩までずっと、親が言わないとやるべきことをしていないものです。親が「こうでなくてはならない」と思うと、ついつい口調も強くなって、「着替えなさい」「食べなさい」「寝なさい」などなど沢山の「〜しなさい」をお子さんに言ってしまいますよね。言わないと動かないから言ってしまうのだと思いますが、実際は言っても動かないですよね。ただ、5〜6歳になれば、ある程度親が口うるさくすればするほど、お子さんは向き合わずにいじけたり、聞き流す能力を身につけたりしていきます。ですから、少しだけ、伝え方を工夫してみてはいかがでしょうか。
「早く食べなさい」から、「あれ?このままだと幼稚園に間に合わなくなっちゃうよ」とか、「お風呂に早く入りなさい」から「お風呂が空いたから入ってね」などです。例えばそれでもお風呂に入らなかったら、なんなら今日のお風呂は諦めちゃってもいいかもしれません。そのくらい「親のかくあるべし」が緩むと、親も楽になりますし、お子さんも実際にお風呂に入らなくて、気持ち悪いな、と感じて自ら入るようになるかもしれません。失敗から学ぶことも沢山ありますね。このように、同じように何度も注意してお子さんが変わらなければ、親の対応や伝え方を工夫してみてはいかがでしょうか。
最後に、「親にとっての一番の願いは?」と聞くと殆どの方が「子どもが健康で元気であること」と答えます。子どものために色々と悩み、親が思ったようにならなくても、子どもが健康で元気にいてくれるという願いが叶っていれば少しおおらかな気持ちでいられるかもしれません。是非とも頑張ってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)
「当てにしないことも大切」 '19.03
こんにちは、Fさん。長年に渡る夫に纏わる苦労、そして母親の無理解など、これらはFさんを時に絶望の淵に追い込み、大きな苦しみを与えたのではないかと察します。心の中は消化されない蟠りでまだまだ覆われているのだと思います。確かに、このような状態に対して、抗うつ剤などの内服はある程度奏功するかもしれませんが、これは根本的解決ではありません。何故ならFさんの問題の本質は、「今後どうやって生きていくか」という生き方を巡る悩みだからです。
そんな中、旦那さんと別居されたことは、Fさんが一歩を歩み始めた証でもあります。このことは、夫の様々な行動に耐えられなかったというFさんが、自分の思いを生かした体験に他なりません。もしかすると、Fさんは今まで家族の思いを優先するあまり、自分の思いを押し込めてきたのでしょう。このような努力は、一見すると家族に表面的な安定をもたらしたかもしれませんが、結果的にFさんに欲求不満という代償を作り出してきたのだと思います。
一般的に、このような我慢が続くと、人は皆、その苦しさの余り、辛い気持ちを察してほしいという思いを募らせます。しかし、得てして周囲はその思いをくみ取ることなく時が過ぎてしまうものです。その結果、周囲が状況をくみ取ってくれないことに、多くの方が無力感を募らせていくことになります。
さらに、このような状態が持続することで、誰しも周囲の無理解に対して恨みがましくなっていきます。勿論、このこともまた人として自然なことであり責められるべきものではありません。けれども、一方で周囲に自分の苦しみを理解してもらおうと過度に期待しないことも大切です。親であっても、所詮他人であり最終的には分かち合えないのです。むしろ、この大前提にたって、Fさんは自身の人生を再び歩み始める覚悟が必要です。
このような転換はFさんに「果たして自分でやっていけるか」という不安を与えるため、当初は中々一歩を踏み出せないかもしれません。ただその場合、「何となく〜したい」という感覚を一つの拠り所にしながら、一歩を踏み出す契機にしていただければと思います。そして、考えるだけでは、人は必ず誰かしら責め続け自分の手で不幸にしてしまうものです。どんな小さなことであっても、体験の積み重ねが人の心を豊かにさせてくれることを心がけながら進んでいただければと思います。
今はまだ苦しみの渦中でしょうが、Fさんの今後の発展を祈念しております。
(樋之口潤一郎)
「異なる文化の中での生活と森田療法」 '19.02
Jさんは、日本で働いている外国人の方で5,6年前から3度の休職をはさみながらなんとか働いてきたことを書き込まれています。
海外の方にも森田療法に関心を持っていただけることを嬉しく思うとともに、不安が人が生きる上で自然なものであること、そして不安の裏に「よりよく生きたい」という望みがあることは、普遍的なことなのだと改めて感じました。
さて、異なる文化の中で生活する上で生じるストレスを「異文化ストレス」といいます。
「異文化ストレス」には、
・異なる文化、異なる言語の中での葛藤や混乱
・異なる習慣や生活様式からくる不適応
・対人コミュニケーションにおける葛藤
・コミュニケーション不足による職場でのトラブル
・経済的な悩み
・家族に関する悩み
などがあると言われています。また、働く人の場合は、対人関係や生活の範囲が日本人よりも狭くなりがちであり、職場以外のコミュニティが少なくなりがちなため、職場の占める意味あいが大きくなり、職場がメンタルヘルスに与える影響が大きくなることも言われています。
Jさんも、生活の中で仕事の占める割合がとても高かったのではないでしょうか。 Jさんは「今思えばいい人と思われたい、仕事がそこそこできる外国人でありたい気持ちが強く、仕事を断れない、その仕事を一人で悩み人との関係がうまくいかなかったこと」なども振り返っておられます。とても大切な気づきですね。
いい人と思われたい、認められたいというのは、外国で仕事をする上で大切なエネルギーとなっていたことでしょう。けれどもそれが「いい人と思われなければならない」という「かくあるべし」になってしまうと、仕事を断れなくなってしまったり、悩みを抱え込んでしまい、苦しい状況になってしまいますね。なかなか助けを求められない、苦しい追い詰められたお気持ちだったことと拝察します。
異文化の中では、相手の振る舞いにも敏感になり、「ネガティブな意味があるのでは」と感じ取ってしまい、ますます敏感になる、という悪循環も起こります。 まずは、ご自身の苦しみの裏に「良い自分でありたい」という願いがあるということを認めてみてください。そして、「かくあるべし」をゆるめて、仕事で困っていること、つらいと思っていることを、誰かに話してみましょう。すぐに解決がみつからなくても、悩みを共有してもらうことで、がんじがらめの状況が緩むことがあります。
そして仕事以外の何かを持つことも、生活の中で仕事に強く焦点が当たっていることを緩めるのに、役に立つことでしょう。(うつの具合が悪い時には新しいことは控えた方がいい場合もあるので、主治医の先生とも活動の仕方はよくご相談ください)大きなことでなくても、例えばご家族と出かけてみるなどでもいいかもしれません。 相談できる場や話ができる場所がいろいろあるといいですね。 治療を受けられているようであれば、主治医の先生や病院のスタッフにもよくご相談されてください。
(塩路理恵子)
「うつの状態に応じた対応」 '19.01
K様うつで苦しんでおられますね。ご自身のご経験と重なるかもしれませんがうつの状態に応じた森田療法を活かした対応を述べますね。
うつ病の米国DSM5診断基準を照らすと、(1)抑うつ気分(憂鬱な気持ち)、または(2)興味または喜びの喪失のうち少なくとも一つは存在し、(3)体重の変化、(4)ほとんど毎日の不眠か過眠、(5)ほとんど毎日のいらいらまたは行動の抑制がかかる、(6)ほとんど毎日の疲労感、(7)集中力の低下、(8)死にたい気持ち、のうち5つが同じ二週間に存在していることが基準になっています。これを満たすようであれば、うつ状態からくる否定的な思考があるのではないかと思います。これを満たすようであればきちんと抗うつ薬を使用し無理をしない方が良いでしょう。
回復の過程は個人差がありますが、以上の症状が少しずつ階段を上がるように回復していきます。我々は患者さんに「今どのくらいの回復度合いですか」と訪ね、%で表現してもらうようにしています。症状がでそろっているいわゆる「極期の過ごし方」は、「果報は寝て待て」が大事になります。簡単に言うと家でごろごろしていて良いわけです。30%前後から50%くらい、「回復前期」の時は、「毎日の中での変動が目立つ」のですが「どん底を過ぎれば必ず回復が訪れる」と思っていて下さい。
この時期は「疲労感」を主な基準として、疲労感が強い時は休息し、軽い時は手をつけやすいところから手をつけていきましょう。これが「臨機応変」という対応です。また「感じから出発する」のが大事です。何かしたい気持ちがあればそれを少しずつ行動に移して疲れたらまた休んで良い訳です。本来の状態の60〜70%くらいまで回復してきたら、生活リズムを規則正しくして生活を整えて行く、「外相を整える」ことが大事になってきます。また、今までの自分の生き方を見直す時期でもあります。「かくあるべし」といった思考にとらわれず現状の中で出来ることをしていくことが大事になります。
このようにうつの状態、%に応じた養生をしていって頂けると幸いです。
(舘野歩)