(第125回心の健康セミナー「現代人の悩みと森田療法」の質疑・応答より)
Q1:家族への対処法の基本は?
A1
家族はみんな同じで、誰か身近で悩んでいる人がうつ病であっても、さまざまな障害であってもそうなのですが、家族は何とかしてあげたい、何とかしなきゃ、何とかせねばならぬ、どうしても、そちらへ逆に注意が一般に向きすぎます。
そうすると、実はよかれと思って心配してやっていることが、逆にその方を縛ってしまい、自分自身も追い詰めています。そういう悪循環が、その中でできてきます。
何とかするのではなく、この人が自然に回復するまで自分がどういうサポートが出来るだろうか考えるといいです。
あれこれ介入するのがいいのだろうか、もう一度理解しておく必要があります。
取り敢えずはその人を受け入れることです。
とても大変ですけれども、ひとりでだけではなく周りの人にもサポートしてもらうことが重要です。自分の不安を解消するためにあれこれしたり、何とかしなくてはと思っているのではなく、そのことを分かってそして自分の不安を自分のものとして受け入れていきながら、できる範囲のことをしながら、自分の生活、自分の生き方をもう一度考えていく、ということが重要です。
ある人、ご家族、配偶者がうつ病で自分が悩んでいると、自分なりの生き方を少しずつ変えていくことによって逆に配偶者の方が良くなるという可能性もあるわけです。
悩んでいる人というのは、自分が受け入れられない、私たちが自分を受け入れる時は、みなさん自分のことを考えていただければ、よくわかると思います。
まずは他の人に受け入れてもらうこと、また他の人と悩みを分ち合えるということが重要なポイントです。それがないと自分を受け入れることができません。
その人をそのままで、つらいだろうけど、今はそのままで受け入れていくしかないな、自分があれこれやると返って回復を阻害するということを考えてください。
自分の生活に取り組んでいって、こうしなさい、ああしなさいということはなるべく止めてオープンにしていくことです。
例えば、ひきこもっている子だったら、そのひきこもりのことをそのまま認めていくにしても、それと共にあまり、そこに自分の注意をあれこれしないことです。
現実の原則として重要なことは、単にひきこもるだけでなく、その中で豊かなひきこもりが必要ということになります。
お風呂掃除をするとか、家事を手伝うとか、さまざまなそういう日常生活に取り組んでいくという活動を身につけていくことは、その人の回復に非常に重要です。
そいうところでの協力体制をとるにしても、あれだこれだという形で介入していくということは好ましくありません。これが家族への対応の原則ということになります。
Q2:不安や恐怖性障害への対応方法は?
A2
ある症状で悩むということは、その症状を持っている自分を嫌だと思っています。
自分を受け入れられない方もいらっしゃいますが、自分が受け入れられない、そういう不安になるいろいろなものに、どうしても注意が向いてしまいます。
そういうことについて、どうしても苦しくてしょうがない、そういう状況になっているわけです。
そのことに気づくことが重要で、つらい思いを受け入れてもらえる、解ってもらえる。そういう経験がやはり必要です。これは一人でなかなかやりぬけない。
人間が回復する時というのは、必ず、他の人に解ってもらえた、という人生上、成長したり、転機を向かえたり、あの先生に出会って、助言をもらえたとか、学校の先生だったり、おばさんだったり、とあります。そういう助言とか、頑張っているのだけど、それでいいのだよ、そのままで、あまり無理しないで、そういうふうに受け入れられる経験というのは、とても重要です。
ですから自分ひとりで考えない。これをさらに言うならば、自分ひとりで抱え込まない、悩まないことです。これはいろんな論文があるのですが、有名なアメリカの人が書いた論文にも、そういうふうに言われています。
うつ病になる人ならない人、うつ病になる人はとても真面目な人です。
真面目で一生懸命やろうとするけれど、逆にそこで行き詰まって、うつ病になってしまいます。真面目な人はたくさんいるわけです。
うつ病になる人ならない人、不安になる人ならない人、みんな私は同じだと思います。
何が違うのかといいますと、一つだけ違います。
悩みを自分で抱え込んで、自分の中にドンドン悩みに入り込んでしまいます。その中でグルグル悩んでいる時には、なかなかそこから抜けられない、それを言ったら、馬鹿にされるおかしく思われると考えるのです。そういうふうに感じになればなるほど悩みは深くなります。
例えば、対人恐怖なんかも、そういう傾向があるわけです。
そんな人前で恐怖するとか、人前で赤くなるとか自分の視線が変に思われるのではないかとか、そういうことで悩んでなるべく気づかれないように隠そうとするわけです。
隠そうとすればするほど苦しさはつのります。
不完全な自分、つまり完全で人前でどうとか、社交的とか、テキパキそんなことは、今の自分にはできない。ありのまま、ダメな自分でいいと思えた時に、自分の欲求ということを知ることができます。
そこはとても重要なポイントで、何年も悩んでいたけど、ある人が劇的に良くなったという、対人恐怖の方です。
ずっと自分が変な目付きをしていて、人に嫌われる、ということに悩んでいます。
自分の悩みなんか、とても他人には言えないわけです。
苦しくて仕方ない、結果として本人はその根っこに、人と一緒にいて自分のことを理解してもらいたい、いろんな人と一緒にいたい、いろいろとやりたい、という素直な欲求があるのに、その望みとは全く逆に人から見るとなんと距離をとってよそよそしいと見られます。
本人はまた辛くなり、私のところに相談にきて、そういう話の中から、ありのままの自分でそのままでいいのでは、という話をしていくうちに、彼がどうしても辛くなって、ある上司に自分の悩みを言ったのです。生まれて初めて公的な立場の人に、自分の親以外に言ったことのない、こういう悩みは変な悩みだから、絶対に人に馬鹿にされると思っていました。
ところが、自分は人前で緊張していて、時々落ち込んでしまう、と涙ながらに彼が上司に相談した時、その上司はそんなことはないよ。ちゃんとやっているじゃないか、それでいいのだよと言ったのです。
一つは治療という関係じゃなく、社会の中で自分を理解してくれて受け入れてくれた人がいたことです。
受け入れてもらうには、彼自身が自分の悩みを伝えることです。隠そう、これを言ってはおかしいと思えば思うほど、逆に私たちの感覚からすると変に思うのです。
自分のこの話を聞かない、引いてします、話題を合わせてしまう、なんか冷たい人だな、クールな人なのだ、というふうにしか見られないのです。
自分の悩みをありのままに受け入れる、そしてそれを時には、自分で抱え込まない、分かち合う人に伝えるという作業は、とても重要な作業です。
人前で緊張するということも、そうあってはいけない、そうすべきではない、ということを緩めていくという作業と密接で、そういうことができると自分で自分を縛っているものから抜けていきます。
自分の感情をありのままに認める作業は、こうあるべき、こうあってはいけない、自分のことの縛りを抜けていくということなんです。
ハラハラビクビク、落ち込んでいる自分を認めていくことです。
ある対人恐怖の方が、日記にもうずいぶん良くなって治療も終わりにかかった時に、こういうふうに考えました。
ハラハラビクビクする、これも自分なのだな、自分は生きてる、だから自分はハラハラビクビクした時は、喜んで生きれるのか、と書いてきました。
自分を受け入れる程に、素直な自分の欲求が見えてきます。
頭でっかちの自分を変えていく、自分をダメと決めつけずに、ダメな自分でいいのだという発想の転換というのは、ひとつは重要なポイントになってきます。
Q3:強迫性障害の克服のポイントは?
A3
強迫性障害の場合は、ここがポイントです。
生活の発見会、生泉会代表の明念さんという方が、“強迫神経症の世界を生きて”という本を出されていますが、自身の強迫神経症から回復した話を書いています。私は感心して自分が今、治療的にいろいろしていることを、明念さんは体験的に掴んだなと思って感心しました。
彼女の書いていることは、自分の五感を信じることです。上手くやれたかどうか確認をしない。自分のやっていることはいつも不確実な感じがあると、それで大丈夫だろうかと、繰り返し繰り返してやってしまうという場合は、自分の感覚を信じていないということです。自分が動いているこの感じを掴んでないのです。
いかに自分が苦しくても一回でいいのだ。これでいいのだ、というふうな自分の感覚を生きていく。それには普段から自分の感じたものを、これが汚いなと思ったら、すっと動いて、それを掃除してみたり、何か心に浮かんだものにすっと乗っかってみる。
この心と体の動きはとても重要なのです。
強迫性障害で悩む人は頭でっかちな人ですから、自分の感覚とか体の感覚とか自然という問題をしっかり感じ取れなくなっています。それを膨らましている作業というのが、五感を信じるということと、目の前の必要なこと、心に浮かんだことに取り組んでいく、この根気よい作業を必要とします。
確認するというある種の癖ですから、ある程度癖として受け入れながら、自分の感性、感覚を高めていく、そこでの行動する力を高めていく。これは強迫性障害だけではなく、悩んでいる人一般に共通したものです。そのように生活を膨らましていき感じを掴んでいくということが、とても重要なことです。
Q4:命とか内的自然とは、どういうことですか?
A4
理屈で説明すると難しいのですが、直感的に私たちが物を感じとって、そして、感じの時にすっと動けます。この感覚はほぼ私たちの体から内的な自然、生きていくというその欲求があります。
森田療法の基本的人間観というのは、つまり意識よりも無意識つまり、我々が意識して感じとる考えよりも、その時の感じで動くほうが合理的な動きができます。その時にあった動きができるという考え方があって、私はそれはそれで極めて合理的な考えだと思います。その時にこうしてみたい、ああしてみたいという、そういうものに注意を向けて、それに乘って動く、そのことが、自分の内面的な回復能力を高めますし、自己能力を高めていく、ということになります。従って、生き方が行き詰まりだと病気になります。
それは不安障害だとか、うつ病もそうですし、もっと重大な、例えば、ガンみたいなものも考えられます。
私はガンにかかった人たちの森田療法のグループの集まりみたいなのを月一回、開いていますが、そうすると、病にかかった時にもう一度真剣に生き方を考えます。こういう病気になった、どうしよう、どう生きていこう、どんなふうに生き方を変えようかと考えます。皆さんがいろいろな治療を受けながら自分の生き方を変えていく。頭でっかちな生き方より、こういうふうな体とか自分の感じだとか、楽な感じだとか自然に生きているとか、なんとなく、その無理してもっともっとと自分を追い込まないで、それなりに自分としての生きている感じを掴んでいます。
そして、私たちの心の根っこにある、生きて行く力とか、森田は生きる力といいます。そして不思議なもので森田自身も経験で、物の考え方が転換していこうという生き方が出来るようになると、その時、こうしてみたい、ああしてみたいという気持ちが、すっと動いて、とてもある意味では健康な感じになります。
Q5:自分の性格が嫌で、性格は変えれますか?
A5
これも実は、性格と言っても固定したものではないのです。例えば、頭でっかちになったときは、自己中心的なものになって、どうして自分のことしか考えられないか、悩みのことばかり、取り除くことばかり考えているわけです。
悩んでいる人の話しを聞くポイントは悩む前に小さい頃どういう子だった、小さい頃は好奇心が強くて活発な子だった。この子はそういうところがあるのだな、それから、不安だとか、落ち込みだとか、これはその人の持っていた、反応の様式だと理解していています。
何かストレスがかかると、糖尿病や頭痛、血圧が高くなります。様々な体の症状が出る場合もありますし、不安になります。様々な落ち込みがでてきます。その時の人生の危機で、ある反応を引き起こして、私たちはこのような悩み方をするわけです。
小さいうちからの持っいている本来の力と、そして、ご自分が持っている人前でハラハラ、ビクビクしやすい、これ両方とも自分のものなんです。これはどうしようもないのです。
それをどうしようもないもの、つまり自分のハラハラ、ビクビク、というものは、もうこれは自分でどうしようもないものだと思いを定めると、この頭でっかちが減って、そして、育ってくるのです。育ってくるとともに多くの人は、私はそういうふうに感じるが、その人の小さい頃からの、ものの感じ方、好奇心の持ち方、活動、のんびりしている人は、のんびりするし、わりとセカセカする人は、落ちつかないなりの生き方がでてきて、そして時にハラハラビクビク落ち込みながらでも、そういう自分の持ち味をだしていけばいいわけです。性格は固定的ではない、変わっていく、変化していく、成長していく、私たちが大人になるというのは、子供を忘れて大人になってしまったら、もはや頭でっかちの人間になってしまうわけですが、ここを膨らますことは、ありのままの自分を膨らましていく、受け入れていくということです。そして、そこを、はっきりしていくことが、その人の性格です。
従って、これは自分なのだ、これはこれで自分で仕方がないと受け入れる作業は非常に重要だと思います。